時々ある、こんなこと
書き溜めたい衝動が時々起こるのだけれど、それは衝動だし、結局のところ時間がなくて書き溜めることなどできないのだ。
書きたいことが溢れているわけでもないのに、書き溜めたいとは思ってしまうということは、毎日更新が少なからず負担になっているということでもある。
ただ、負担があるからといってそれが「よくないこと」にはならないと思うわけで。
嫌ならやめればいいじゃん、とはよく言ったもので、実際に「あれがいやだ」「これが嫌だ」と書いているものを読むのはとても辛い。というか、面白くない。
負担があるからこそ、投稿できた!という達成感というか安心感もある。そして、勝手に誰かが読んでくれると信じ、誰かが待っているとさえ思うのだ。
エッセイは、真実なのか、ノンフィクションなのか、という問題はあるにせよ、書く上では、いくばくかの演技をしつつも、記憶を呼び起こしては文章にしたり、自分の中で分からないことを考えながら書いてみたりする。
なんでも書いていいから、何も書けないことも、残念ながら、ある。
書き溜めたいとき、それは色々と思いついているときでもあるし、何も思いついていない時でもあるかも知れない。
じっくり時間をとって思い出したいこと、気がつきたいことを求めているのかも知れない。
そんなとき、結局、自由な時間なんてないから、朝か夜に訪れる機会を待つ。
通勤電車の中でスマホを凝視しながら指を動かしている。傍目には、ゲームをしているのと変わりないから、時々隣にいる人の視線も気になるが、ものを書いているのだと知ると、すっと視線が外れるのがわかる。
書きながら、次に何を書こうかと目を閉じて考え込むことがある。書き溜めるなんて、そうそう難しい。
投稿を認めるとき、僕は書き切ることがほとんどなくて、いくつかの下書きを少しずつ進めていって、乗ってきたらそのまま書き続けることをしている。
書きたいことや、言葉になるのに時間がかかる一方で、ひとつの光が見えた時に、そのままトンネルを抜け出るまでの疾走感が好きだったりもするのだ。
基本的には、僕の好きなことを書いているわけだし、誰からも要請はないから、あいかわらず書き溜められそうなことを、書き留められないまま今日も書いている。