夢幻で無限
あぁ、これは、そういうことだったのか。
書いておきたいなぁ…そんなふうに思って書き始める手前、言葉の意味を考えていたら、あれもこれもと、気がついた瞬間がありました。
頭の中では、そのときの記憶が蘇り、感動が思い出され、考えていたことが結びつくように言葉が浮かびました。
東京の西部、府中市にある府中市美術館で開催されている展覧会「市制施行70周年記念 アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」に行って来ました。
結論から言って、僕にとってこの展覧会は、とても価値のある体験ができるものでした。月並みに、必見!とか、マスト!なんて言いたくなりますが、展覧会のテーマも構成も、そして何より展示されている作品群の多さと、素晴らしさが少しでも伝わればいいなと、強く思いながら書いています。
ちなみに、海外の有名画家の展覧会というと、巡回展が一般的ですが、これは巡回しません。府中市美術館のみでの開催となっており、それもまた希少性に拍車をかけています。心から、行ってよかった!と思える展覧会でした。
展覧会の名前にもなっている「ふたつの世界」とは、紹介によれば”版画”と”油彩画”のことを表しているようです。
ミュシャの作品というと、幻想的な人物像とデザイン性の高い背景やフレームを組み合わせた版画(縦長のポスターが多い)のイメージを持たれる方が多いかもしれません。一方で「スラブ叙事詩」と名付けられた一連の大作もまた多くの人に知られており、彼の作風の幅広さのようなものを感じさせます。
似たような関係性として、日本人の作品としては「浮世絵と肉筆画」の対比も、よく取り上げられているテーマです。浮世絵作家が、自らの筆で書いた一点ものの作品もまた、彼らの技術の高さ、表現力の豊かさを知らしめるものでした。
展覧会では、商用のポスターをはじめとした版画の作品群のほか、男性の肖像画や壁画を思わせる大型の作品も展示されていました。版画で表現される女性像の美しさやの装飾におけるデザイン性、緻密さ、先進性などはいうまでもないのですが、油彩画においても色彩へのこだわり、デザインも含めた素描が全て画家が手ずから行っていたことを認識させるに十分な作品でした。
ただ、この展示会では”ジャンル”としての「ふたつの世界」以外に幾つもの「ふたつ」があることに僕は気がつき、鳥肌が立つような昂りを覚えたのでした。
多くの展覧会において、通常、作品の展示は完成品が展示されているものです。「習作」と呼ばれる、いわば練習や構想のためのスケッチは申し訳程度に添えられていることがほとんどです。
しかし、この展覧会は違いました。多くの作品の傍に、習作あるいは下絵が飾られているのです。またその下絵の完成度たるや、画家の恐ろしいほどの画力が感じられました。拙い語彙で恥ずかしいのですが、下絵ですら”完璧”なのです。下絵と完成品との対比もまた、美しさへのこだわりを感じられる工夫でした。
また驚いたことに、下絵と完成品は所有者や収蔵施設が異なっているなどして、双方の協力があって実現した展示であることにも胸が熱くなりました。
画家の原点である「物語の挿絵」についても、その実物の書籍を展示し、こちらでも、スケッチと着色した作品を対比させていました。画学生の頃に描かれた、”若い”作品とのことでしたが、そんなことは微塵も感じられない、圧倒的な写実性を感じました。
府中市美術館は、都内にあるような有名な美術館とは異なり、天井高もあまり高くなく、広さもほどほどです。展覧会に訪れる前の僕は、ミュシャほどの有名な画家の展覧会であるとしても、そんなに多くの作品が展示できないのではないか、同年代の画家を一緒に展示してスペースを稼いでいるのではないか、そんなふうに思っていました。
しかし、実際に展示室に入ってみると、所狭しと多くのミュシャ作品が並んでおり圧倒されました。さらに、特別に設られた展示のための壁や窓により、かなり窮屈なレイアウトになっていました。そのことは非難するべきことではなく、濃密な鑑賞のための空間として評価できるものだと思っています。
入口で手にした「展示作品一覧」によれば、その数は126点!(常設展、展示期間が前期後期で異なる作品および図録にのみ収録された作品を含む)と、驚くべき数でした。
ミュシャはデザイン性の高さを評価され、デザインの教本や人物見本帳のようなものを出版していました。その原画についても展示されており、フレームの独特の形が、植物から着想を得ているものであることがわかり、その奥深さを感じるのでした。
個人的には、デザインと実用性を追求した考え方でアーツ&クラフツ運動の立役者であったウィリアム・モリスとミュシャが関連づけられていたことに、とても嬉しい発見をしたような気分でした。
生きていた時代は少し違うのですが、結果的に高価で手に入りにくいデザインになってしまったモリスとは対照的に、ミュシャのデザインは大衆に使用されていたことも、その時代の生活者が羨ましく思えるものでした。
その決定的な作品は、彼が無償で担った祖国の紙幣や切手のデザインでしょう。それらは今回の展覧会ではテキストで説明されている程度でしたが、彼の出自を考えれば、才能を他人のために使うという、芸術家として、あるいは人間として、最高の生き方ともいえる人生を送っていたことを目の当たりにしたのです。
展覧会の最終盤に、とても大きな油彩画が展示されていました。その絵の前に、ちょっとしたソファのようなものが設置されていたので、しばらく座って絵を眺めることができました。
特に解説を読んだわけではありませんが、画面の左側は暖色系で生気が感じられ、右側に映ると青白くて死の匂いがするような印象を受けました。謎の巨人が人々の前に手をかざしている不思議な構成の作品でした。
数年前、桜が咲く時期に都内の大きな美術館で、ミュシャを眺めていたことを思い返していました。子どもが小さく、ベビーカーを押して回っていました。大きな版画作品を見上げるように見つめては、単純な線の構成に”これは絵画なのか?”などと生意気に考えていたことを思い出します。
ミュシャに限らず、後世に残っている作品の多くは、その美しさや完成度の高さが群を抜いているわけで、そこに行き着くまでに画家たちは並々ならぬ苦労を重ね、試行を繰り返していることが、この展覧会によって改めて知ることができたのでした。
平日休みに、たまたま妻と一緒の時間があって「そうだ、府中に行こう」と向かった展覧会でした。当初「あまり展示数も期待できない」などとタカを括っていましたが、いざ観始めて、これは隙間時間にみるべき展覧会ではなかったと、妻と二人で歯痒い思いをしました。
二人して最後まで見終えたはずなのに、「もう昼ごはんとか適当でいいから、もう一回観よう」と、再度展示室に入ったのでした。図録の購入も、迷いに迷って、今回は購入せずに帰りましたが、内容もかなり充実していましたし、緻密なデザインを見せるために拡大図が多く配置されていたのも印象的でした。
会期は、12月1日(日)まで。大きな展覧会で用意されるような音声ガイダンスがなく、静謐で濃密な空間で、観ることに集中できました。そして、ミュシャの信念が込められた作品に出会いました。
画家と観覧者の「ふたつの世界」が、時代を超えて国を越えてつながったような、幸せな展覧会でした。