後悔のない人生を生きる、そのためにできること
自分の人生は、自分で決める。
そうしたいと願っていたし、そうしてきたつもりだった。
だけど、実際にはどうだったんだろう?
私は本当に自分でなにもかも決めてきたのだろうか?
今回は、ゆっこさんのこちらのnoteを読ませていただきました。
読むまでは正直、自分の人生は自分で決めてきたのだと思っていました。
それは、決して間違いではない。
だけど、膨大な選択肢の中から選んだわけでも、まっさらな状態から自分で考えて選んだ人生ではなかった。
片親で育ったので、金銭的な問題は大きかった。私立の高校を受験することも許されない。
その先の進学を考えるのであれば、高校時代のバイトは必須。受験勉強でバイトを辞める選択肢もなかった。
限られた選択肢しかなかったけれど、それでも結局それは自分で決めてきたことにかわりはない。選んだ結果、もう少し踏ん張っていたら、とか考えないことがなかったわけじゃないけど、決して環境を恨んだわけではなかった。
「自分で決めたんだから、自己責任でしょ」
大人になった今なら、それも納得して受け入れることができるけど、たとえばあのとき第一志望の公立高校の受験に失敗して、滑り止めもない中ランクを下げなければいけなくなったとき、この言葉を投げかけられたのなら、きっと反論していた気がする。
選ぶことができるって、財産なのだと思う。
お金では買えない財産。
好きなように決められる自由は、お金があってもどうしようもない。
だけど、自分自身で選んだことにかわりはなくて、その選んだ道はいくつになったってまた選び直すことはできる。
そんなとき、自分の環境を嘆いたりするのではなく、積極的に選択したいって思う。
後悔のない人生を。
じゃないと、自分の人生に責任取れないよね。
ゆっこさんの考えに、とても納得して、何度も読み直しては頷きました。
「責任」というのは、起きた結果に対して取るだけではなく、引き受けてなすべき任務なんだ。
仕事の責任であれば、仕事をやり遂げて成果を出す任務。
子育ての責任であれば、子どもを育てていく任務。
責任を取るということは、それをきちんと見つめること。
失敗は誰にでもある。それを責めることは正しいのだろうか?
そうじゃなくて、その失敗をもう二度と繰り返さないように原因を考えたり、向き合ったりしなければ、責任を取ったことにはならないんじゃないか?
逃げ出すのではなく、向き合う。
そんな責任の取り方ができるのは、自分自身がきちんと自分の人生に向き合ってきたからなのだろう。
選択肢の狭さは嘆かない。
親は選べないのだから。
でもその先の人生は、自分の手で開くことができる。
そんな社会であってほしいと思ってる。
ゆっこさん、とても素敵なnoteを読ませていただきました。
ありがとうございます。
2020.12.29
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