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ハッピーエンド好きのオタクが劇団四季の『ノートルダムの鐘』を観劇したら刺さりすぎて抜けなくなった


2023年1月に劇団四季 ミュージカル『ノートルダムの鐘』を初めて観劇したところ、あまりの衝撃に打ちのめされ、自分でも不思議なくらいこの作品の魅力に取り憑かれてしまいました。

寝ても覚めてもノートルダムの鐘のことで頭がいっぱいなので、観たもの感じたことをメモとして残しておきたい!と思い、1回目の観劇後に書きなぐったメモをもとに、2回目観劇後に加筆修正した文章です。
なんとこの文章を書き上げる前に追加のチケットを取って3回目の観劇を済ませてしまいました…チケットを取る手に対して文章を書く手が遅すぎる……

ほぼ個人的な備忘録の乱文ですが、文字数が物凄いこと(1万字超)になってしまったためTwitterのタイムラインには放流できず…
TwitterのAPI有料化騒動のこともあり外部のサービスにしよう、ということで以前アカウントを作成して読み専だったnoteに投稿してみます。


ご注意ください!
※めちゃくちゃ長いです
※レポではなく完全に個人の感想です。むしろ呻き声とか心の声の垂れ流しに近い。
※ストーリーや演出についての重大なネタバレが含まれます。

そもそもこのnoteを読んでくださる方がいるのか分からないのですが、特にこれから観劇予定の方や、ノートルダムの鐘気になってるんだよね~という方などはお願いですから読まずにとにかく劇場に行ってください…

京都公演は4月9日に千秋楽を迎えますが、現時点でまだチケット取れます間に合います!(ただし4/9のみ販売終了しています)
5月から開幕する東京公演は先の日程だと土日でも「○余裕あり」の日ありますので、是非ご自身の目で心で体感してください!お願いします!!(3/12 11時時点)


加えて、こういった舞台の感想のようなものはほとんど書いたことが無い上に劇団四季に関しては完全なる素人のため、広い心でお読み頂けますと幸いです。もし間違いやご指摘ございましたら教えてください。

前置きが長くなりましたが、本編も本当にめちゃくちゃ長いです。いろいろとお許し頂ける方は下の目次からどうぞ!

観劇のきっかけ

具体的な時期は定かではないのですが、1年くらい前に舞台好き友人と好きな演目について話している中で「劇団四季の『ノートルダムの鐘』はいいぞ…」と紹介してもらったのがきっかけです。
この時点で私がノートルダムの鐘について知っていたことは

  • ディズニー映画(観たことはない)

  • 物語の舞台はフランス

  • 前に劇団四季のポスターを街中で見たことある気がする

  • フロローという人が出てくる

くらいのもので、ストーリーも結末も何も知りませんでした。

友人が複数回横浜まで遠征して観劇したと言うのでかなり興味を引かれた私はどんなストーリーなのか大まかにあらすじを教えてもらい、その時のプレゼンは最終的に「とにかく地獄だから見てほしい」というコメントで締め。

物語において、最終的にはみんな生きて幸せになって欲しいタイプのオタクである私は
(ディズニー映画のミュージカルなのにハッピーエンドではない、どころかドロドロの地獄やん…)ということと、
劇団四季は7、8年前にライオンキングを観劇したっきりで、すごく良かった!という記憶はあるものの、当時は今ほど舞台やミュージカルに関心があった訳ではないので(今観たら確実にハマるな…怖いな…)ということを考えていました。

そして友人が推してくれた舞台をいつか生で見れたらいいなぁ、と思いながら時は流れ2022年、12月~翌2023年4月にかけて京都劇場でノートルダムの鐘が上演されるではないですか!
ということで友人と一緒に行く約束をしてチケットを取ってもらい、「初見の悲鳴が聞けるの楽しみ~」と温かく(?)見守られながら京都劇場へ足を踏み入れることになりました。

「とにかく地獄である」という事前情報とともに……


劇場に到着〜開演

待ちに待った観劇当日2023年1月14日(土)、劇場前で友人と待ち合わせして一緒に入場すると「本日のキャスト」の掲示に列ができていました。

友人に教えてもらったのですが、劇団四季は公演期間全てのキャストスケジュールを事前に公表していなくて、毎週月曜日にその週のキャストさんが発表されるそう。
ダブルキャストの舞台のチケットをお目当ての俳優さんの出演日程に合わせて取ったことはありましたが、「先にチケットを買っておいて、直前まで誰が演じるのか、どの組み合わせになるか分からない」というのはこれまに無い経験で新鮮でした。

記念すべき初観劇のキャストボード

終演後に撮影しようと思っていたらあまりの衝撃で撮影不能に陥ってしまい、友人に撮って送ってもらいました。


劇場の席に着くと、まず舞台上に差し込む光(照明)の美しさに胸が高鳴りました。
舞台の上ってただでさえ神聖な空間に思えるのに、大聖堂のセットがあるとさらにすごいな…なんて考えつつドキドキしながら開演時間を待っていると、静まり返った空気の中鐘の音が鳴って聖歌隊が登場。

厳かに響き渡る美しい歌声→語り→音楽と歌声が盛り上がってゆくプロローグで一気に物語に引き込まれて、大きな鐘が舞台上に出現した時には「ここはパリで、私たちはノートルダム大聖堂にいるんだ」ってことを完っっ全に理解させられましたね…冒頭からクライマックスとはまさにこのことだ!と思いました。


メインの登場人物とキャストさんの印象


特に印象に残ったことを余談モリモリで書き連ねてますが、脳みそに注ぎ込まれる大量の情報量に追いつけず細かいところも大事なところも全然拾えていません…
終演後、この記憶を保持したままもう1周観させてください、、と呻いていました。

カジモド(山下泰明さん)

少年をそのまま青年にしたような純粋さと素直さと未熟さ。
でも底抜けに明るく前向きな訳ではなくて、カジモド自身の醜さ、外の世界の残酷さをフロローから言い聞かせられすぎて頭に染み込んでしまっている。

プロローグ曲『ノートルダムの鐘』の最後に舞台のど真ん中で肩に荷物を背負うようにして、服を着て、顔に黒い化粧を塗りつけて、立ち姿とお顔が歪んでカジモドに「なっていく」キャストさんの姿に衝撃を受けました。
ここほんとあっという間の出来事すぎて、何が起きているのか分からなかった……

鼻と頬に歪な線、右目に塗りつぶしたような黒いメイク (友人が墨と呼んでいたので以下では墨と書きます)、表情のお芝居として墨が乗った右目と墨のない左目の大きさが全然違う…!
会話時は掠れてくぐもったような声で、発声もしづらそう (なのに台詞の聞き取りには支障がなくてすごい)。歌声はとてもクリアで、カジモドの純粋な心がそのまま声になって流れ出したよう。

床にぺたんと座り込む姿は可愛らしい無垢な中型犬の幼犬みたい(このイメージ伝わりますでしょうか…)

立ち上がった時はぐっと腰を落として、内股X脚気味になるのですごく小柄に見える。
肩、腕、脚など左右がアンバランスでぎこちなくて、身体の歪みで動きづらいんだろうなぁと感じました。
話し方、歌い方、目、口角、表情、立ち方全てでカジモドを表現されていて、人間あそこまで身体の色んな部分を同時にコントロールし続けられるものなのか…

フロロー(道口瑞之さん)

理性と激情に揺れる聖職者。
プロローグ曲の『ノートルダムの鐘』冒頭でフロローの第一声を聞いた瞬間に「若い声だ!!」と思いました。発声が違うんでしょうね…びっくりした
この過去編最初のシーンは明るくにこやかな表情で、軽やかな立ち振る舞いも相まってすごく若々しく見えるのに、曲の最後では険しい表情の「現在のフロロー大助祭」になっていたので1曲の中で時間の経過とフロローの半生、感情の揺れ動きがギュッと濃縮されているのすごいなぁと思いました。

カジモド→フロローの呼び方「ご主人様」なんですか!?
めちゃめちゃびっくりしたんですが、「慈しんで養育する」というよりは「厳格に教え導き育て上げる」関係性なんだなと理解しました。
聖書のお勉強中、前回教えたことを正確に答えられないカジモドを大きな声で叱責するのでまたびっくり。そんな怒らんでも…

フロローがカジモドに声を荒げたあと抱きしめたり頭をそっと撫でたりするのが悪質な飴と鞭というか、DVモラハラの典型例と言われている行動と重なるのがなんともつらかったです。
のちに「時々お前を息子のように思う」旨の発言ありましたが、(いつもじゃないんかい、、)と心の中でつっこんでしまいました。いつもじゃないんだね…でも時々は思うんだ……

道化の祭りの準備が進むパリ市街(客席)を見下して「うじ虫ども…」のシーン、これフロローの目線付近の座席の方はとんでもないご褒美(?)タイムなのでは?

フロローがさも当然みたいな態度で右手 (人差し指に指輪有)を差し出していろんな人にちゅってしてもらってる光景、なんかすごい権力と地位とちょっと色気を感じてしまいましたね……なんだあれすごい…

エスメラルダ(山崎遥香さん)

スラッとした長い手足と、キラキラした表情、はつらつとしたお声、笑顔が本当にチャーミングで華!!!って感じ。
踊っている時は本当に心から楽しそうで、エスメラルダに目が釘付けになる街の男たちとフロローとフィーバスとカジモド(と私)。

『タンバリンのリズム』で街の人々が動きを止めて、エスメラルダだけが形状記憶スカーフ?(曲線を描いた状態で固めてある)を手にゆっくり踊ってピタッと止まるあの瞬間すごく好きでした。あの場にいる全員の運命を変えてしまった決定的瞬間…

そしてエスメラルダが落としていったスカーフを握りしめてポケット(?)にしまい込むフロロー…やばいですよ……この人執着してクソデカ感情抱いてます!!
「フロローに出会ったしまったばっかりに、、」ということが多すぎて、希望と絶望がごちゃ混ぜになった悲劇的なラストは彼女にとってはとんだ貰い事故だったのでは、と思うとやるせない気持ちになります。

ジプシーとして生きるエスメラルダの凛とした強さと、優しさと、弱さと、いろんな一面を見せてくれて、とても魅力的かつ複雑で奥の深い人物だと感じました。

フィーバス(加藤迪さん)

女遊びはお手のもの!って感じでブイブイ言わせてましたが、爽やかでどこか品があって根は真面目そうな色男。
少し前まで過酷な前線にいた兵士でありつつ、位の高い騎士っぽい雰囲気がある気がします。

『酒場の歌』でエスメラルダとフィーバスが恋に落ちている様を見せつけられた私(とフロロー)…惹かれ合う理由がいまいちよく分からなかったけれど、きっと理屈なんて無いんだろうな、と思っていたらフロローの命令に真っ向から逆らってクビになり、そのあともずっとエスメラルダのことを案じていて「この男本気だわ!!!」と思いました。

牢でエスメラルダと歌う『いつか』は声の溶け合いがすごく綺麗で、暗くて絶望的な牢の中に暖かい蝋燭が灯されたように感じました。

クロパン(白石拓也さん) 

飄々としているけれど、なんとなく滲み出る苦労人感。
奇跡御殿にカジモドとフィーバスが来た時の手荒な歓迎がめちゃくちゃ趣味悪くてやべ~~って思うんだけど、行動や発言がどこまでも仲間思いなリーダーなんですよね。

友人から冒頭とラストに「パ~リの朝」と歌い始めるのがクロパン (を演じる人物)だと教えてもらって、最初と最後の歌い出しが同じ人だなんてなんかそれすごく良いなぁ……と思いました。
クロパン登場シーンは舞台上にたくさん人がいることが多くて目が足りなかったので、次は最初と最後も含めてもっともっと彼に注目したいと思いました。

最後にカジモドが服を脱いでクロパン(を演じていた人物)に手渡していて、この作品の仕組みというか構造ってどうなってるの〜!?って終演後に友人といろいろ話したのが楽しかったです。劇中劇、なんですね。


印象に残ったシーン


なんとなく時系列です。
終演後に勢いのまま書き残したメモからそのまま持ってきた部分も多いので、初見の人間の感情ジェットコースターにお付き合いください。
見返すとフロローの感情と行動と結末にかなり衝撃を受けているのが分かる…

1幕

カジモドを追いかけてエスメラルダが鐘楼に上がってきたシーンの会話、やり取りが本当に好きでした。

縮こまって柵にしがみついて動かないカジモドに優しく声をかける(目線と声が本当に優しい)→反応が無い→そっとカジモドの肩に手を置く→ビクッとなる→耳が聞こえないのね
「鐘のせいなんだ、少しは聞こえる。あとは…唇を読む」の回答を聞いて手話のような手振りを交えながらカジモドにゆっくり話しかけるエスメラルダ。

ここエスメラルダの機転と思いやりを感じるシーンで素敵だなぁと思う反面かなりショックで…
カジモドが目に見えるハンディだけじゃなくて聴覚にも不自由さを抱えていたのをここで初めて知って、さっき街に出て道化の王様として担ぎ上げられた時も、酷い目にあった時も聞こえていなかったのだと思うと、どれだけ怖かっただろうと想像しました。

しかも先天的なものではないということは、だんだん耳が聞こえにくくなるのを感じながら、それが鐘のせいだと知りながらもこの場所を離れることは許されずに生きてきたってことなんだろうな……とやるせない気持ちになる。

『世界の頂上で』心身ともに閉じ籠らざるを得なかったカジモドがエスメラルダと目線を合わせて、心を通わせて、歌声を合わせて開放的に両手を広げている様子にちょっと泣きました。

余談ですが、カジモドが「鐘の修理に使う溶けた鉛」をエスメラルダに自慢げに見て見て!ってしていた時、私は心の中で「すみません、その鉛のちのち誰かの死因になりませんか?不安だなぁ…」と思っていました。(半分正解)


大聖堂の中でフロローとエスメラルダが会話する中で出た「毎日ここに来い。いや、ここに住んだほうがいいな」的な提案、欲望が透けて見えるどころかそのまんまじゃねーか!!!と思っていたらエスメラルダも「その目でわかるの」って言ってた。私もわかるよ…

愛とか欲とかもそうなんだけど、私が救ってやろうみたいな一方通行の感情に引いてしまう。
エスメラルダに拒絶されたことに失望して、意味が分からなくて、許せなくなっていると思った。感情がぎこちないというか拗れているというか。
「誘惑された」とか「黒魔術を使う」とかエスメラルダに非があるような言い方しかできないのは自分の正しさをあまりにも信じているから?


『地獄の炎』
恋と愛と信仰心が捻じ曲がって憎しみと執念と殺意になる様を見せつけられた。
照明が真っ赤に染まって、フロローの静かな目にも何かが宿ったように感じて、もう後戻りはできないんだなと思わされた。怖い


フロローが国王陛下に直接会ってエスメラルダを捜索するための特別な権限を求めているのを見て「そうだこの人めちゃくちゃ権力ある人だった…」と思い出しました。
それにしても国王様毛皮のコート?に夢中すぎませんか?両手を広げて満足そうにしげしげ見つめててフロローの話は半分くらい聞き流していた印象。
国王様頼む…この男を止めてくれ…と思っていたのにフロローに丸めこまれて権力が与えられてしまいました。勘弁して。


『エスメラルダ』
エスメラルダを探して案じて求めまくる曲。
フィーバスの背中を自分で刺しておいて「この女が刺した!」と言って華麗になすりつけるフロロー怖いよ…もう自分が正しいと思うこと以外は全て間違いだと言わんばかりの気迫。
パリは火の海です、どうしたらいいんですか?
ここから入れるハッピーエンドルートはありませんよね??

これからの展開に希望を見出せなくて、絶望的な気持ちで呆然として1幕終了。
打ちのめされた表情で立ち上がれない私を無理やり立たせてトイレに連行してくれた友人、ありがとう…

2幕

エスメラルダの居場所を襲撃することを匂わせてカジモドを向かわせるフロロー。
カジモドはエスメラルダを助けるんだ!ってあんなに意気込んでたのにその気持ちを利用した上に
奇跡御殿到着時「よくやったカジモド(無表情)」→退場時「お前には心底失望した!!」の手のひら返しすごい、あの、非情すぎます…


牢でエスメラルダに迫るフロロー
怖い、ほんとうに怖い、本人も分からないって言ってたけど完全に我を失っている。
揉み合いになって後ろから抱きつくような体勢になった時、フロローの右手がエスメラルダの太ももをドレスの布越しにしっとり触っていて本当にゾワ~~となった。


火刑執行直前、エスメラルダに最後の意思確認をするも答えは拒絶。
唾を吐きかけられたフロローの表情、心底嫌そうで…ってフロローあんたが自分で火を付けるんかい!!!!!
もうやめてくれ~~~~地獄の塗り重ねをするのはヤメロ~~~!!!!

この瞬間カジモドが鐘楼を飛び出してエスメラルダを奪い去る!大聖堂に立て籠もり高温の鉛を眼下に注ぎ込むカジモド!伏線回収!逃げ惑う人々!
ここ衝撃を受けつつも「良かった~メインの登場人物の直接的な死因がこれじゃなくて、、」って思ってしまいました。いや大惨事なんですけど、溶鉱炉に誰か転落するんじゃないかと気が気でなかったので…ドボンはしなかったので…


この後カジモドとエスメラルダが言葉を交わして、永遠の別れ……最期にカジモドにかけた「あなたも美しいわ」の言葉に胸がギュッッッとなりました。

フロロー「死んだのか…」
私(お前が殺したんや…)
カジモド「お前のせいだ」
私(!!!!!!!!)
自分が思っているようなことがそのままカジモドの口から言葉になって発せられたのでオオッと思いました。


そして私が一番ショックを受けたのはカジモドがフロローを投げ飛ばすシーンでした。
アンサンブルキャストさんがフロローを持ち上げて奈落(真っ暗な背景)に向けて後ろに下がっていくところまでは何故かすごく冷静に演出としてなるほどなと思っていたのですが、そのあと舞台中央で垂直方向に人影がフッと落下していって、最後にドスンともダンッとも言えない音を立てて墜落、その瞬間に自分が座っている劇場の椅子にも衝撃が響いてきて…もうここから頭真っ白でちょっと記憶無いです

恐ろしいものを見てしまった
立ち会ってしまった
目撃してしまった
当事者にされた
この振動を衝撃をあなたも共有しましたよね? って言われたようで…


美しい歌声の中、アンサンブルキャストのひとりが冒頭のカジモドと同じように自分の顔に墨を塗りつけて立ち姿が歪んでいく、舞台上の全員がそれに続く
そしてついさっきまでカジモドだった青年が舞台中央で真っ直ぐ立ち上がり、いつの間にか顔の墨もなくなっている…
これは夢なのか死後の世界なのか??
カジモドだった人から穏やかな声で語られる物語の結末
ノートルダムの地下から2体の白骨が見つかった。救いが無いような、それこそが救いであるような、強烈で儚い余韻が残るラスト。
いや救いは無いんだけど……美しい歌声にフワ〜っと昇華されるような不思議な後味


最後にメインテーマのメロディーにのせて「この物語から何を感じる?」って歌詞で観客に問いかけてきて、劇中で聞いてくるんだ??メタだな…とびっくり。
(正確な歌詞は「あなたの心にも何かが響いていますように」でした。劇中劇だからこその問いかけですね。)

「人間と怪物、どこに違いがあるのだろう?」と歌いながら、墨を顔に塗りつけたエスメラルダ、フィーバス、フロロー、アンサンブルキャスト、1人だけ墨のないカジモドが一列に並ぶ。
本当にどこに違いがあるのだろう?

カーテンコール

本当にすごいものを見てしまったな…という呆然とした気持ちと、素晴らしいものを見せて頂いてありがとうございますの気持ちでいっぱいでした。
鳴り止まない拍手に応えて何度も舞台に戻ってきてくださるのが嬉しいやらありがたいやら…手のひら腫れ上がっても腕がもげても良い!と思いながら私も拍手を続けました。

フロロー役の道口瑞之さんが体を傾けながら大きくお手振りしてくださるのを見て少しほっこり気持ちが和らぎました。さっきまであんなに怖かったのに…


終演直後

終演後の私がどうなったかというと、

  • カーテンコール、スタンディングオベーションのあと座席に座ってもう立てない

  • 歩くのが遅くなる(普段の半分以下の速度、足が上がらない故のすり足)

  • 何かに掴まっていたい

  • 「あの、あのさぁ…」しか言えなくなる

  • 座りたい

  • 「あの、一旦どこかに座ってもいいですか?」

あまりにも衝撃を受けて、完全に打ちのめされましたとさ……こんなダメージ受けること、ある??
友人はズタボロになった私を気遣いつつ、すごく嬉しそうに「最初はびっくりするよね…」ってニコニコしてました。


終演後に考えたこと

終演後に頭から離れなかったのは、フロローはどうしたら幸せになれたんだろう?ということでした。同じようなことをひたすらぐるぐる考え続けていました。

フロローと弟

フロロー…幸せになれんかったね…。弟を愛していたのは本当に、間違いのないことだと思うけど、もうそこからちょっと上手くいってなかったよね…
最初は2人きりの孤児の兄弟、一緒に手を携えて幸せに生きる未来があればどんなに良かっただろうと思うけど、2人の幸せはきっと相容れないんだろうな…

愛する弟は自分の言うことを聞くはずだ、同じ道を歩んでくれるはずだ、と従わせたい気持ちがあったように思います。彼は自分の信じる道しか理解できないんですね。
その気持ちがそのままカジモドに向かって、エスメラルダに向かっていった果てがあの結末で…
カジモドがフロローを投げ飛ばす時のカジモドの表情、フロローの表情、立場が逆転する感じ、観劇から2日経っても鮮烈なあのシーンが頭から離れない。

エスメラルダとジェアン

フロロー、エスメラルダに弟の面影を感じていたんじゃないの??
最初は一目見て外見的な魅力に取り憑かれてしまったんだと思うけど、聖堂で会話したあとは完全に弟と同じベクトルの愛を向けてなかったか?
というかフロローの愛の方向性が自分の信じる道を説いて従わせる…って感じなんだよ…もうそこからちょっとおかしいんだよな…
牢でエスメラルダに迫るシーンは抑えきれない欲情って感じだったけど

フロローからしたら「救われる魂を持っているのに、自分の言うことを聞かない、自分のところに来ない、こんなに愛しているのに…」といった感じでしょうか。

自分の信じる、正しいと思う道以外は認められないフロロー。彼がその辺のただのおじさんだったらこんなことにはならなかったのではないかと思います。なまじ権力があるだけに…こんな大事 おおごとに……


全体感想

まず音楽がとにかく良くて、こんなに心震える素晴らしい音楽と歌を今まで知らなかったなんて!!と思いました。クワイヤ(聖歌隊)の方々が舞台上にずっと控えていらっしゃるので歌声の圧と厚みがすごい、劇場全体が歌とハーモニーに包み込まれる感覚。

お芝居の熱量も本当に本当にすごくて、舞台上から膨大なエネルギーがこちらに向かってバシバシ飛んでくる感じで本当に本当に圧倒されました。
見どころたっぷりすぎて、こんな素晴らしい舞台を生で観劇することができて良かったと心から思いました。

でもすごく傷ついたというか、ショックを受けてしまったのも事実で、観劇後数週間に渡って「どうしたらよかったんだろう?どうすれば彼は、彼女は、みんな幸せになれたんだろうか?」と悶々と考え続けて、寝てる時以外ずっと、食事中も仕事中もふと気を抜くとノートルダムの鐘のことで頭の中がいっぱいでした。めちゃめちゃ引きずっている………

カジモド、フロロー、フィーバスがエスメラルダに出会ったあの瞬間は間違いなく運命の分かれ道で、カジモドとフロローの2人の暮らしが最初のままずっと続くのが一番幸せだったとは思わないけれど、もしエスメラルダに、それぞれに出会わなければ4本の糸がもつれてもつれて絡まって、最後に全ての糸が切れてしまうことはなかったのかな……

それでも糸が断ち切られてしまう前のきらめく光はそれぞれが出会わなければ生まれなかったもので、きらめく光と激しい炎、それに照らされて浮かび上がる闇が印象的で、美しくて、苦しくて、胸に刺さる。

物語の中で表現される美しさ、醜さ、善と悪の対比とグラデーション、登場人物の感情と行動が激しく揺れ動く様、クライマックスの落下する人影と響いたあの音、衝撃…
いろんなシーンを思い出して、良かったなぁ~~って噛み締めたり、落ち込んだりしながら「もう一度、あの素晴らしい音楽と歌声を浴びたい!もう一度あの素晴らしいお芝居を、細かい仕草や表情を見たい!」の気持ちでいっぱいでした。
(もう一度観れたとして私はあの衝撃に耐えられるのか?という不安と、もう一度観たら絶対にハマってしまう…という怖さもありましたが…)

そして2回目の観劇へ

初めての『ノートルダムの鐘』観劇後、あまりにも衝撃を受けた私は、一緒に観劇してくれた友人とは別の友人(オタク)に
「もしノートルダムの鐘を今後観に行くことがあれば覚悟を持って行った方がいい…私は完全に打ちのめされたので……」
というようなことを話したところ、2人が「前から気になってはいたんだよね…」と反応。じゃあ3人で一緒に行くか~~?などと言っていたら2月のチケットが3連番で取れそう!
エッ、チケット追加できてしまうの、嬉しいけどめちゃくちゃ怖くないですか……????
ここで新しい沼に足を踏み入れてしまったことを確信。


ということで、初観劇の日からから4週間後に2回目の観劇に挑むことになりました。
次はあそこに注目したい、ここがどうなっていたか確認したい、もっと表情を見たい!キャストさんによる違いというものも気になる!と、観劇当日までずっと浮かれていると言ってもいいくらい楽しみにしていました。

『ノートルダムの鐘』2023年2月11日(土)ソワレ、「違う角度から情緒をズタズタにされた2回目」編に続く!(予定です)


まとまりのない文章を長々と書きましたが、舞台を観て思ったことや感じたことを言語化しようとする作業は中々に楽しいものでした。
普段は仕事のメールくらいしか文章を書かない私に1万字越えの感想文のようなものを書かせてしまう『ノートルダムの鐘』、恐ろしいくらい魅力に溢れております…

ここまで読んでくださった方、お付き合い頂き本当にありがとうございました。

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