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目立ちたい
一度「目立つとは」という記事を書いたことがある
この話は、社会的に成功しているように見える人たちはよく目につくよね、私はそんな人にはならないだろうな的な感覚で”目立つ”を使っていた。
これとは違うイメージの”目立つ”という話
自分のいるフィールドの中で周りからよく見える人とは何なのか。
結局これは
声が大きいと周りからよく見える、目立つ。
皆誰しも承認欲求はあるのではないだろうか、
やはり多くの人の目についた方がよい評価をもらえる可能性は高くなる(批判されるリスクも大きく伴うけれど、評価される喜びがそれをカバーしてくれるならそれでいい)
そう、承認欲求なのだ
目立ちたいという思いは承認欲求につながっているのかも。
で、目立ちたいと思うということは承認されることでなんらかの快感を一度でも感じてきたことがあるから。
そういうことなのかもな。
最近、音声メディアが流行る理由が少しわかった。
音声という形で自分の全てをさらけ出すわけではないがある程度目立つことが出来る媒体なのかもしれない。
ほどよい目立ち具合。
全員が全員やろうと思ってもできないことをやっている
それだけで目立つという状況は生み出せると思っている。
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ラジオをやっている自分が思うのは、
独り言が多い人にはラジオ系の媒体はうってつけだということ。
だが、なんだかんだレスポンスがないと寂しいものである。
だからこそ、すでにリスナーが一定あるところで始めるのはメリットが大きい。やはりどこの場を使うかによってモチベーションも変わる。
互いに互いのラジオを聴いちゃうような狭いコミュニティーで成立していそうな地方ラジオってなんなのだろうかと思うこともあったが、
そこにはそうやって生み出された環境による刺激を自分が受けているからそれでいいかと思うようになった。
正直アプリ物の音声媒体は興味がある。過酷な環境を生き抜ける覚悟がいるような気がするが。