雑文 #287 丸まって、伸びて
休みの日にほとんど出掛けなくなって、どれくらい経つのだろう。
どんどん、どんどん、外に出るのがいやになってる。
もとからそんなにお出かけ好きのほうではなかったけれども、それでも、あんまりである。
たとえば家から一歩も出なかった日があったとして、去年とか一昨年とかなら「ゆっくり休めたー」と思えてた気がするし、「映画三昧して楽しかったー」「集中して料理(とか読書とか)できたー」「じっくり音楽が聴けたー」などといったリフレッシュ日になっていた気がする。
いまは何もない。空虚だ。無駄に過ごしたいやな感じが残るだけ。
いろんなことについて、集中できない。楽しいと思えない。むしろ苦しい。時間が間伸びする。
去年や一昨年は、もっと頭の中が忙しくて、時間が足りなくて、休日がありがたかった。
過去にいまよりもっと極度にパワーが落ちたとき、もがくのではなくじっと浮上するのを待つしかなかった。
その経験を活かすのなら、私はもうこの冬猫のように丸くなって過ごせばいいのだろうか。
やっぱりコロナ禍のせいなのだろうか。出掛けると(もはや出掛けなくても)、こんなに疲れるようになってしまったのは。
私は不安になる。
ひとつ、またひとつと私から大事なものがこぼれ落ちてく。
こぼれたものは、いつかまた元に戻るのだろうか。
大事なもの、愛おしいこと、歓びや楽しみを、いつかまた心の底から噛みしめられるようになるのだろうか。
坂口恭平さんと斎藤環さんの往復書簡からなる「いのっちの手紙」という本を読んだ。最近にしては珍しく一気に読んだ。
手紙のやりとりというのが心温まる。興味深く、気負わず、ぐいぐいと読むことができた。
坂口さんいわく、うつ状態は「心のエネルギーの枯渇」ではなく「負のエネルギーが膨大に押し寄せている状態」なのだとか(言い回しは違ったかもしれませんが)
ネガティブなこと、よく考える。無限ループになる。自己否定と他者との比較。そんなことしないほうが身のためなのに、止まらない。でかすぎる負のエネルギー。いずれ私はエネルギッシュなのだろうか…
冬を迎えて、丸まって、寒さ乗り越えて、暖かくなって、伸びるときを待つ。心も体ものびのびと。過度な期待はしない。この状態からは容易には抜け出せないだろう。
たまには外に出よう。仕事は一応できているのだから、それでよしとしよう。いつか来るのびのびのリフレッシュ&リラックスの日のイメージを浮かべよう。心の重さと身体の寒さをやりすごしながら。