引っ越し先なくなった話
この年になって実家に戻るなんて思っていなかった。
いまから4年前の冬、わたしは実家を出た。どうしようもない男につかまり、大恋愛の末ぼろぼろに傷つき、いい加減自立をしてひとりの人として生きていかねばならぬと漠然と思った。
とりあえず自立といえば一人暮らしだという安易な考えから職場の同期と共に家を探した。1K8畳築浅南向き、駅から徒歩15分(実際暮らしはじめて歩いてみたら20分くらいだった)、角部屋ウォークインクローゼット付き。こんなに良い条件の物件に巡り合えるなんてと歓喜し即決。実家からの引っ越しだったため、手続きはそこまで多くなかったと思う。
引っ越しに向けて何がいちばん楽しいかというと、家具家電を買い揃えることだろう。ベッドを買い、TVボードを買い、家電屋をめぐり掃除機と洗濯機と冷蔵庫を買った。掃除機はどうしようもない男が使っていたコードレスの使い勝手が良かったことを思い出し、同じブランドのものを買った。物に罪はない。
彼はオレンジを使っていた気がする。その当時はおしゃれな色で素敵だと思っていたが、別れた後はなんであんな派手で家に馴染まない色を選んだのか信じられないと思った。ちなみに私は黒を選んだ。
いま思うと、彼と過ごした日々は信じられないことの連続だった。誰がどう見ても、所謂「都合のいい女」でしかなかったのだ。渦中にいると、目の前のことすら見えなくなるのはざらである。そして誰の言葉も届かなくなる。正確には、耳には届いているが心には届かないのである。
このどうしようもない男のせいで失ったことは数えきれないし、数年たった今でも「私にしてきた数々の出来事を一生後悔して、この先幸せになる寸前で幸せになれない人生を歩め!」と思う気持ちがたまにある。
いや、わりとある。
一度ついた傷は年月が経てばどんどん修復されていくが、表面上は綺麗にみえていても、実は中身は膿んで炎症を起こしていたりする。だからふとしたきっかけで膨らんで弾け飛んで爆発する。
あ、これはまるでニキビだ。私の顎に最近よくあらわれる(この年だとニキビというより吹き出物という表現が正しいかもしれないが、実は両者に区別はないという)尋常性ざ瘡、慢性的皮膚疾患。
どうしようもない男との過去は、慢性の皮膚疾患だったのだ。
そりゃあ、繰り返し思い出して嫌な気持ちにもなるし、忘れたころにふと現われるから恨みも蓄積されるはずだ。しかし、名がある疾患ということは、正しい薬と予防方法があるということだ。
はやく消えるようにと間違った方法で潰して痕に残すなんて、治療費は余計にかかる上に時間もかかってしまいもったいない。正しい知識と、自分に合った治療法を選択して、新たなざ瘡が出来ないよう過ごすこと。規則正しい食生活と適度な運動と良質な睡眠を確保することが予防法。もし跡が残ってしまったなら、内服や外用薬では限界があるので、美容皮膚科に行くのも手だろう。
話をしていると、話の内容が飛びすぎだと怒られることが多い。結局どうしようもない男の話なのか、尋常性ざ瘡の話だったのかまとまらなくなってしまった。しかし、私は結構腑に落ちたので良しとする。
まあいろいろあったが、約4年楽しく一人暮らしをしてきたのだ。ちょうど家の更新と重なったので、わたしは引っ越しを決意した。引っ越し業者を依頼し、毎日果てしない荷造りをし、大量の段ボールと共にしばらく暮らした。ライフラインを整えるため各所に連絡をした。
あと1週間で、4年過ごしてきたこのお気に入りの家から離れる。家中を掃除しながら「磁石がつけられるキッチンの壁が好きだったな」とか「よく部屋のドアレール外れてたな」とか「階段にセミがいて降りられなくて、約束の時間に遅れたこともあったな」とか思い出したりしていた。次の新たな家でも、思い出が刻まれていくのだろうと思っていた。
そして冒頭の文に戻る。
ほんとうに、こんなことが起きるのかという出来事で、新年早々落ち込んだ。詳しく書くとばれてしまいそうなのでふんわりとしか書けないが、色々あって引っ越しの1週間前に新たな家を解約したのだ。まさかアラサーになって家なき子になるなんて。
情けないやら悲しいやら悔しいやら、この話をしながらぼろぼろ涙が止まらなかった。実家はこの一連の事情を知っていたので「とりあえず戻っておいで」という優しさに甘え、引っ越し先を急いで実家にした。そこからはもう、また各所に連絡する日々。仕事前、休憩中、仕事後などずっと電話していた。
そんな日々を終え、実家に戻り1か月半ほどが過ぎようとしている。とにかく当時は辛くて思い出しては泣いていたが、有吉の壁とか観ながら大笑いしている日常が戻ってきた。もう、とにかく笑って、これを笑い話にしていくしかないと思う。
いま、私と付き合っているひとがいれば「いいタイミングだね!」なんていいながら同棲がはじまったのかもしれない。でも残念ながらいなかった。その事実はいまだに受け止められなくて泣けてくる。
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