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ほんとうの言葉
あたりまえだけれど難しいこと。
人と接するときに、表面的な言葉だけで判断しがちな自分に気づくことがある。
わたしたちは良くも悪くも、人から評価されながら生きている。私たちは、どんな仕事をしていようと、どんな生活を送っていようと、他者からの評価を受けながら生きている。
それは誰もが他者と関わる中で「評価する側」にも「評価される側」にもなる瞬間があるということ。けれど、その評価は多くの場合、表面的な言葉や印象から判断されたものであって、必ずしもその人の本当の姿を映し出しているわけではないのだと感じる。
高校生の頃、数学の模試で全国一位を取ったクラスメイトが居た。寝る間も惜しんで勉強し、血と汗を流しながら努力した結果だ。
そんな彼がある日、学校の数学のテスト前に「俺全く勉強してねぇや」と言ったことがあった。
彼が本当に勉強していなかったとしても、他の人よりは必ず良い点を取るだろうし、そんな事言いながら、どうせ勉強してるだろう、と思われるに違いない。あるいはそれを「数学出来るアピール」と捉える人も中にはいるだろうし、お前の全く勉強してないは俺の勉強した日の勉強量だ!と思う人もいるかもしれない。もしかしたら彼は昨日熱を出して勉強ができなかったかもしれないし、何か事情があったのかもしれない、とその場で考える人はほぼ居ないだろう。
その「やっていない」情報に対して受け取った情報だけで評価する。だれも彼が勉強していない理由を探そうとはしない。(そもそも「勉強したいのにできなかった」と「勉強しようとしなかった」には大きな違いがあるが、話たいのはそそこではない。)ここでは他者が言葉に対して感じたことを「評価」としているが、その「評価」があまりにも平すぎる、と私は思うのだ。
よく国語の授業で、この登場人物の心情をこたえなさい。という問題があるけれど、あんなのは自分が登場人物じゃないんだから本当の気持ちなんて分かるわけないじゃん、といつも思っていた。
書かれた文章から気持ちを推測することは可能だけれど、本当にその人物の心の中そのものか、と言われれば、答えは違うはずだ。言葉や行動から感じ取れることには限りがあって、その背景やその人が置かれている状況までは見えないからだ。
それなのに、私たちは〈この人はこう思っているに違いない〉と決めつけたり、あたかもそれが正解であるかのように考えてしまいがち。
でも、人にはそれぞれの考え方や価値観、抱えている事情がある。それを完全に理解することはできないからこそ、判断を急がず、その裏側にあるかもしれない「思い」や「理由」に思いを巡らせることが大事なんじゃないかと思う。
相手の言葉をそのまま受け取るのは、たしかに楽で、自分の中で一度評価を終えてしまえばそれで済む、安心できる部分がある。
言葉は厄介で、誤解を招く1番の原因で、面倒くさい。
でも、そこで、すこしだけ考えてみる。相手がどんな思いで話しているのかを考えてみる。ある意味、裏の裏を返せば〈自己中な行為〉だと思う。発言者はそんなものを求めていないケースがほとんどだと思う。でも、それでも少しだけ立ち止まって、相手がどんな思いで話しているのか、その言葉の裏側にあるものを考えてみたいと思う。自分の価値観や思い込みで判断を急ぐのではなく、相手の気持ちに寄り添おうとすることが大事な気がするのだ。
とはいえ、こうした姿勢を日々常に心がけるのは簡単なことではない。日々の中で、気づけば自分もまた、他者の言葉や態度に対して早合点していることがある。自分の判断があたかも正しいかのように決めつけたり、相手の気持ちを勝手に想像しているときもある。だからこそ、自分自身に「その評価は本当に正しいのか」「その人の本当の姿を見ようとしているか」を問い続けることが必要だと思う。
結局のところ、思いやりを持つというのは、誰かのためであると同時に、自分自身に対しての誠実さでもあるのだと私は感じている。きれいごとかもしれない。要らないやさしさかもしれない。余計なおせっかいかもしれない。でも、それでも私は、わたしと素直に「ほんとうの言葉」を探していきたい。
少しでも相手の気持ちに寄り添うことで、自分もまた成長できるように。
そんな風にわたしは思う。
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言葉と向き合う上でおすすめなエッセイ本!
電車の中で言葉と揺られながら読んでいます。