海外行って、価値観を広げて、で、それで?
海外に行くと価値観が広がる、
今まで知らなかった世界を知ることができる、
みんなそう言う気がします。
けれどそれは嘘をついているわけでも、誤魔化しているわけでもなくて。
海外でする経験は、国ごとにもその人のバックグラウンドごとにもそれぞれ違います。当たり前のことですが。
それぞれ一言では言い表せないような経験、酸いも甘いも「色々な」経験をするから、まとめて「価値観(視野)が広がる」になるのだと思います。
「視野を広げるためにも海外に行ってみたほうがいい、行ってみたらキミも分かるはずだ」
オトナたちが皆そう言うからには、「視野を広げる」というのはさぞかし素晴らしくて重要なことなんでしょう。
なぜこんな他人事な言い方になるのかというと、
今まさに海外にいる身として、私の視野は本当に広がっているのか、それが何かの役に立っているのか、正直なところよく分からないのです。
そこで、「視野(価値観)を広げる」とは一体何なのか、整理してみようと思います。
海外にいて得られているもの
私は一体、海外で何を得ているのか。それを紐解いてゆきます。
海外で暮らすにあたり私は、
日本、東京という私にとっての母国であり故郷であり20年以上暮らしてきた場所から、つまりコンフォートゾーンから、飛び出てきました。そこで、
社会における文化、政治やルールの違い
個人個人の考え方、常識の違い
をひしひしと感じています。
これらを間近で見て感じられることは、遠くの世界のことを想像するしかない状態よりも、情報の量という観点でも範囲という観点でも、広く深いという実感が確かにあります。
そして情報とは、誰かの言葉で聞かされるよりも、自分の経験と結びついている方がはるかに記憶に残ります。
つまり、これが海外に出てみて得られる視野の広さであり、深さであるということでしょう。
では、視野を広げるには、海外にいくしかないのでしょうか。逆に、海外に行きさえすればいいのでしょうか。
視野の広さは、海外でしか得られない?
現状、現地に赴き得られる(入ってくる)情報とメディア(マスメディア及びSNS等)というフィルタを通して得られる情報では、量も範囲も深度もギャップが生まれてしまうのは事実かなとは思います。まさに「百聞は一見にしかず」。
ただ、近年の情報伝達テクノロジーの進歩により、その差は埋まってくるかもしれません。発信者には誰もがなれるようになり、発信媒体も文字から音声、写真、動画と発展してきています。探しに行くという行動をすれば、いくらでも情報が得られるようになってきました。その分情報は溢れるほどあり、物理的なアクセスに加え、(信用できる情報に)アクセスしようという意思の違いが大きく情報格差を産むことになってくるかもしれません。
「視野を広げる」という点において、主体性、特にいかに自分と「異なる(遠い)」情報にアクセスしようとする意思が鍵になってくるということだと思います。
海外に出てみることが、視野を広げる上で大きなアドバンテージになるのは間違いないですが、情報や発信の多様性が日に日に広がる今、より個々の意識や行動が問われてくるのではないでしょうか。
「価値観が広がる」の意味
では、そのような自分のよく知っている世界とは違う世界を見るという経験を経て、具体的には何が得られるのでしょうか。
❶偏見のない目で見られる
どんな人でも、自分の知らないものや自分の見知っていたものとは異なるものを見たとき、「あれは変だ」と異物のように認識してしまいます。
より広い世界への見聞、知らないことでも知ろうとする意思、そして自分の知らない考え方、意見、常識、文化が世の中にはまだたくさんあるんだという認識を持っていることで、知らないものへの偏見、恐れを取り除くのに役立つでしょう。
この「まだまだ自分の知らない世界が広がっているんだ」という認識、いわば無知の知は、
❷他人の意見を受け入れられる
❸一つの考えに固執しない
❹物事を俯瞰できる
といったことにもつながり、価値観が広がるということの一つなのでしょう。
❺感情に振り回されて判断を誤らない
また、ネガティブな気持ちになったとき、その気持ちに引きずられなくとも事態が好転することを知っているため、冷静な判断が下せるようにもなるでしょう。
これらが、私の考える「価値観が広がる」の正体です。
価値観を広げた「その後」
では、主体的に価値観を広げようと努力している人は、何を考えてどのようになりたくて、そのように行動しているのでしょうか?
価値観を広げた先には何が待っているのでしょうか?
もう少し深掘りしてみます。
❶選択力、分析力
多面的な意見や発想を見聞きし受け入れてきた経験から、持てる選択肢が増えると共に、そこから何を選ぶのが最適なのか、その場に応じて考えることができるようになります。
❷発想力
「発想」「アイディア」という言葉を前にすると、一見、何もないところから誰も考え付かなかった未知の発明をすることのように思ってしまいます。
しかし、アイディアマンというのは大抵、たくさんのインプットから、既にあるアイディアを掛け合わせたり、別の場面で使われたアイディアを応用したりするのが上手な人のことを言います。だから、視野の広い人の方が発想力が豊かになるわけです。
❸ポジティブな行動力
自分にできるわけがない、これがうまくいくわけがない、という偏見を持たないため、事態を好転するための行動にすぐ移ることができます。
❹信頼
仕事など他人と何かを一緒に行うとき、多くの人々と意見を交わしながら、最適と思われる方向に向かって足並みを揃えなくてはいけません。
他人の意見を一度受け止めさまざまな意見を取り入れ、相手の立場に立って物事を考えることができ、思い込みや決めつけを捨てて取り掛かる姿は、人からの信頼を得ます。
価値観を広げた「その後(自分はどう行動するのか)」を意識していないと、これらは得られなさそうです。
どう変わるかを意識せずに、ただただ、価値観を広げよう、自分を変えよう、と鼻息荒く海外に出ても、思ったようには変わらないかもしれないということ。
「とにかく外に出てみろ」という意見に従ってみる素直な心はとても良いけれど、それに満足してその先の行動をせず、「変わる」ことを期待しすぎていては、期待外れな結果になるかもしれません。留学は魔法ではありませんし、人間はそう簡単には変わらないものです。
厳しい言い方になりました。
ただ、想像したような「輝く自分」になれなくとも(なったという実感がなくとも)、海外に出てみること、および価値観を広げる意味はあると私は思います。
海外に出る目的、価値観を広げる目的を考えるとき、大切なことがもう一つあるのです。
❺自分や自分を取り巻く環境の「定義づけ」
留学に行くひとは、「自分を変えたい」と考えている人が多いです。❶〜❹で挙げてきたようなものを見ると、さぞかし留学後の自分は身も心も生まれ変わり輝いているんだろう、という期待を持ちます。
しかし、人間の本質が大きく変わってしまうような経験をすることは、たとえ海外でも稀だと思います。
むしろ、変わらない自分を意識する機会が私は多いです。
「この人はこう考えるけれど、私はこう考える。」
「この国のこういう文化は素敵だけど、母国のこの文化も大切にしたい。」
という気づきを得ることも、比べる対象がなければできません。
自分を知るために他を知る、ということが、価値観を広げることのもう一つの意味だと思います。
いかがでしょうか。読んでくださった皆さんの中の「価値観を広げること」に対する解像度が少しでも上がったら幸いです。