思い出の名画座
幼い頃、アニメ映画を何本かまとめて観るようなイベントがありました。たしか、長方形の小さなチラシが保育園や小学校で配られて、それを持って市民館のような場所で見た記憶があります。
テレビ番組を大画面で見るような、そんなイメージだったけれど楽しかったですね。そのころは、何が映画なのかなんて関係なくて、ただアニメだったのが良かったのかもしれません。
そんな体験から始まって、大人になる手前あたりに出会い、のんびりと映画を楽しんでいた、懐かしい映画館があります。
その映画館は、ギンレイホールという名前です。僕が出会ったのは高校生の頃でした。父と一緒に映画を観たのです。
残念ながら、そのときに観たタイトルは忘れてしまいましたが、2本観ました。入れ替え制ではなく、チケットを買って座れば、ずっと居られる映画館で、入り口には二つのタイトルのポスター。スクリーンはひとつ、いわゆる「単館」で、2週間ごとにタイトル2本が交互に上映される仕組みでした。
真新しい作品ではなく、数年前の封切り作品だったり、日本語とか英語でない言葉の作品も多くありました。
始めて訪れたとき、そこは昭和の雰囲気が残る(不本意に残っている風情でしたが)、とてもこじんまりしたホールでした。
大学が近くにあって、僕はそこに通うことになったのですが、学生の頃はなかなかホールまで足を伸ばすことなく過ごしていました。授業もサークルも、1人の時間がほとんどなかったのだと思います。
卒業して社会人になって、再びホールに通うようになりました。上映作の予告のためのリーフレットがあり、それを観て面白そうなタイトルがあると、週末に父と2人で通っていました。
いつだったか、名画座の人気が高まり、ホール側の取り組み(年間パスポート制)も相まって、お客さんがかなり増えてきたと思っていたころ、ホールがとてもきれいに改装されました。
映画離れが叫ばれる時代にあって、新作ではなく良い作品をコツコツと観られるギンレイホールは、まさに名画座でした。
ある時、意外な場所でギンレイホールらしき映画館を目にしました。
それは、原田マハの書いた「キネマの神様」という作品でした。表紙に描かれていた親子は、性別は違えど、僕と父を描いているようで、思わず手に取って読み耽りました。もちろん、その時は話の内容は一切知らなかったのですが。
読み進めてすぐに、ギンレイホールのある界隈のような街並み、開発工事計画、そしてありありと想像できるホールの雰囲気が登場したのです。
きっと、作家も何度も通っていたのではないか、ホールを出た斜向かいにあるスタバにも行ったはずだ、と嬉しくなりました。(本当にギンレイホールがモデルなのかは分かりません)
映画化もされて、今上映されています。映画になって、その描写がどのように表現されているのか興味がありますが、ギンレイホールだったら、冒頭からきっと泣いてしまうかも知れません(笑)
父と僕はホールに行くと、必ずと言っていいほど、近くにある、回鍋肉が美味しい定食屋さんでご飯を食べていました。
分厚い肉と、シャキシャキのキャベツ。タレが染みたご飯も美味しかった・・。あんなにたくさん観たのに、映画のタイトルはほとんど思い出せないけれど、アツアツの「ホイコーロー定食」は鮮やかに思い出せます。
意外にも、帰り道に父と映画の話をした記憶はあまりありません。父も僕も、映画を批評するのは嫌いでしたし、俳優を覚えるのが苦手だったこともあり、映画が好きだけれど、云々するのは苦手なのでした。
また映画を観たい、そんな名画座があります。
飯田橋・ギンレイホールのこと。
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