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誰も聞いてない「毎日更新して変わったこと」
毎日更新しているからと言って、話題に事欠かないのかというとそうでもないし、書くのが好きすぎるのかというと、そんなこともないわけです。
端的にいえば「毎日書く」と決めているだけです。
そんな風に勝手に決めて続けてみると、ひとつ変わったことがあります。それは、自分との対話の時間が増えている、いえ「格段に」増えていることでした。
投稿を作っている時には・・何を書こうか、これはどうかな、こんなの書くの、誰が読むんだろ、あれ良かったよね・・などなど。そして、誰かの投稿を読んでいる時には・・いいなぁ、これは納得、そうかなぁ・・などなど。
きっとこれまでも自分の頭の中で、声を出しながら本を読んだり、考えを深めたり、発見したりしているはずです。でも、noteにひとまとまりの話として書き上げるために、考えたり、読み上げたり、ツッコんだり、問うたりしているのです。家族の話を書いているときには、さらに妻や子の声も頭の中から聞こえてきます。
似たようなSNSとして、facebookがありますが、これは実名でもあることからnoteとは少し違うように思うのです。しかも、じっくり文章を書くことは、あまりありません。
noteでは、じっくり書くことができるからこそ、頭の中で自分と対話をしながら、言葉にしている感覚が強いのです。
これまでの投稿を思い返してみると、僕は、結論から書くことはあまりなくて、書きながら考えていくような時が多くあります。
例えば、子が観ている“おさるのジョージ”を観ながら書いていったら、どんな風に考えが出てくるのかな・・とか、そういうきっかけです。
エッセイを書くにあたって体系的にどんな風にとらえているのかと考えたとき、気づき(仮説)、観察、発見、考察のような分類をしているのかも知れません。
それぞれの投稿で、どの部分がそれにあたるとか、この順番を守りましょう、とかって話ではなくて、結果的にそう考えて書いていることが多いのです。
そんな中で大切にしているのは、自分なりの視点を見つけること。
僕には、実はこれが結構難しくて、ついつい一般的にはこうだよね、みたいな解決をしがちだったのです。
だからこそ、noteにはノウハウを書かなければ読んでもらえない、といった一般論に囚われる中で、独り言だから・・と謂わば“割り切って”書いている節がありました。
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誰も聞いてない「考えたことを書いている」マガジン
毎日更新をしている中で、気がついたこと、考えたことを書いている「誰も聞いてないけれど、お答えします」シリーズ。僕が考える「noteの街の歩…
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