愛の屍と生きていく
失恋をしたとき、人は揃って「いつか忘れられるから大丈夫」だとか「忘れるくらい予定を入れればいいじゃん」だとかいうけれど、私は「前の恋愛を忘れる」とか「前の恋人を忘れる」とかそういうことは、よくわからない。
だって、忘れるってあまりにも寂しいじゃない。
失恋したからといって、別にその人との恋愛が人生で無かったことになる訳ではないし、私は決してなかったことにはしたくない。
二人は、確かに、あの時あの瞬間は同じ方を見ていたのだ。
「別れたけどさ、今でも一緒に生きてると思ってるよ」
これはドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の第2話で、主人公のとわ子が離婚した元夫についての心境を述べた台詞。
私も、まったくもって同じ考えを抱いている。離婚相手ではなくて、元恋人に対してだけど。
私が生まれて初めて付き合ったのは、小学校三年生のことだった。一人目の恋人ができる年齢としては、人と比べて随分早いほうだと思う。当時は付き合うことの意味もわからないまま、少しだけませた女の子に告白されてそれを承諾した。私たちがやっていたことは、所詮子供の思う大人の真似事でしかなかったけれど、休み時間に図書館へ二人して手を繋ぎながら向かったことや、放課後の廊下でキスをされたことは十数年経った今でも鮮明に覚えている。
それ以降もありがたいことに、中学校・高校・大学で何人かの女性とお付き合いさせていただいた。交際期間は相手によって様々。高校生の時の恋人(小学生からの幼馴染)には「やっぱ友達としか見れないや」という理由で一か月で振られたこともある。最短記録を保持する彼女とは、今となっては良き友人関係だ。
決して、上手いとも綺麗だとも言える恋をしてきた訳じゃない。それでも、今までのどの恋愛を採っても、私の人生には欠かせなかったものだと言えるし、仮にひとつでも欠けてしまえばそれはもう今の私ではない。
「付き合いませんか」
「このバンド好きなんよね」「一緒に帰らない?」「○○の喋り方が好き」「思ったことはちゃんと言葉にして」「浴衣着たい」「いつか私のことも書かれる日が来るのかな」「この日空いてたらどっか出掛けようよ」「ここにホクロあるの知ってる?」「ありがとう」「なんで泣いてるの」「自転車のカゴに入れといたから」「○○の撮る写真が一番好き」「駅まで迎えに来て」「行ってらっしゃい」「犬を撫でてるみたい」「ごめんなさい」「忘れないでね」「やっぱ○○髪短いほうがいいね」「なんか怒ってる?」「あそこの店当たりだったね」「いっそのこと嫌いになってよ」「全然大丈夫」「煙草吸うなら私もベランダ行く」「何考えてるかわかんない」「ちょっと話があるんだけどさ」「うん」
「別れよっか」
振られただとか、振っただとか、その終わり方に関係なくどの恋愛も、しなければよかった、なかったことにしたい、なんて思ったことは一度もない。
なかったことにして忘れてしまうくらいなら、良かったことも悪かったことも記憶に残して、少しでもその中から学びを得たい。まだ見ぬ未来の恋愛に向けて。
辛くなかった別れなんてないし、せっかく身を引き裂くほどの経験をしたのに、それを無駄にするのはあんまりだ。
そういう意味で、交際してくれた人、好いてくれた人・好かせてくれた人は全員に感謝している。一つ一つの経験があったから、実った恋愛と実らなかった恋愛があって、実らせないことを選択した恋愛がある。
恋愛は過去と今の地続きなのだ。
言ってしまえば、今でも元恋人のことは全員好きである。ただ、もう、別に付き合わずに生きていけるし、生きていく、というだけで。
だから、忘れる、というよりは、相手のいない生活に慣れる、のほうが私にとっては正しい。
私と私の恋愛観は、
愛の屍たちと共にある。