月曜日の図書館8 すてる、あふれる、まざりあう
これ。死んでまったで。おばあさんが差し出したのはトンボだった。反射的に受け取ってしまったアルバイトさんがわたしの方を見る。とりあえず、図書館に持ちこめば何とかなると思ったらしい。
図鑑で調べてみると、コシアキトンボというのらしかった。お菓子の空き箱にまち針で固定して、即席の標本もどきを作る。ちょうど科学本の展示をしていたので、棚に飾った。N本さんが、ちゃんと処理しないとすぐだめになるよ、と言った。
展示架には他にも頭がい骨のレプリカや流木なんかをうちから持ってきて飾っていた。盗難防止のため「さわるとのろわれます」と書いたテープを貼ってある。
誰でも来ていい場所、というのは良い人も悪い人も、いつもは良い人でも魔が差して悪くなる人も来る。急に頭がい骨が好きになって持ち帰りたくなる人がいてもおかしくはないのだった。
本は既存のリストの他に、自然工学担当のS村さんとN本さんにもおすすめの本を選んでもらった。ふだんは見向きもされない虫の本やら実験の本やらがどんどん借りられていくのはやっぱり楽しい。わたしも大好きなヤンファーブルの作品集のポップを、心をこめて書いた。
館内整理の日、消防訓練がある。事務室のゴミ箱から出火したという想定。消火班だったDがまだ館内にいたのに、係長が「全員そろってます!」と元気よく言ったので、誰にも気づかれず、焼け死んでしまった。
最期の言葉は「銅像を建てていつも思い出してほしい」。Dは銅像映えする見た目なので、わたしがお金と力を手に入れたら建ててやろう。
ゴミ箱が多すぎて把握しきれない、という理由で、事務室内のゴミ箱はひとつだけとなる。書庫からも、研修室からもいっせいに撤去されてしまった。ポリバケツの親玉みたいな巨大ゴミ箱が、事務室の真ん中に君臨した。
フロア側にはゴミ箱はない。
本を持ち運ぶためのカゴの中に、寸分の迷いもなくちり紙(使用後)を投げ入れるおじさんを目撃し、がく然とする。玄関のリサイクルボックスは、ゴミを入れる人があまりにも多いため、とうとう使用中止になってしまった。いつもは良い人でも、そこにリサイクルボックスがあれば、リサイクルできないものを入れたくてむらむらしてしまうらしいのだ。
自転車のカゴに入れてありました、わたしのじゃありません。そう言って利用者がカウンターに雑誌を持ってくる。表紙に下着のお姉さんが写っている。とりあえず図書館に持ちこめば、何とか、
ならないこともあるとそろそろ気づいてほしい。棚に飾るわけにもいかないし、有害図書ポストはこの街にはないし、さすがに再利用する術は思いつかない。
子どものころ、社会見学の定番といえばゴミ処理場だった。バス酔いした状態で見せられるには、いささかハードな内容であった。
小学生のときだけでなく、中学生のときも、高校生のときも、行き先はゴミ処理場だった。ここもあと数年でいっぱいになります。埋め立て地で、担当の人がそう行った。次の候補地は、まだ決まっていません。
なぜ、ゴミ処理場ばかり見せられたのだろう。ゴミ以外にももっと、見なければいけないものがあったのではないか。
トンボの標本もどきは、N本さんが言ったとおり、一週間くらいでだめになってしまった。お菓子の空き箱ごとゴミ箱に捨てた。
候補地はまだ決まっていません。もう10年以上前のことだ。あれからどうなったのだろう。あの、数年でいっぱいになると言っていた穴に、今も無理やり押しこみ続けているのだろうか。
いつか耐えきれなくなって、ゴミが逆流する未来を想像する。高温で焼かれて、ドロドロに溶けたちり紙や、エロ本や、トンボが、わたしたちに向かって、いっせいに覆いかぶさってくる。
熱を、冷まさないと、しかし放水ホースの場所が分からない。ごめんなさい、訓練のときは銅像のことばかり考えて笑い転げていました。観念して身を任せてみれば、わたしもまたゴミの前のちりに同じ。
人間も、本も、銅像も、溶けて、等しく混ざり合い、あたらしい見せ物として生まれ変わる。