山が象徴するもの。
明けましておめでとうございます。2022年がとうとう始まりました。
新年といえば年賀状や広告などのイメージによく使われるのが富士山です。私も縁起がいい富士山に今年を見守ってもらおうと富士山のタペストリーを作りました。
山が象徴するもの
山といえば、どの国でも同じような意味があります。特に富士山のように高い山は障害や目標の例えに使われたり、人があまり入らないことから魔物が住んでいると恐れられたり、神々が住んでいると信じられたりで神秘的な場所だったり。最近(といっても4年前)、私はハイキングで低い山の上に登り、下界を見下ろしたことがあるのですが、その時の征服感というか達成感のような満足感は忘れられません(でも冬のハイキングで山は寒くて辛く、山頂で半凍りオニギリを食べた時は、鼻も出てたし少し惨めでした。自然に対して人の存在の小ささもヒシヒシと感じました)。そんな得体のしれないものが住んでいるかもしれない山へ立ち入り戻ってきた人が勇者として扱われる感じが少し分かるような気がしました。有名なギルガメッシュ叙事詩の中にも、不死を求めて旅に出て、山の中で色んな妖怪(?)と戦い(フンババとか)人間として成長していく姿が描かれてますね。現在でも登山をする人=困難を克服する人のイメージがあります。
畏敬の富士山
富士山は平安末期頃から噴火が収まりだし、最後の噴火から約300年経ちます。現在ではその美しい勇姿や自然、雄大な裾野から「末広がり」などの意味で縁起がいいものとされていますが、噴火を繰り返していた頃は人々に大変恐れられ、富士山を怒らせている得体のしれないものを鎮めるために富士山の神(水神の浅間神)を祀る浅間神社も作られました。また逆に、その神々しい姿から、人々に未知への強い憧れを抱かせ、敬う対象にもなりました。噴火のメカニズムなど知る由もなかった平安末期以前の富士山が、どれだけ人々を恐怖の渦に巻き込んでいたのかと考えると涙が出そうです。そのような恐怖の対象であった富士山が(しかも今でも噴火の恐れは十分にあるのに)祝い事に使われるようになったのはどのような経緯があったのだろう?とふと思ったのでさらっと調べてみました。
江戸時代の富士山
お正月を祝う風習は、起源が不明なほど昔からあったそうです。仏教が伝来するまでは、先祖を祀る意味合いもありましたが、伝来後は五穀豊穣を祝う祭りごとに変化しました。恐れられていた富士山の噴火が徐々に弱まり、登山者が増えだしたのは平安末期以後になります。それまでの富士山を信仰する山岳宗教+密教・道教の影響で修験者が山にこもって修行をすることが多くなり、江戸時代には修験者に連れられた一般人の登山が大変なブームになったそうです。1707年の宝永大噴火以後は噴気以外の大きな活動はなく、駿河の徳川家康(1543〜1616)が繁栄の象徴として大変愛した山でしたので(一富士・二鷹・三茄子/家康の好物を表したもので「景色は富士山、趣味は鷹狩り、食べ物は茄子」または静岡県の名産を3つ並べたもの)、平安時代後期以前の「畏敬の念」から「畏」が薄れて、時代が進むにつれて「敬」の念が前面に出てきたということでしょうか。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」って感じでしょうか・・・。
まとめ
今回、富士山の噴火の歴史などを調べる機会があり、大変勉強になりました。「富士山って優美だし、壮大で、まさにお正月にピッタリ!」と、現存のイメージから何も考えずにポップな感じの富士山タペストリーを作りましたが、ほんのちょっと富士山のことを知っただけで、なんだか怖くなってしまいました。富士山は活火山ですし、今後また大きな噴火があれば人々の意識も変わり、今のようなポップなイメージは無くなるのかもしれません。元旦のお祝いモードを自ら恐怖に落とし込めてどうなのかという感じですが、thinking pointにはなったと思います。
「文化とは人間と自然との対話である」とは、とある本からの抜粋なのですが、人がどのように今向き合っている自然を解釈するのかによって、その土地での伝統・慣習が作られていきます。今回の富士山を見る視点も富士山の状態によって変化し、それに伴い行事も変化しました。まさに「自然との対話」ですね。
Reference:
富士山と信仰(http://www.city.fujinomiya.lg.jp/fujisan/llti2b00000012tx.html)
富士山の噴火史(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%99%B4%E7%81%AB%E5%8F%B2)
一富士二鷹三茄子の意味と由来・発祥は?続き・なぜ縁起が良い?(https://spicomi.net/media/articles/1565)