見出し画像

未来を考えよう

「今の若者は想像力が足りない」

こんな言葉を耳にする。
主語が大きくて、それでいて何か責められているようで嫌な表現だ。
しかしこの言葉が意図するところを私は理解できる。

ストレートにとると責められているような文言であるが、
よりポジティブな捉え方をするならば
「若者に期待される想像能力が高まってきている」
と言い換えられると思う。

多様性社会、異文化社会、グローバル社会
このような社会変遷によって、社会全体が進むべきレールは今まさにトンネルの暗がりの中にあると言える。

だから、若者は「どのような社会になるか考えたってわからないんだから無駄だよ」と考えるのだと思う。現在の若者にはより一層の想像力がもとめられているのだ。

また、ある調査によるとバブル期を経験した世代と比べるとそれを経験しなかった若者が社会へ持つ期待度には圧倒的な差があるという。

調査によると若者は、「社会はこれからどんどん悪くなる」という意見が半数を超えている。その一方で「ボランティア活動に対する興味」は諸外国と比べて圧倒的に低い。

今を生きることで満足している人が多すぎる

これは個人的な意見だが、未来や社会など自分の外にあるものについて考えることをやめ、身近な「楽しさ」を優先する人が多すぎる。

もちろん遊ぶこともリラックスとして大事だし、経済を回すうえで重要な役割だから完全に否定しているわけではない。しかし、毎日のように遊んでいたり、大学の授業に不真面目で遊んでばかりいてなんのために大学に入ったかわからないような人たちがSNSなどを見ているといる。

みんながみんなそうだとは思わない。
しかし、「難しいことはよくわからない」と思考を放棄し「誰かがやってくれるだろう」と高を括って目先の楽しさばかりに目を向ける人がほとんどではないだろうか。

でも

その「誰か」は、はたして
私たちが生きていく社会に責任を持ってくれているのだろうか?

その誰かがもし「自分が死んだら関係ない」という考えをもってこの社会のハンドルを握っているとしたら、
今進んでいるレールの先はいばらの道であるのかもしれない。
そしてその茨を一身に受けるのは「誰か」ではなく、私たち自身なのだ。

これからの社会を作っていくのは私たちで
その先の社会を作っていくのは私たちの次の世代である。

だからこそ社会問題をより自分のこととして考えることが重要であるし、
私たちより年下の子どもたちが安心して成長できる環境を作ることが重要なのだ。

自分にできることを少しずつやっていけば社会は良い方向に進んでいく。
それを信じて、これからも。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?