キャベツの投稿とクリキャベと #書もつ
先月発売された、創作大賞2023受賞作「クリームイエローの海と春キャベツのある家(せやま南天)」(以下、クリキャベ)を読みながら思い出した、せやまさんの投稿がある。
・・確か、あれはキャベツの話だった。
あらためて読み返してみると、なんとその投稿はクリキャベで描かれていた「家事」の話しで「母親」の話しだった。
小説家さんにも様々な方がいて、日常生活に近い視点で描く方もいれば、全く想像だにしないヒリヒリ感を描く人もいる。
およそ2年前から、もしかしたら物語の萌芽が生まれていたのかも知れないと思うと、驚きとともに少し嬉しくなった。
(恥ずかしいことに、僕はなぜか自分語りのコメントをしていた。)
せやまさんのインタビューを読んでいると、クリキャベには「これが書きたかった」という思いがあったようだ。そしてそれを読んだ読者が共感し、主人公に励まされているのだと思う。
クリームイエローの海と春キャベツのある家
せやま南天
初めてこの物語を読んだ時、主人公に感情移入することが多く、彼女が作中で考えたり気がついたりするたびに、自分もそうだそうだと頷いていた。
なぜかというと、彼女が新卒で入った商社からドロップアウトしてしまったからではないか、とふと思った。
もちろん、病気になってしまったり、仕事で体を壊してしまうのは不本意でしかない。残念だし、悔しいだろう。
だからこそ、そこに人間らしさのようなものを感じてしまう。
もちろん、大変な思いをしてまで仕事を続けるべきである、とは思わない。なにより、僕も同じように新卒で入った企業を辞め、転職した経緯がある。
仕事としての“家事”は、なぜか社会的地位のような価値観では低めに設定されがちだ。それは、保育や介護に関わる仕事でも同じかも知れない。
「誰にでもできる」と思われていること、しかしその現場には、真摯に働いてくれる人たちがいる。それを知らしめてくれる今作もまた、お仕事小説の醍醐味を感じ、新しい世界を広げてくれる読書体験になる。
この物語を読んでいて、主人公が関わっている家は様々な形があるかも知れないが、家によっては、”家事”は誰かがしなければならない仕事・・なのかも知れないと気がついた。
単行本として購入し、読み返していたら、主人公が関わる織野家の父親である朔也の言葉に立ち止まることになった。
これって、家事、だけじゃない。仕事でも同じように抱え込んでしまうこともある。自分でやった方が早いと思っているし、楽だと思っているうちに、どんどん時間が過ぎてしまって・・。
物語では、仕事である家事と、主人公の母親がしていた家事と、織野家の崩壊寸前の家事が交錯する。さらに読み手の家事が交わってくる。
どれも同じ「家事」という名前なのに、全然違うものを見ているようだ。我が家の家事も、いつだって積み残しては諦めて、少しでも成果があるとちょっと嬉しくなって。
この物語は、終わりがない家事をやわらかく肯定し、そこに暮らす読み手を明るく照らしてくれる。
これは帯にある言葉だ。
ふつう、”ふわり”というオノマトペが出てくると浮遊感や覆われる感じの動詞が続く。そこに”明るくなる”と形容詞が続いているのが、すごく好きだ。
ソフトカバーの柔らかな表紙、明るい雰囲気の装丁、読みやすい大きな活字。本を手にした時、新鮮な驚きがあった。
本を読み慣れている人に向けているというより、普段から忙しい人にも手に取ってもらいやすいデザインなのではないかと、ふと思った。
帯にコメントを掲載していただいたご縁で、重版が決まったことを、編集者Kさんからわざわざお知らせいただいた。
重版は、文芸作品では出版数のおよそ1割らしいので、とてもすごい。作品の力を間近で見せてもらっているような感じがする。
せやまさんと編集者Kさんが、この作品をとても大切に思っていることは比べようもないけれど、僕にとっても大切な作品になった。
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