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喝采 或いはやっぱり旅芝居は生きること
用があって文具屋に入ると有線から『喝采』が流れていた。
ちあきなおみじゃない、男性によるカバーだった、宮本浩次ではない、誰やろ。
思い出深い1曲でつい口ずさんでしまいました。
旅芝居の女形で観ました。
ちあきなおみの、原曲バージョンではなく再録バージョン。これ、いいのです。
いろんなことに巻き込まれて(というのは一度二度じゃないけれど)
舞台が好き芝居が好きなのに理不尽すぎる現実と呑み込めなさを感じた最初の頃で、「もう二度と観るか、これで最後だ」と思ったときだったから、印象深いのかもしれません。
旅芝居は生きることやで、生きていくこと。
だからね、客席の皆の過剰な美化と理想化が、
あんまり好きじゃないというか、もやもやが、あります。
と、いうのは昔からずっと思っていることなのですが、やはり、思います。
あれは麻痺かもしれん。
距離感がおかしくなって見えなくなっている、
という危険な状態かもしれない。
いや、それはいいお客さん(都合のいいお客さん)で
距離の近い芸能である旅芝居はそこが魅力なのだろう。
でも、よいこともわるいことも、わるいこともよいことも、と、書かずにはいられません。
更に、
そうなるとね、
なんだろ、
自分の理想以外のものを批判したり悪く言ったり、排除しようとしたり、しがちにも、なるんよね、なることやなるひとが多いような。
そうして、自分の好きなものを「上げる」、持ち上げる。
例えば、「旅芝居は芝居でしょ」
うん。
でも「舞踊なんて」とか「芝居に力を入れない劇団は間違ってる」とか、
お客さんがそれを決めつけたり押し付けたり、
落とす言い方や劣ったもののようなことを言う人や
そういうものを目にすると、わたしは、もやもやし、疑問を感じたりしてしまいます。
なんだかなあ、とか、かなしいなあ、って。
芝居を好きなのはいい、観たいという気持ちもいい。
でもそれはあなたの好みであって、好みでしかなくもない?
例えば、
コロナ禍による夜の部の公演が出来ないことから始まった
夜の部がわりのイブニングショーとか中間ショー、
或いは、舞踊ショーだけの日(これは何年も前から数劇団でやってたよ)について。
だからって、これらを否定したり文句を言ったりって、なんだかなあ、って思うのです。
その劇団がそうした理由を考えてみても、よくない?
「私の好きな劇団は違うし」「私の好きな座長はお芝居愛が」
それもあなたの理想の押し付けだったり思い込みだったり、も、しない?
「自分の好きな大衆演劇像」「大衆演劇とはこうである」、思い込んでない、押し付けてない?
この3年程のコロナどうこうでどの劇団も劇場も苦しくて、お客さんが思うように入らなくて。
入らないとやりたいことも出来ないし、そもそも公演先すらあやぶまれて。
日々、メンタルも体も、いっぱいいっぱいで。でも、舞台で笑っている。
芝居があって、舞踊があって、
若い役者がいて、若くない役者がいて。
古い芝居があって、あたらしい芝居があって、
うまい人がいて、うまくない人もいて、
みんなそれぞれに存在と役割があって、
いいこともわるいことも、わるいこともいいことも、その時代と共にあって。
それが、旅芝居・大衆演劇のカオスで、めちゃくちゃで、魅力ではないかな、と、わたしは思っています。
だからこそ、今、
いろんなことを、
過剰な美化や理想化してくもった目で見過ごしたり甘くみたりするんじゃなく、見直したり考えたりしていかねばで(ここ強調)
でも、だからといって、理想論の押し付けは危険ではないかなあ。
人間、生きることそのものの舞台、そのものが舞台。
良いとか悪いとか好きとか嫌いとかを通り越したすべてすべてが舞台の上に滲む滲みすぎる舞台。
元祖チャラチャラエロっぽ舞踊の先駆者である座長(の、ひとり)の言っていたこともよく思い出したりします。
「きゃーとかエロいとか言われるけど、踊りが下手だからこうやったら皆が喜んでくれるからやるようになっただけなんだよね」
「帯を解いてハケるのはね、次の着替えがしやすいからだったりする(笑)」
「チャラいの? 好きじゃないよ。でも、お客さんが喜んでくれるからね」
「芝居が好きですよ。めっちゃ好きですよ。頭の中芝居ばっかりだよ。
でもだからお客さんに来てもらわないといけないからね。喜んでもらわなきゃね」
「舞踊でね、目を見つめたり脱いだりしながら、お客さんに寄っていくのがマイブーム。接近するとね、皆引いていくんだよ(笑)」
『喝采』、踊っていたのは、若くない役者でした。
冒頭のフレーズで、ちあきなおみと同じように、すーっと、左手をあげていた。
「あれはやらへんで。やらへんからな」って言うてたけど、あげていた。
世代やもんな。もう曲を聴いたら、手、あがってもうたんやろうな。
若作りしてるけど歳バレるで、と思いながら、しみじみ観ました。滲んでました。
旅芝居の舞踊は、芝居やで。
歌の世界を表現する、台詞のない、いろんな物語の、芝居、わたしはいつもそう思っています、チャラチャラしたものとかも、含めて。
芝居が好きだからこそ芝居にがっかりすることが多かったり、もある。
でもそれも「毎日が芝居やから」とか「全力出すと次の日にお客さんが来ない」とかいう声も聞き、笑い泣き、泣き笑い、ああ生きることやなあ、厄介やなあ。
*
◆◆◆
以下は、すこしだけ自己紹介 。
よろしければお付き合い下さい。
構成作家/ライター/コラム・エッセイスト
中村桃子(桃花舞台)と申します。
大衆芸能、
旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。
(普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、各種文章やキャッチコピーなど)
劇場が好き。人間に興味が尽きません。
演劇鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)などの鑑賞と、学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)経験などを経て、
某劇団の音楽監督、亡き関西の喜劇作家、大阪を愛するエッセイストなどに師事したり。
からの大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。
舞台と本と、やはり劇場と人間と、あ、酒も愛し、人間をひたすら書いてきて、書いています。
lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。
その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中です。
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関東の出版社・旅と思索社様のウェブマガジン「tabistory」様にて2種類の連載をしています。
酒場話「心はだか、ぴったんこ」(現在17話)と
大事な場所の話「Home」(現在、番外編を入れて4話)
旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業をずっとやってきました。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、YouTubeちゃんねるで過去映像が公開中です。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
あなたとご縁がありますように。
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