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Vol.6/立場逆転? 過干渉のボーダーライン

母が肺がんの疑いという診断を受けてから、できるだけ母のもとに通うようにした。がんと確定するかどうかわからない現状で、心を折ってしまったり、気落ちして生気を失ったりでもされれば、N病院にかかるどころではなくなってしまうかもしれない。怖がりの母が、自分で自分の命を捨てるようなことはおそらくしないとは思うが、生きることを放棄しないとも限らない。

それまでは、何日も会わない日や連絡をしない日があった。それは、私自身が母の干渉を受けたくなかったからでもある。連絡をしたり、顔を合わせたりすれば、そのたびに仕事のことや生活のことにいろいろと小言を言われる。親としては子どもを心配するがゆえのことなのかもしれない。それでも、そこは私の領域であって、母が関与する領域ではないという思いが私の中にはある。そして、そういった線引きが母の中にはないのだ。だから、親としての心配が、子どもに対して支配的干渉になってしまう。

昔は、母が私を所有物のように思っているのではないかと感じていた。母にとって私は、自分の体裁を守ったり、自分の価値を確立させたりするための道具であって、それらが叶わなければ私の存在価値が失われるのではないかという気さえしていた。

今でこそそう感じることは昔ほどなくなったけれど、それでも母の《過ぎる干渉》を感じると、私は途端に心の中の防御壁を高くそびえたたせる。それはもう音速並みの速さで。

しかし、母が肺がんの疑いと言われてからは、母の干渉もそこまで酷く感じることがなくなった。たぶん、母自身にそんなことにかまけている心の余裕がなくなったというのもあるのだろう。いい意味で、自分に集中しているんだと思う。

そう考えると、過干渉や過保護をしてしまう親というのは、案外心や頭の中が暇なのかもしれない。それが正しいかどうかはわからないが、少なくとも暇がなければ、子どもとはいえ他人のことに意識を向けている余裕はないはずなのだ。

あるいは、自分の中にある問題から目をそらして、子どものことを考えることで気持ちを紛らわせているのかもしれない。その問題が、無視できないほど大きくなったときに、ようやく《子どもよりも自分》になるのかもしれない。

いずれにしても、過剰な干渉や保護欲というものは、相手(子ども)への純粋な関心とは程遠い。

話を元に戻すが、母のもとに2~3日に一度の頻度で通うようになり、会わない日には最低1回は電話をするようになった。少しでも母が病気のことを考える時間を減らせれば、と思ってのことだったが、ここにきて反対に自分の領分というものを考えるようになった。

「いま、わたしが母にしていることは、過保護なのか。過干渉なのか。それとも適切な距離感でやれているのだろうか?」

こんな考えが、いちいち頭の中に浮かんでくる。正直なところ、どこまでがちょうどいい塩梅なのかがわからないでいたのだ。ここから先が過干渉で、あるいは、ここから先が過保護で、というラインが、私にはわからないのだ。

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1,295字
胸の奥に今もまだ残る母への確執。その母の肺がん発覚。治療内容を含めて、それからのことを赤裸々に。

肺がんになった母の闘病記兼忘備録

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