移動への欲求 ~ ロードムービーとロングウォーク
先日、ロールス・ロイスとスーパーカブの事を書いたのには、きっと移動への渇望が、すでにあったのだ。
移転がそもそも好きだが、本と犬と一緒なので、気軽には動けない。
移動するという行為自体は無条件に好きで、バイクやクルマや自転車がなくとも、ペタペタと歩くことはずっとしてきた。
深夜までお酒を飲んだ後でも、家まで10キロ程度なら2時間くらいかけて機嫌よく帰れる。これまで深夜の東京を、何百キロも徘徊してきた。
日本はお上が大衆の移動を制限し続ける国だ、と読んだことがある。
確かに、江戸時代などは、関所や手形といったお上の許可が長距離移動には絶対的に必要だった。
また近現代においても、ヨーロッパのアウトストラーダやアウトバーンのような国境すら超える、そして所に寄っては無料ですらある高速道路と日本のそれとは、移動の自由についての根本哲学が違うように思える。
だから移動の自由が無条件の前提となっている、ロードムービーが手放しで好きだ。
イージー・ライダーやバニシング・ポイントやパリ・テキサスといった、ザ・ロードムービーたち。どれも素晴らしい。
テルマ&ルイーズやペーパームーンのような、逃亡劇でありながら追跡劇でもあるようなロードムービーも、忘れがたい。当時のアメリカの街並みを見るだけでも価値がある。
マッドマックス2に至っては、ガソリンが至上の価値を持つ世界だ。
目的地への移動のためのガスでなく、ただただ、無目的に移動を続けるためのガス。その争奪戦としてのロードムービーだ。
完結していない傑作ドラマのPREACHER (プリーチャー)なども、逃げる神を追ってアメリカの都市を移動する筋立ては、ある種のロードムービーのように楽しめる。
しかし、映画もいいが我が現実において。
三密を避け得るなら、単身での徒歩移動は、許されるものだろうか。
ひと気のない町々を、やみくもに、何十キロも歩きたく思う。