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はじまりを作っている

子どもの通う学校では、学期ごとに学校公開があります。学校公開とは、授業参観のこと。いつのまにか授業ではなく、学校そのものが公開されるという取り組みになっていました。去年や一昨年は、きっと実施も懸念されたのかも知れません。幸いなことに、今年度は行われていたのでした。

僕が小学生の頃、学校に親が授業を見にくるのは、ちょっとした緊張の時間でした。まぁ、学校と家とでは違うことは当時は意識なんてしていませんでしたが、なんだか学校に母親がいるというのが、違和感があったのです。

二学期の学校公開、日程を知らなかったのですが、たまたま休暇をとった日と重なっていることがわかり、見にいくことができました。

学校へ向かう道すがら、僕の父親はどれだけ学校に来ていたのかなぁと考えることがありました。僕が小学生だった時には、授業参観は平日だったし、辛うじてあった土曜参観も年に1回でした。下に妹もいたので、同じ日に二人分の参観をしていたので、本当に短い時間だったように思います。

そんなことを考えていると、僕は学童への迎えも(たった数回ですが)ありますし、先日の運動会も、そして学校公開も行くことができています。これは、僕自身がどうということではなくて、社会がそれだけ変化しているということかも知れません。

仕事を休まなければ学校公開には行けませんし、早く帰れなければお迎えも無理です(実際、仕事がある日にお迎えは行けていませんが・・)。子どもに関連した行事は、当時と変わらないはずですが、父親が参加する、参加できる社会になりつつあるというのは、嬉しい変化です。


学校公開は、なんとなく教室に入りにくい雰囲気だったので、廊下で見ていました。当たり前のように、子どもが手を振ってきたり、ほかの子に親が来たことを告げてみたり。「ちゃんと授業を受けなさい」と視線で伝えたつもりでしたが上手く伝わらず(笑)

学校での様子を見ていると、苦手な科目と好きな科目があるようで表情にも差がありました。子どもたちは、本当にいろんな子どもたちがいる雰囲気で、賑やかでした。そんな中でも、やはり先生って大変だなぁと思わずにはいられませんでした。

教科書、黒板、黒板に貼ったシート、そして隣のスクリーンに映したネットからの動画など、さまざまな場所に視点を動かすことで、子どもの短い集中を繋げている工夫がありました。また、子どもたちが一緒に考えながら言葉にする時間をたっぷりとっていたりと、短い授業時間内であれこれと工夫があって驚きました。

社会の変化は、人の変化でもあり、その始まりでもある小学生という時期の教育。色々と課題はありつつも、やはり現場ってとても温かいなと思うのでした。知らない場所を見つめること、それは子の過ごす場所でも必要なのだと改めて気がつきました。

家に帰って来れば「宿題はやったの?」と聞いてしまいがちですが、学校が楽しい場所であると感じられるように、親としてももっと工夫しなければ・・と思ったのでした。


#学校 #授業参観 #学校公開


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