【書評/感想】葉桜の季節に君を想うということを読んだら、何かを始めるのに遅すぎることはないと気づいた
「何でもやってやろう屋」を自称する成瀬将虎が、同じフィットネスクラブに通う久高愛子の家族の死の謎に迫っていく物語。
小説ならではの、最後のどんでん返しがあり、驚くこと間違いなしの作品。
▼書籍情報
タイトル:葉桜の季節に君を想うということ
著者名 :歌野晶午
発行日 :単行本 2003年3月、文庫本 2007年5月
▼概要
全てを書くとネタバレになってしまうので、ざっくりと記載。
主人公である成瀬将虎、自殺を将虎に阻止された麻宮さくら、悪徳業者である蓬莱倶楽部の餌食となり蓬莱倶楽部の悪事に加担するしかなくなってしまった古屋節子、それぞれの視点での物語りが繰り広げられる。
読み進めていく中で、この人物相関図がどのように変化していくのか、
最後のどんでん返しをぜひとも味わっていただきたい。
この物語には、蓬莱倶楽部により傷つけられ、振り回された人々の生き様が描かれている。そんな中、諦めず必死に前を向いて生き抜く将虎の姿勢が、物事を始めることに遅すぎることはないんだということを改めて伝えていると思う。
▼感想
ネタバレありなら書きたいことはたくさんありますが、
この本は、最後のどんでん返しがなんとも痛快なので避けます。
ひとりでも多くの人に騙されてほしいので(笑)
とはいえ、将虎が最後に放った言葉がとても素敵なのでここに掲載。
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「どうして俺が特別な人間であってはいけないんだ。誰が決めた。
特別か特別でないかは生きてみないとわからないじゃないか。
優秀な人間を見て自分は敵わないと思ったら、その時点でもう負けだ。
自分の可能性を信じる人間だけが、
その可能性を実現化できる資格を持つ。
俺は生きている限り『何でもやってやろう屋』を続けるよ。
明日死ぬと決まっていても、今日のうちは、やることはやる。
だから君も、そう簡単に人生を放棄するな。」
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いくつになろうが、その時どんなことが起こっていようが、
「自分を見つめて、自分がやりたいことを挑戦する」ってことは変わらず、シンプルだ。
できない言い訳を考えるより、どうやったら実現するかを考え続けよう。
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