知らない、けれど、想うこと
いつの時期にも、さよならはあるもので。
今朝、数年前にお世話になった方からメールをいただきました。それは、良い知らせとはいえないものでした。大切な方との別れ。
最愛の方との別れを伝える、悲しさと感謝を伝えるものでした。
実は数年前に、その方が結婚された時にもメールをいただき、その中で、治らない病とともに暮らしていく、との言葉を目にしていたのです。
そんな経緯もありつつ、存命の頃でさえも僕は面識がなかったもので、ただただ受け止めて、静かに悼むこととしたのです。
闘病という言葉のように、苦しみながら闘っていたのなら、命の灯火が消えることは、とても悲しく悔しい中にあって、戦いの最中にいた身には解放でもあります。
家族との別れは、想像を絶する悲しみと、悔しさ、そして喪失感が襲ってくるはずです。そのどちらの立場にあっても、僕には祈ることくらいしかできない程に、その方々の時間とは別のところにいました。
過去にも、同じようなことを経験した記憶があります。それは中学生の時、僕は生徒会の役員として、生徒の親族の葬儀に参加するという経験が何度かありました。
悲しみに暮れる親族の中に、同級生や見覚えのある制服を見つけては、その子の悲しみはとてつもなく辛いとわかるけれども、祭壇で唯一笑っている写真の中の方は、殆どの場合、知らない方でした。
まだ、死が遠く離れており、不運としかいえないほどに現実味がなかった僕にとって、葬儀への参加は祈るための状況説明のような場でした。
亡くなった方が、安らかに眠ること、遺された家族が健やかにいること、それを祈るだけでした。何が何だか分からない僕には、そのくらいのことしかできませんでした。
夕方、明日で閉園してしまう「京王フローラルガーデンアンジェ」に家族で行ってきました。
本当は、5月末に閉園の予定だったのですが、宣言により営業自粛となり、お客さんが迎えられないままに閉園、となったのですが、惜しむ声が届き、明日まで無料開放されることになったのです。
明日で最後、ということですが、長くこの地にあって、そしてそんなに遠くない場所に住んでいた僕は、足を運んだことがありませんでした(妻は行ったことがありました)。
過去の写真が添えられていた入り口の看板には、往時の賑わいや笑顔がありました。広くはないけれど、四季の移ろいを感じられる場として、緑で町を豊かにするための場として、とても価値のある場所のように思えました。
閉園間際に足早に散策した我々ですが、ベンチや芝生には、同じように小さな子を連れて憩う家族がいました。どんな時代にも、同じような風景があって、木々はそれを眺めていたのかも知れません。
コンパクトな園内でしたが、豊かなみどりがあり、花がたくさん咲いていました。
閉園を知っているのは人間だけ、ではないかも知れない、と思うと胸が熱くなるのでした。