王子様のまなざし #書もつ
各界に、王子様がいます。名乗っている人もいれば、呼ばれている人もいたりして。
ひところ、何でもかんでも若い男性を○○王子と呼ぶことが流行っていた時期があありました。王子ということは王様がいて、その子どもなのだから、王様の顔も見てみたいと思っていたのは、僕がひねくれていただけでしょうか。
これまで、何人ものエッセイを読んできました。
精悍な表情が垣間見えるサッカー選手の作品、テレビとは別の顔が見える役者の作品、どうしようもない日常が語られる作家の作品などなど。
どれも書き手がそのまま感じられるものばかり。・・本当に本人が書いているかは、深追いしません(笑)。だけれど、ただひとり、読むたびに「王子様!さすがです」と、謎の合いの手を入れたくなるエッセイがあるのです。
書いているのは、松浦弥太郎。
僕よりも年上の方々には説明がいらないかも知れません。ご本人の著作も多いけれど、彼が携わってきた雑誌(暮らしの手帖)を読んでいた方も多いと思うのです。
とはいえ、エッセイを読むことはできても、それについて何かを書こうなんて、畏れ多い。平民が王子様に意見するようなもので、天変地異もいいところである(考えすぎ)。
さよならは小さい声で
松浦弥太郎
僕は、彼の新しい作品を真っ先に読むことはあまりありません。この作品も2016年初版でした。
いくつも読んできた中で感じているのは、彼の行動力のすごさです。若い頃のやんちゃぶりはさることながら、若気の至りと括るだけでは終わらない、年齢を重ねても、さまざまな場所にいて、色々な人と時間を共にしているのは、才能と言えるのではないでしょうか。
そしていつもながら感心してしまう彼の作品は、常にその筆致が穏やかで、かつ高貴なのです。目の前の人を描写しているだけなのに、そこには敬意と憧れがありありと浮かぶような言葉遣いなのです。
ひとたび彼の言葉に浸ると、いつのまにか時間が穏やかに流れ、他人に優しくしようと静かに決意するような空気に包まれてしまいます。いったい、この感じは何でしょうか。
それは、彼がどの作品も真っ当に書いているから、そしてそれが読み手に伝わるからなのです。それを、彼はこの作品の冒頭でこう表現しています。
「僕はあなたが好きです」とは”少し”違う「僕は好きです」と、読み手の誰かに向けて真摯に書いているのです。それを受け取って、どう感じるのかは作品や読み手によって大きく違ってくるものの、大切な手紙として心の中に残るものも少なくないと思います。
エッセイに慣れていないと僕が自覚していた頃、読んでも恥ずかしくなるし、書くなんてできそうにないと思っていました。彼の作品は、その代表格でもありました。
僕の知らない遠くの世界で、あり得ないことが起こって、考えられない感情になっていて。そんなふうに、憧れにもならない遠くの存在として捉えていました。
その一方で、いつの間にか続けている「書く」ことを応援してくれたのは、すべからく彼の作品でした。
丁寧に、真摯に、しっかりと、そんな言葉で重ねられていく描写は、何度読んでも古く感じることはありませんでした。彼自身がいつまでも年齢が変わらないような、そんな感性を持っていて、それをお裾分けしてもらっているように励まされたのです。
書くことは、同時性よりもむしろ時間差があってこそ、その価値が発揮されると僕は思います。彼のエッセイには、その時その時の生身の彼が感じられるのです。
正直なところ、よくそんなふうに続けていられるなと疑問にも思いました。いちいち疲れないのだろうか、うっかり気持ちが揺れないのだろうかとさえ勘繰ってしまうこともありました。
しかし、彼のエッセイは、彼と接した人の姿もよく見えるのです。彼は鏡であり、メディア(媒体)なのかなと思いました。彼の言葉で「こんな人に出会って幸せだったよ」と読み手に伝えてくれる文章。読み終わりは、晴れ晴れとした気持ちになります。
優しさと敬意をもち、気品のある文章で語りかけられたような、そんな作品でした。