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②ハッピーエンド好きのオタクが劇団四季の『ノートルダムの鐘』を観劇したら刺さりすぎて抜けなくなった

2回目の観劇、2023年2月11日(土)夜公演で1回目とは違う角度から情緒をズタズタにされた編です。

観劇日から物凄く日が空いているのですが、観劇後の殴り書きメモを元に今日までジワジワ整理して書き足して整えて…した文章なので、かなり鮮度は落ちてます。
フレッシュな衝撃と感情をちょっと(かなり?)煮詰めて味付けした備忘録です。

全体を通して「初回に気づかなかったことに気づけたり、気に留めていなかったセリフや表情にグッときたり、2回目観劇後の時点で『ノートルダムの鐘』の魅力の深みに足を取られて、もう抜け出せないところまで来てしまったかもしれない…と思いました。」ということが書かれています。


今回のキャストボード

2023年2月11日(土)夜公演
今回は終演後に呆然としながらも自分でキャストボードを撮影することができました

2回目の観劇で特に刺さったのは以下の3つでした

  • キャストさんの違いによる気づき

  • 1回目より余裕を持って見られることによる気づき

  • 飯田達郎さん演じるカジモドの報われない愛

1回目は物語の流れとセリフと歌詞を追いかけるのに必死になってしまいがちなので、2回目は初回を踏まえてここ見ておきたいなとか、ここどうなってたっけ?というところを見られるのが本当に良いですね…
それでもまだまだ気づけていないことあるし、見たいところはもっともっとあるのが舞台の恐ろしいところです。


ご注意ください!

※レポではなく完全に個人の感想です。むしろ呻き声とか心の声の垂れ流しに近い。
※ストーリーや演出についての重大なネタバレが含まれます。

※めちゃくちゃ長い(約1万4千字)

※ 舞台の感想のようなものはほとんど書いたことが無い上に劇団四季に関しては素人のため、広い心でお読み頂けますと幸いです。もし間違いやご指摘ございましたら教えてください。


劇団四季公式サイト、作品紹介ページはこちら


私の1回目の観劇(2023年1月14日(土)昼公演)「初見の悲鳴編」はこちら
※続きの要素はほぼありません


今回は初回のnoteより乱文感が増しているような気がしますが、個人的な長文お気持ち感想文にお付き合い頂ける方は下の目次からどうぞ!

2回目の観劇に至るまでの経緯

私が初回の観劇で完全に打ちのめされてしまい、「もし観に行くなら覚悟を持ってどうぞ」と発言したところ、友人2名が「実は気になってたんだよね…」と恐る恐る反応してくれました。

実はこの2名の友人も程度の違いはあれど私と同じくハッピーエンド好きなオタクでして、みんなで観れば怖くない理論でチケットを確保して一緒に観に行くことになりました。

またあの素晴らしい歌を生で聴けるんだ、あのお芝居を肌で感じられるんだという嬉しさ&友達の初見の悲鳴が聞けるぞ〜というよこしまな気持ちで観劇当日を心待ちにしていました。

そして観劇の週の月曜日、公式ホームページで公開された「今週のキャスト情報」をドキドキしながら確認したところ、メインとなる5人の登場人物を演じるキャストさんが1回目とは全員違う!!
「同じ物語を異なるキャストさんでもう一度見る」という経験がほぼ無かったため、とても新鮮な観劇体験になりそうだと思いました。

そして、カジモド役は飯田達郎さん。
前回一緒に観劇した友人(ノートルダムの鐘を複数回観劇済み)が「飯田達郎さんは初演からカジモド役を演じている方で、本当にすごいから1回は見てほしい」と言っていたお方!
ドキドキワクワクソワソワしながら土曜日を待ちました。


劇場に到着

開演前はアナウンスがあるまで自分の座席から舞台のお写真を撮ることができます。
ボンヤリした写真ですが、この上から差し込む光が本当に綺麗なんです…生で見て欲しい…

座席で開演を待っている間、あの物語を、結末を、衝撃をもう一度受けて私は耐えられるんだろうか…???という、1回目開演直前とは違う意味での緊張と不安に襲われていました。
隣に座って双眼鏡のピント合わせをしている友人2名の方が初見なのに確実に私より落ち着いていて、私が2人を引率していたつもりが逆に「大丈夫?」と心配される始末。どんだけ挙動不審だったんだ…


キャストさんの違いによる気づき
&メインキャストさんの印象

2回目はメインとなる5人の登場人物のキャストさんが初回とは全員違ったため、演じる人と組み合わせによってこんなに違いがあるんだなぁ!ということがまず発見というか、新しい気づきでした。
これまで私はシングルキャストの舞台を観劇する機会が多く、ダブルキャストの舞台も片方の組み合わせ、または特定のキャストさんしか観たことがない、ということが多かったので新鮮な体験になりました。

物語の持つ熱量やメッセージや得られる感動はもちろん前提として存在しながら、キャストさんそれぞれのお芝居や歌で魅せられたり化学反応が起きたり…というダブルキャスト、トリプルキャストの魅力に気づいてしまった、という感じです。
この沼、めちゃめちゃ深くないですか、大丈夫ですか。


カジモド(飯田達郎さん)

光と闇の落差激しめ
純粋無垢で、青年なんだけど少年、幼い子供のようにも感じられました。

プロローグでカジモドに「なる」瞬間を目の当たりにするのは2回目でしたが、知っていてもこの演出は鳥肌が立ちますね…
私が舞台観劇にハマり出したきっかけの『ミュージカル刀剣乱舞』シリーズが、メイク・ウィッグ・衣裳を完璧に装備してから舞台に現れて、本編が終わってカーテンコールの挨拶の時も、客席から見えなくなるまでずっと役を貫き通してくれる、というちょっと特殊なカンパニーなので、なおさら舞台の上での公開変身に衝撃を受けたのかもしれないです。

「どこに違いがあるのだろう?」の流れるような旋律に合わせて流れるように墨を塗って役を纏うのあの瞬間は、本当に芸術的で美しい…
さっき舞台中央に真っ直ぐな視線と姿勢で現れた青年と、今目の前にいる歪んだ顔と曲がった立ち姿のカジモドが同じ人だなんて信じられない気持ちでした。

飯田さんのカジモドは歩く時、座る時、話す時、動作の一つ一つが身体に染みついたように自然にぎこちなくて、動きづらそうで、生まれてからずっと鐘楼の中で、その身体で生きてきたカジモドなんだという説得力がすごかったです。
歪んだ表情や動き、特に指先の動きがすごく大胆かつ細やかで、双眼鏡でずっと追っていたい…と思いました。


『世界の頂上で』『天国の光』では舞台全体がキラキラ輝いて見えたし、『奇跡もとめて』『石になろう』では暗くて重くて息が詰まるように感じました。飯田さんは空気の色を変えられる特殊能力者なんでしょうか??


フィナーレで「答えてほしい謎がある 人間と怪物 どこに違いがあるのだろう」の「怪物」のフレーズを歌う一瞬だけ、飯田さんが片目をすぅっと細めていたことに気づいてしまって、もう鳥肌が止まらなかったです。
終演後ずっとずっとあの一瞬の仕草を思い出しては「すごいものを見てしまった…」と、ため息をついていました。


フロロー(野中万寿夫さん)

1回目に見た道口さんフロローよりも落ち着いていて、僅差で暖かさ強めの養父感を感じました。

前回、道口さんフロローのカジモドに対する「アフロディジアス!!!」の叱責が怖すぎて強烈に記憶に残っていたので、今回もそのシーンは(来るぞ来るぞ…)と思って構えていたのですが、野中さんフロローは「キレる」というよりは「厳しく詰める」という印象。(どっちも嫌だ。)

立ち振る舞いや話し方から、自分が正しいと思うものを信じて、正しいと思う生き方をして、現在の高い地位に登り詰めた厳格な人間なんだということが伝わってきました。
そんな男がエスメラルダとの出会いによって、自分が敷いてきたレール、これから進むであろう道筋から逸れて最後には文字通り転落する…その過程で混乱して動揺して乱されていく落差が激しくてよかったです。


エスメラルダ(松山育恵さん)

しなやかなダンスと優しくも力強い歌声が魅力的でした!
ジプシーとしての凛とした表情も素敵でしたが、2幕の松山さんの泣き出しそうなのを堪える切ない表情と包み込むような温かいお声が特に印象に残りました。

『世界の頂上で』でカジモドの目を真っ直ぐ見つめて頬を触って、優しい表情を浮かべるエスメラルダは聖母のようにも感じて、高いところが苦手でアワアワしている時は年相応の少女であり、いろんな表情が見られて本当に素敵でした。

牢の中でフィーバスとともに歌う『いつか』では、それまで気丈に振る舞っていたエスメラルダが崩れ落ちて、涙を流しながら歌う様子に胸が締め付けられました。
涙が頬をつたって本当にボロボロこぼれ落ちるんですよ…見ていられないくらい辛くて切ないのに、美しい光景でした。


フィーバス(佐久間仁さん)

女遊びめっちゃやってそうな色男が来たぞ!!!!!
甘さと男らしさとチャラさと真面目さの絶妙なバランス。「女なら誰でも惚れてしまう、そんな色男」の説得力がすごい。身長が高い、足が長い、お顔小さい…

フィーバス登場曲『息抜き』では戦場がフラッシュバックしているような彼の心の傷の表現に気づくことができました。
放心したように固まるフィーバスが忌々しい記憶を振り払って女の子と戯れているのは心の傷を無理矢理埋めているように見えて心が痛みました。

フロロー初対面時、当然のように右手を差し出してキス待ちのフロローに対して「ちょっとマジで?笑」っておちょくる感じの仕草をするフィーバスを目撃。さては佐久間さんのフィーバスはコミュ強だな??

詳しくは後述しますが、『エスメラルダ』の売春宿前でのフロローとの気まずい視線のやり取りや痛みを堪える表情とか、人間味のある表情や仕草がすごく印象的で、フィーバスという登場人物がより好きになりました。

『いつか』では床にへたり込んだエスメラルダをしっかりした腕で後ろから優しく抱き締めていて、エスメラルダのことを心から大切に思っていたんだということが伝わってきて……苦しい…つらい…


クロパン(髙橋基史さん)

カリスマ性のあるワイルドなクロパン!ジプシーの王様という称号がピッタリな風格を感じました。
あからさまに嫌そうな顔をするしニヤニヤ笑うし表情豊かなのに腹の底が読めないミステリアスさがある。

『タンバリンのリズム』の後、エスメラルダとタンバリンを奪い合って稼ぎの取り分で揉めてるっぽい攻防をしているのに今回気付いたのですが、油断ならない食えない奴感がめっちゃ良かったです。

髙橋さんのクロパンは絶対にエスメラルダに対して他のジプシー仲間以上の意識を抱いているな…と思いました。自分のやりたいように自由に振る舞うことへの嫉妬の感情なのか、もっと器用に生きろよっていう年長者なりの心配とか呆れなのか、エスメラルダに対して他のジプシー仲間より明らかに手を焼いてそう&気にかけてそうなので。
恋愛感情的な気持ちなのか、厄介事を起こす子供の保護者(仲間を束ねるリーダー)としての感情なのか…

今回はプロローグとフィナーレ両方の歌い出し「パ~リの朝」をクロパン役を演じる会衆が歌う、という見たかったポイントもしっかり見ることができました。
最初と最後の口火を切るのが同じ人っていう演出たまらないですね…


1回目より余裕を持って見られることによる気づき
&印象に残ったシーン

1幕

『トプシー・ターヴィー』
民衆がカジモドを道化の王様として担ぎ上げたあと、暴言と暴力をカジモドにぶつけるシーン。
最初にトマト投げた奴が可愛く見えるレベルで民衆の言葉と行動が徐々にエスカレートしていく様子がショックでもあり、怖くもありました。
誰かのちょっとしたことがきっかけで集団がどんどん過激になって止まらなくなる…
直接的に同じでなくても、こういう事って今でもいろんな場所で起きている事じゃないかと思いました。

縛られて、鞭で打たれて、傷つけられるカジモドがあまりに痛々しくて、怯えて縮こまった姿を見ているのは本当につらかった…
エスメラルダが毅然とした態度で荒ぶる民衆を制止→その場が静まり返る→恐怖に震えるカジモドに優しく声をかけて水を飲ませてやる→カジモドの絞り出すような「ありがとう」の一連のシーンは、私もあの広場にいる市民かのように本当にハラハラしながら目を逸らすことができずにジッと見つめていました。緊張感と臨場感が凄すぎる…

そのあとエスメラルダが落としていったスカーフを拾ってさりげなく匂いを嗅いで、そのまま持って帰ってローブ(?)のポケット(?)に隠すフロロー……匂い嗅いでる!!??!?!?
匂いを!!嗅いでいる!?!
と衝撃を受けました 前回も嗅いでましたっけ?!(毎回嗅いでます)

『世界の頂上で』
エスメラルダが鐘楼に上がってくることに気づいて石像たちがカジモドと一緒に焦って走り回ってアワアワしている「来ちゃった!」がコミカルで可愛かったです。
(ここなんでCDに音源収録されてないんだ…)

エスメラルダとおしゃべりする飯田さんカジモドの声色や明るい表情から、フロローと石像以外の人との会話が楽しくて嬉しくて仕方ない様子が伝わってきました。
エスメラルダとカジモドの表情も声色も本当にキラキラ明るくて『世界の頂上で』の歌声も最高すぎて、このままハッピーエンドに繋がるんじゃないかという錯覚を起こしました。そのあとフロローが駆けつけてぶち壊しになるのですが…

『世界の頂上で』終わり〜『酒場の歌』
フロローがカジモドに「あの女のことは考えるな、約束しろ!!」と激しく詰め寄るシーンは、フロローそれ自分に言ってますか??状態ですよね。
「エスメラルダ…エスメラルダ…」と静かに響くアンサンブルとクワイヤの声がフロローの頭の中にも響いているようで、すごい演出だ…と思いました。

カジモドにそんなこと言っておきながら、本人は夜出歩いてますってナレーションでチクられるフロロー。
「1人で寒い暗い部屋にいるのが耐えられなかったのだ(ニュアンス)」とのことで、エスメラルダに出会うまでは全くなんとも思っていなかったはずなのに、変わってしまったんだな…そうか……と思いました。

酒場にフィーバスと友人のフレデリック登場。2人仲良さそうで微笑ましいだけに、このあとの断絶を思うと辛い。

柱の影から酒場で踊るエスメラルダを見つめるフロロー……フロローがめっっっちゃ見ているのを見てしまう私(観客)
左手を柱に添えてじっくり見て、エスメラルダがフィーバスと熱烈なキスを交わした瞬間、ウワッと目を逸らすものの、それでも目が離せないフロロー。
ここ真ん中で抱き合うエスメラルダとフィーバスも見たいし上手からジッ…と見つめるフロローも見たいし、周りで踊ったりお酒飲んで歓談してるアンサンブルさんも見たいのに目が足りない!!!!

フィーバスと熱いキスをした後、生きるためには稼がなきゃ!って酒場を出ていくエスメラルダ、彼女を追いかけるフィーバスとクロパン、聖堂に帰って荒ぶるフロロー。エスメラルダに翻弄される男たち…盛り上がってきちゃったな、、、

『天国の光』
『天国の光』前のカジモドの「どっちを向いても彼女が見えるよ」発言で、つい先ほど『酒場の歌』前にフロローが「どこを見ても彼女が見えるようだ」と言っていたのを思い出して(あ~~~育ての親……)と思いました。
新しい推しにや新しいジャンルにハマってしまった時のオタクの反応と一緒だな…と思ったのはさておき、カジモドとフロローが同じ発言に至った事実に2人には切っても切れない繋がりがあるのを突きつけられたように感じました。

飯田さんカジモドのキラキラうっとりするような表情と明るく伸びやかな歌声で、本当に舞台全体が光に満ち溢れたようでした。
あの劇団四季の俳優さんにこんなことを言うのは逆に失礼なのかもしれないのですが、本当に…歌が上手い………歌が、上手い…すごい……の気持ちでした。
歌の終盤は「頼むからここで終わってくれ…この後の地獄には耐えられないかもしれない…」と祈るような気持ちで見ていました。

『地獄の炎』
この歌で一気にぐちゃぐちゃになるフロロー圧巻でした。歌っているのか独りごちているのか、自分に言い聞かせているのか…
「私のものにならないのなら、火あぶりにして殺せ!」の内からの炎を抑えきれないような、苦しそうな表情が印象的。

愛とか情念が捻じ曲がって憎しみと極端な執念に変わるさまを見せつけられたのが『地獄の炎』だと思っていましたが、2回目の観劇で野中さんフロローを見てからはフロロー自身からすれば間違ってるとか歪んでるとか全然なくて、自分が正しいと信じる道筋で物事を考えたらこういう結論になったってだけなのかもしれないと思いはじめました。
フロロー本人からすれば捻じ曲がってなんかいなくて、正当な考えと行いだった(と言い聞かせていた?)んだろうな…

『エスメラルダ』
冒頭でフィーバスに「そんな権限ありません!」って言われた野中さんフロローの「今は、ある。」っていう返しすごいねっとりしてた……

♪探し出せエスメラルダ
曲調は行進曲みたいで明るいのに地獄の旋律なんですよね。
ここから運命があの結末に向かってどんどん進んでいってしまう。

フロローと大聖堂警備隊が売春宿にやってきたシーン、ここめっちゃ好きだったんですが、売春宿の女将が「フィーバス隊長、また会えて嬉しいわ」と声をかける→フロローがフィーバスをチラと見る→フィーバスが女将さんに曖昧に笑いを返して、フロローの視線から目を逸らす、の細かいやり取りを目撃。
シリアスなシーンなのにめっちゃ気まずい!!お芝居が細かい!そういうの全部見たいよ!

フロローに刺されて重症を負ったフィーバスにエスメラルダが「自分のことだけ気にしていればいいのにどうして!(ニュアンス)」と聞いた時の返し「誰かが心配してあげなきゃ!」。
これ『神よ 弱きものを救いたまえ』のあとカジモドを追いかけるエスメラルダに対して、フィーバスが「何であいつなんか気にかけるんだ?(ニュアンス)」と聞いた時の返しそのままなんですね。
フィーバスもまた彼女との出会いで内面に変化が生まれているんだと気づきました。

舞台中央の階段にエスメラルダがいて、舞台奥にカジモド、上手にフロロー、下手にフィーバスの立ち位置で「あぁエスメラルダ!!」と歌い上げるのを聴きながら、「ヒェ~~~もう誰も後戻りできねぇ!!やめて!!!!!!!!!!」と心の中で叫んでいました。


1幕終了

神妙な顔でお手洗いの列に並ぶ私と友人2名。
「希望が持てない」「絶望しかなくない?」「ツライ…」と言葉をこぼす友人に「うん…」「はい…」しか言えなくなる私。
(自分も含めて)ハッピーエンド好きのオタクは希望が持てないとこんなにしおれた感じになるんだな、と思ってちょっと面白かったです。

終演後は一緒に頭抱えてため息つきながらごはん食べることになるね、と言いながら2幕の開幕を待ちました。


2幕

『エジプトへの逃避』
聖アフロディジアスの首落ち、ここ笑うところなのかな?と思いつつストーリー的にはものすごく重要で神妙なシーンなのでどういう気持ちで彼の首落ちを見ればいいのか分からない…笑

カジモドと怪我を負ったフィーバスが「ろくに喋れないくせに!」「そっちだってろくに歩けないよね!」と張り合っているのちょっと微笑ましかったです。
カジモドとフィーバスが協力は…してなさそうに見えるけれどエスメラルダに危険を知らせるという共通の目的に向かって渋々同行してる感じが良かった。

『奇跡もとめて』
エスメラルダフィーバスの希望、カジモドの絶望、僕の奇跡はどこに?
ここ私的今回のサビでした。希望と絶望のコントラストがどギツすぎる。文章量が多くなってしまったので別の項目に分けます。

ここではこれだけ言いたいのですが、フロローと警備隊の兵士が奇跡御殿に到着した時の副隊長が隊長を見つめる目が特別枠の目なのがめっちゃ刺さりました。
フィーバスの友人であり同僚としての自分と、フロローからの命令に従わなければならない大聖堂警備隊の副隊長としての自分の間で葛藤している感情があの目には詰まっていたように思います。

牢でのエスメラルダとフロローの会話。
エスメラルダの「あなたは怪物ね」に対してフロローが苦しげに「ここ最近で思い知った 私は人間だと(ニュアンス)」と返していて、この物語のプロローグとフィナーレで問いかけられる「答えてほしい謎がある 人間と怪物 どこに違いがあるのだろう?」を思い出して鳥肌。
本当にどこに違いがあるのだろう?

その後フロローがエスメラルダに迫るシーンでは、フロローの右手はスカートをグシャッと掴んで動かない。ここフロローが無理矢理なアクションを起こすのも、エスメラルダの叫び声も緊迫感ありすぎてほんとうに怖い
フロローの絞り出すような「愛してくれ…ッ」があまりに悲痛で、もう恐怖と一緒に憐れみも感じました。この人の愛はどうなったら良かったんだ……

「ではフィーバスはどうだ??」
フィーバスの命もエスメラルダ次第であると吐き捨てるフロロー。エスメラルダとフィーバスがお互いを大切に思う気持ちも利用してエスメラルダを自分のものにしようとしているのが、人の心を多少は分かった上で何にも分かってない感じで残酷すぎる。
そしてフロローがフィーバスの右肩を思いっきり突き飛ばして牢に入れるのが最悪すぎてマスクの下で引きつり笑いしてしまいました。そこ自分で刺したとこじゃん…
フィーバスが傷を押さえてうずくまっていた時「痛ってぇ~~」って顔をしていたのがよく見えて本当に痛々しかった…

『いつか』
松山さんエスメラルダと佐久間さんフィーバスのお声の溶け合いが本当に綺麗でした。
終演直後のなぐり書きメモに「願うわ 人間がもっと賢くなって そんな日がくることを」というフレーズを書き留めていました。
差別も争いも無くなっていない現状を思って、人間まだそんなに賢くなっていなくて、その日はまだまだ来そうにないと落ち込みながらも、明るい未来を願う気持ちは今も昔も変わらずあって、それを持ち続けることは無駄じゃないと信じたい、それを持ち続ける努力ができるようになりたいなと…

うまくまとめられないのですが、『ノートルダムの鐘』という作品の持つメッセージの普遍性というか、どこの誰にとっても自分ごととして考えられるところがいいなと思いました。

牢のシーンでも副隊長(今は隊長)が良かったです。
現隊長がクビにされた元隊長に向かって隊長!って呼びかけるのはもうそういう信頼関係なんよ…大切な人を失いたくない、切実な目でした。

『石になろう』
カジモドが「僕も石になりたい」と、人間であることをやめたいと歌いあげる悲痛なナンバー。自責や諦めなどの様々な感情がないまぜになっているようにも、心にぽっかり穴が空いて空虚なようにも感じました。
フィナーレでカジモドがエスメラルダ救出のため鐘楼を飛び出すシーンで「もう石ではいられなかった!」というナレーションセリフがあることからも、人間と怪物の対比と同じくらい人間と石(希望も絶望も意思も行動もない人ならざる石)が対比になっているのかな、と思いました。

『フィナーレ』
火炙りのシーン。泣きそうなのを堪えているエスメラルダの表情がつらくて見ていられない。最後の意思確認で唾を吐きかけられたフロローの表情は「嫌悪感と諦め、呆れ」に感じました。

火をつけられ、泣き叫んで気を失ったエスメラルダを襲う炎がメラメラと揺らいでいる様子が赤い照明で表現されていて、前回この照明あったっけ?と思いました。多分あったと思うのですが、初見時衝撃受けすぎてフィナーレの記憶が半分くらい無いんですよね…

カジモドの「やめろーー!!!」と「サンクチュアリーー!!聖域だーーーーーー!!!!」の叫びが劇場に、パリの広場に轟きました。
鉛を注ぎ込むシーンも飯田さんカジモドの怒りの気迫が凄すぎて、惨状を本当に目の前で見てしまったような、立ち会ってしまったような臨場感がありました。

その後のカジモドとエスメラルダのやり取りは本当に切なくて、小さなろうそくの炎が激しく揺れて吹き消えてしまうような刹那的な輝きを感じました。
エスメラルダがカジモドの顔を手で包んで「あなたも美しいわ」と言った瞬間、カジモドの目の色が変わった気がします。
エスメラルダとフィーバスは恋人のハグ、エスメラルダとカジモドのは親愛のハグだなあと思うと同時に、カジモドがエスメラルダを抱き起こして両手で支えている姿が、フロローが両手を開いてカジモドを胸に収めるのと同じ動きのように思えて苦しかったです。

フロローの「死んだのか… (小声)」が本当に消えてしまいそうなくらいか細い声で、これまでフロローから感じていた権力とか威厳がまるで消えてしまっていました。
エスメラルダのスカーフを恐る恐る手から落とす手つきが、どこか愛おしげに、名残惜しんでいるように見えて感情えぐられました。

エスメラルダに寄り添うカジモドがエスメラルダの頭の先からつま先まで慈しむように抱きしめている様子がとても印象に残りました。
スカーフをのエスメラルダの両手で包んで手を組ませて、その上に自分の両手をギュッと重ねて…大切なものが壊れないように、大事に大事にそっと触れるような動きでした。

「これでやっと元の生活に戻れるな」と言うフロロー。「本当にこれまで通りの暮らしに戻れるとお思いか?」と思う私と、「戻らない」と言うカジモド。
それでも戻れると言うフロロー。ほんとうに?
フロローの言葉の響きが空虚に感じてしまう。

彼女がいないならサンクチュアリーは無い。
カジモドが物凄い力でフロローの首を絞める。「悪人は、罰を、受けるんだ」の太い力強い声にフロローが一瞬ハッとした目をした気がしました。

カジモドが床に崩れ落ちたフロローを追い詰めている時、飯田さんの目が、黒目が小さくなったようにギョロッとしていたのが強烈で、目が凄かったこと以外記憶からすっ飛んでしまいました。
もう今までの力関係なんて無いんだと理解させられる一連のシーンでした。

フィーバスが来てエスメラルダに駆け寄った際のカジモドの「死んだ…」の声があまりにも弱々しくて胸が引きちぎられる…

カジモドがエスメラルダの身体を抱き上げた時、フィーバスがエスメラルダの手を握って、離れて、空ををかく→スカーフだけが彼の元に残るのですが、この憔悴して気力が抜け切ってしまったお芝居がすごかった…
フィーバスはそのあと下手に向かって力なく歩いて、ベンチのセットのところで力尽きてもたれかかるようになるのですが、「ああ、エスメラルダの死によって気持ちがプツッと途切れてしまったんだな」と思いました。誰も報われない…

フィナーレのラスト、フロリカの歌声に包まれながらカジモドがカジモドから1人の青年に戻るシーンは、「カジモドである」という宿命から解き放たれたようにまっさらでした。
発光しているのではないかと思うくらいまっさらな飯田さんから語られる物語のエピローグは、透き通っていて温かいお声も相まって夢なのか現実なのか、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、もう何も分からないけれどただひたすらに浄化されるような気持ちでした。


終演後、友人の初見の感想

劇場をあとにしながら友人がどう思ったか聞こうと思っていたのですが、2回目の自分もまあまあなダメージをくらってしまい一緒に呆然としていました。

ハッピーエンド好き友人から聞いた初見の感想の一部を箇条書きにしておきます

  • 思ったよりは大丈夫だったけど辛いものは辛い

  • 歌が上手すぎる

  • カジモドの障がいの表現すごい

  • エスメラルダが登場するシーンで私たち3人とも双眼鏡を構えていたのが面白かった

  • 酒場のシーンは目が足りない

  • エスメラルダとフィーバスが本気のキスをするのでびびった

  • フロロー気持ち悪い(褒めてる)、怖すぎる(褒めてる)

  • 歌が上手い

  • カジモドがエスメラルダを救出して「サンクチュアリー!」のシーンは一瞬希望を持った(そのあと裏切られた)

  • 地獄に突き落とされっぱなし、投げっぱなしじゃなくてエピローグでちゃんと回収してくれる感じが良かった

  • ただし回収はされるが幸せではない!

  • 救いは無いけど後味は胸糞じゃないから一応大丈夫

  • それでも救いは無いし辛いものは辛い

  • 音楽がめっちゃいい!

  • もう一回見たくなる気持ち分かる

友人と感想について話しているとき、フィーバスはあの後どうなったと思う?という議題が面白かったです。
友人①は「クロパン率いるジプシーたちと一緒に生きていったと思う」と言っていて、私は大聖堂の鐘楼であの時息絶えてしまったと思っていたので「フィーバス生存ルートもアリか!?!」と新しい視点をもらいました。
友人②がフィーバスのその後についてどう思っているのかその時聞きそびれてしまったので、また機会があれば聞いてみたいと思っています。

人によって、その回によっていろんな解釈ができるのも舞台の、ノートルダムの鐘の魅力ですね。


2回目観劇の個人的サビ、飯田達郎さん演じるカジモドの報われない愛

今回の観劇で私が一番傷ついたというか、印象に残ったのはカジモドの報われない愛についてでした。特に2幕の奇跡御殿のシーンは観劇直後から数日間頭がいっぱいで、かなり引きずりました。

奇跡御殿で全てを捨ててエスメラルダに着いて行く決めたフィーバスと、2人の心の強い結びつきを目の当たりにして取り残されて、座り込むカジモド。
センターで愛し合う2人に注ぐ光、下手の階段の上から見つめるカジモドの纏う昏い空気。
ひとりぼっちでなくなったエスメラルダと、ひとりぼっちじゃない世界を知って、またひとりになってしまったカジモドの強烈な対比に胸が締め付けられました。

『奇跡もとめて』で、ひとりではなくなった、「心を閉ざさずに」と歌うエスメラルダとは対照的に「ひとりで生きる、心を閉ざして」と歌うカジモドの声が重なっているのに気づいて、なんて残酷な対比なんだろうと打ちのめされてしまいました。
ここまで綺麗に対比させなくても良いじゃないですか……と、おそらく作詞者の計画通りに心に傷を負う私。希望の歌と絶望の歌を同時に耳に流し込まれる体験はそうそう無いのではないか…

フィナーレでカジモドはエスメラルダを腕の中で喪い、フロローを自ら投げ飛ばしますが、その後の言葉が「僕が愛した人たちはみんな横たわっている…」ですよ。
「僕の愛した人」にちゃんとフロローも含まれているのが本当に辛すぎる。

カジモドを取り巻く愛、彼自身の愛は歪な形だったかもしれないけれど、それでも一緒に過ごした月日と時間と交わした想いはあったわけで…
私自身、愛がなんたるか正解なんて分かりませんが、カジモドの愛は大聖堂を彷徨って、最後にはみんな死んでしまったことが悲しくて切なくてたまらないです。

飯田達郎さん演じるカジモドの幼さ純粋さと精神的な成長、希望、絶望、怒り、フィナーレでフロローを投げ飛ばす時の正気なのか狂気なのか分からないあの目…
初演から演じていらっしゃるということで拝見するのを楽しみにしていた飯田達郎さんのカジモドを、この目で見ることができて良かったです。本当にすごかった。


2回目観劇後、3回目の観劇に至るまで

2回目の観劇日から2日後にApple Musicにミュージカル『ノートルダムの鐘』のサウンドトラックがあることに気づきました。それも原語版と劇団四季版2バージョン(カジモド役のキャストさん違い)の3つも!
生歌の余韻に浸りたい気持ちと、音源を浴びたい・原語版と聴き比べしたい気持ちがぶつかり合った結果、その日からサウンドトラックを聴きまくる日々が始まりました。

歌詞を文字として頭に入れたり、原詞の意味を調べたりしながら考えたことは、歌詞を知った上でもう一度観たいということ…

ここからめっちゃスピーディーなのですが、今回一緒に観劇した友人2名とは別の舞台好き友人③とランチした時に「ノートルダムの鐘良かったよ〜!」という会話をしたところ、彼女も興味を持ってくれて一緒に行こうか!ということになり、私はここで「四季の会」に入会しました。

そして、友人③との観劇を4月に控えながら、とある願望を抑えられなくなります。それは寺元健一郎さん演じるカジモドも見てみたいということ!
2回の観劇でキャストさんの違い、組み合わせの違いの魅力を知ってしまったのですが、ここまできたら京都公演にご登板されているプリンシパルキャストさん全員拝見したい!という気持ちが止められなくなりました。


週間予定キャストを見ながらチケットの取り方にいて調べるうちに、四季の会の会員が使える「前日予約」という仕組みを知りました。
まだ私も仕組みを完全に理解できていないと思うのですが、簡単に言うと公演日前日の14時に電話でチケットを予約すると思いがけない前方のお席が取れたりする、という夢のあるシステムなのです。
(四季ファンの皆様、この説明で大体合ってますか??)

ロー◯ケなどでの過去の電話予約の経験から「まぁ電話なんてそうそう繋がるもんじゃないし〜」とダメ元で、軽い気持ちで14時ぴったりに電話してみると普通に繋がってびっくり。繋がるんだ。
本気で繋がると思ってなかったので、心臓バクバクしながら震える手で会員番号や公演番号を打ち込みました。

するとなんという奇跡、初めての前日予約でチケットを予約できてしまいました。
しかもお席はかなり前方、センターブロックの7列目……マジですか?????

ということで4月の予定だった3回目の観劇が突然大幅前倒しとなりました。
『ノートルダムの鐘』2023年2月26日(日)昼公演、「近いお席に座ってみたら色んなものが見えた3回目編」に続く!(予定です)


あとがき

観劇から4ヶ月も経ってしまって鮮度というものが全く失われた文章ではありますが、メモを元に記憶を辿りながら文章をまとめていると当時の衝撃とか感動を思い出すことができました。

自分語り多すぎ&自分用メモすぎて誰に需要あるねん!という文章ですが、間違いなく私にとっては2回目の観劇を思い出すトリガーとしての需要があるので…書きながら自分の思考も深まったので頑張って書き上げて良かったです。

3月以降仕事に追われすぎてヘトヘトになっている間に京都公演が千秋楽を迎え、東京公演も5月14日に開幕して1ヶ月ちょっと経ってしまいました。
感想文的な文章を書くことに慣れていないとはいえ、あまりの遅さに自分でも呆れてしまいますが、むしろしんどい時期に生活の中に『ノートルダムの鐘』があって良かったなぁと思っています。

ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、まとまりのない長文にお付き合い頂き本当に本当にありがとうございました。

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