いわゆる毒親が生まれ変わった話。
私は19歳から家を出て一人暮らし。それ以降、実家で暮らす事はなかった。
母は変わり者で、近所の人からも親戚からも煙たがられていた。
お酒が入ると余計にチンピラみたいだった。
一人暮らしをしていても、母からは『アンタはそんな子じゃなかった。』等を綴った不幸の手紙が数ヶ月おきに届くことはあったが、食料などを送ってくれたことはなかった。
20時以降の電話は、必ず酔っていて絡まれるので、出ないようにしていた。
一人暮らしの友達の家に遊びに行くと、段ボールに敷き詰められたインスタントや、お米などが実家から届いていて、親に愛されてて良いなと思っていた。
10年前、鬱と診断された時は、初めて叔母(母の姉)に、母と縁を切りたいと言った。
叔母は『わかったよ。でも戸籍は抜いたらいけんよ。うちらが間に入ってあげるから。』と快く引き受けてくれた。
それから、携帯の番号を変えて、引っ越しをして、10年間母親から私に直接連絡を取れないようにした。
私から用事がある事はなく、母が用事がある時は叔母や従姉妹から伝言をしてもらっていた。
4年ほど前、母は大きな病気をした。命に関わる大手術もした。
その時は、叔母に『本当に死ぬかもしれないから今のうちに会ったほうが良い』と言われた。それでも私は会うことができなかった。
そこから母は回復したが、介護認定を受けた。
今回、私がまた通院するようになったのはコロナが始まって1年を過ぎた頃だった。
最初は毎日、泣く日々が続いた。
カウンセラーには『愛着障害が根底にあって、それを治すにはお母さんの協力が必要だけど、それは貴方には難しいと思うので私をお母さんだと思ってやっていこうね。』と言ってもらえた。
通院し出してすぐの頃、彼氏が出張中に、早朝大きな不安に襲われてパニックになってしまった。この頃の私は本当に鬱真っ只中で、病院の先生方か彼氏としか話が出来なかった。
どうしよう・・・。
一か八か、ダメ元で非通知で母に電話をしてしまった。
そしたら母は電話に出てくれて、泣きながら話す私を1時間半ほど、ただひたすら話を聞いてくれた上に『本当に申し訳ないことをしたと思ってる。』と謝ってくれた。
母の話によると、死ぬ思いをして初めて周りの人たちに感謝するようになったらしい。
昔の母なら、何でもかんでも気に入らないことがあるとチンピラのように絡んでいた人間が・・・。
そこから、母と私の関係は、毎日『おはよう』と『おやすみ』のメッセージのやり取りをするようになった。
母は『大切な○○ちゃんへ』と必ずつけてくれるようになり、私は必ず『ありがとう』をつけるようになった。
今では、美味しい物や、私が子供の頃から体調が悪くても唯一食べられる果物を送ってくれるようになった。
こんな嬉しい事はないよね。
親と言えど一人の人間、未熟なところもあると思う。
私の母も親に傷付けられた人。それで拗らせてた部分もあると思う。
母は、親にもらえなかった愛情を、ひたすら私にぶつけていたのかもしれない。
それは縁を切っていた時も、わかっていたけど耐えられなかった。
ずっと『親は大事にしないと』と私の母に会ったこともない人達に沢山言われて、呪いのように背中に背負っていたけれど。
今となっては距離を置いていた時期も正解だったなと思う。
最後まで、こんな重苦しすぎるのを読んでくれて、ありがとう。(苦笑)
実は、私にとっては感謝しかない存在の叔母も実は拗らせていて。
そりゃそうだよね。うちの母と姉妹なんだから。親が一緒なんだから。
叔母は娘が2人。その2人は、ひとりっ子の私の血が繋がったお姉ちゃんのような存在だった。
特に下の、お姉ちゃんは子供の頃から私と気が合う特別な存在。
お姉ちゃんが学生の時は男女からモテモテで困っていた様子だった。美人で凄く優しくて明るいお姉ちゃん。
そんなお姉ちゃんまで、数年前鬱になってしまった。
そんな叔母の拗らせ家族の話も、私目線でいつか綴ります。