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月曜日の図書館45 記念日

朝、図書館までの道を歩いていて、突然足の裏に違和感を感じた。踏み出すたびにじゅり、じゅり、と変な音がして、ちゃんと地面を踏みしめられない感じ。
猫のうんこでも踏んだかなと思っていると、小さく痛みまで走った。観念して裏返して見ると、なんと画鋲が刺さっているではないか。引っこ抜いてまじまじと見る。つまみの透明なプラスチックの部分が、少し欠けて、朝日をきらきら反射した。

今日は人生で初めて画鋲を踏んだ日。

通いたい大学がどこにあるか知りたい、と電話で問い合わせ。大学のHPを見ながら、住所と最寄駅を答える。
ぼくの家から近いですかね、と聞かれ、お客さまの家を知らないのでわからないですね、と答える。

書庫の徹底的節電の命が下る。今年は感染対策でぜいたくに(?)空調を使っているせいで、光熱費がひっ迫しているそうだ。
もともと蛍光灯が間引かれて暗かったのに、あまり出納のないエリアの電気は切っておくことになった。といっても同じ風景が果てしなくつづく迷宮の、どこのエリアがどの電気のスイッチと対応しているのかを覚えることは至難の技である。係長がエリア別にスイッチの上から色シールを貼ってくれたが、色の種類がありすぎてやっぱりどれを押せばどこがつくのかわからない。
懐中電灯を持って行ったほうが早い、とT野さんが言った。暗闇を切り裂いて、ほしい本にたどりつくのだ。

休みの日、K川さんが新しくできた児童書専門の図書館に行ってみたら、子ども連れの人しか入館できなかったそうだ。恐るべき排斥制度である。うちの図書館など本を読まずに一日中ぼんやりしている大人も入館できるというのに。
すてきな三にんぐみのように、どこかから子どもを拐かしてこなければならない。

ぼくの家から近いですかね、が時間がたつにつれてじわじわきはじめ、窓口でむせる。

20年前の夏期の天声人語に予約がかかる。人の興味の向かう先は多様なのだと、しみじみ感心する。季節は冬に移り変わろうとしていて、ニュースランキングでは常に感染者の人数が上位を占める日々でも、みんなそればかりにとらわれて生きているわけではないのだなあと、当たり前のことに気づく。大きな波と並行して、ひとりひとりの日常に、その人だけが注目している事柄が重なる。そのばらばらな関心ひとつひとつに応えられる本が、一冊でも見つかる図書館にしたいなあ、と思う。

窓口にやってきたおばあちゃんから本の相談。受講している生涯学習講座でレポートを書くことになり、そのテーマに関する本。課題に取り組んでいる人の場合、自分で棚を見てぴったりの本に出会うプロセスも大事なので、本そのものではなく、ざっくりとした位置と、探すためのツールを伝える。そのテーマならこのへんの棚ですね、論文を調べるならこのサイトから、最近の動向が知りたいなら新聞記事を見るのも手です、データベースが利用できますので、ご希望ならお声かけください。
おばあちゃんはわたしの話をていねいにメモに取り、ありがとうございました、少し道が開けそうな気がしてきました、と言ってほっとしたように笑った。

薄暗い書庫の床を何かが這っている。顔を近づけてよく見てみると、大きなカメムシだった。全身が黒い。節電型の書庫に順応して進化した、新しいカメムシかもしれない。
足を近くで踏み鳴らすと、カメムシは横向きにぴょた、と倒れて死んだふりをした。しばらくするとまた動きはじめる。どんどん。ぴょた。どんどん。ぴょた。勢いがつきすぎてひっくり返っても、長い脚を使ってゆうゆうもとの体勢にもどる。こんなスマートなカメムシ、見たことない。やはり新種かもしれない。

S村さんが将棋の駒の作り方についておじさんから相談を受けている。まず自分で作ろうと思い立ったことがすごい。最年少記録を次々と打ち立てている若い棋士に世間が注目する中、この人は道具そのものの方に関心を寄せているのだ。どんな本を見たらいいだろう?規格の本?伝統工芸の本?それとも木工技術の本?
わたしも加勢しようと思い、パソコンでぽちぽち調べているうちに、となりの市に駒づくりの名人がいることがわかり、弟子入りできたらどんなに楽しいかを想像してちょっと胸がときめいた。

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