ドリャーおじさんの話/皆にとっての断崖絶壁や力
「すべての人に東尋坊があるのだろう」
私の言葉じゃない。大好きなジャーナリストの言葉だ。
先日、関西が誇る(?)長寿バラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」を観た。
これまでの「傑作選」と題して過去の神回を放送する回。
番組の代名詞のような3本が流された。
その中にあったのが「東尋坊のドリャーおじさん」だった。
御存じだろうか。
福井県の断崖絶壁、
自殺の名所なんていう呼ばれ方をしているそこから
「ドリャー!!」と叫んで飛び降り、よじ登り戻ってきて、また飛び込む!
というのを9万回やっている(やっていた)おっちゃんのことだ。
89年に放送されたものを私はリアルタイムでは観ていない。
知ったきっかけは、とある本、とある美術展の図録がわりに出版された1冊だった。
2010年に広島市現代美術館で行われた、
氏の展覧会のタイトルであり本(図録がわり?)であり、
私の愛読書、「HEAVEN 都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」。
展示され、本でも紹介されていたのは、さまざまな
「世間からは見向きもされず」
「ともすれば芸術じゃなく、くだらないものとされているもの」
「でも人々のリアルな生活や人間そのものをあらわしている」
「どこにでもあるのに当たり前と思われたり俗っぽいと思われて見向きもされないようなもの」たちだった。
ちなみに目玉として展示されたのはデコトラやヤンキー車たち……の中でも、いちばん強烈な「お祭り仕様カスタムバイク」。と、広島の名物ホームレス「広島太郎」さんのパネルと人生だった。
ずっと「売れもしないのに」そんなものや人たちを、
追ってきて何冊もの本にしてこられた氏の集大成的な展覧会と本。
この1冊の中に「ドリャーおじさん」にまつわる文があった。
今、改めて確認してみるとナイトスクープのDVD-BOXに寄せられた文だったみたいだ。
初めて読んだとき、涙が出た。いつからか心の支えとなった。
今、読み返してみると泣きはしない。でもあの頃よりも深く沁みるような気がして。ここにちょっと書きたくなった。
ドリャーおじさんは1日30回、計9万7500回、飛び込んできたらしい。
ケガや片耳の聴力を失っても死にかけても。
都築さんは彼を探し出し、
過去や飛び込むにいたった過程やスタンスや人生、
飛び込みをリタイアせざるをえなくなった「今」などを本人に入念な取材をし、
ただの面白ネタとしてではなく、彼自身の想いをのせて、書いた。
しかしそのため彼を探しだそうと東尋坊のまわりのお土産屋さんやいろんな人に訊けども、
皆、笑い混じりに、や、「あー、あの人ね」という態度だったらしい。
都築さんは言う。「すべての人に東尋坊があるのだろう」と。
人生で一度は立つ。今、立っているかもしれないし、これから立つのかもしれない。
でも断崖絶壁に立つとそろそろと引き返す人やことも多い。いや、引き返すことの方が多い。
引き返すとあったかいご飯や観光が待っているもの。
「戻っておいで」って言われるもの。
そうして安心安全穏やかに暮らす。時に、なにかを諦めたりしても。
それは、それが「まっとう」(な生き方)だ。
そんなところで奇声をあげて飛び込みまくるおっさんは変人だとか
「私たち(自分)とは違う」なんて言われる。
笑われたり引かれたり、
逆に、なんか(無意識的にだろうが)尊敬されたり、いや、されすぎたり。
なんかへんなことになる。
彼はただ飛び込んでいるだけなのに。「誰の言うことも聞かない」から、飛び込み続けているだけなのに。
本当に飛び込むんじゃなくても。
人目を気にしたり。
年齢や世間体をはじめとするいろんな言い訳や理由で、何かを諦めたりリタイアをしたり。
ホントは嫌でもそれを選ばざるをえなくなったり。
きっと、すべてのひとにそんなことは多いというか、
誰しもの人生に一度(以上)はあったりあることなのだろうと思う。
でもドリャーおじさんは笑われても。尊敬されなくても。ケガしても。飛び込んできて。
その姿をみて、
自殺をしようと思い悩んで此処に来た人を思いとどまらせたことも多々だったらしい。
勿論、間に合わず、本当に飛び込んで帰ってこなくなった人もたくさん見て、遺体を片付ける手伝いも何度もして来たらしい。
(10年以上前に行ったときの写真ですみません)
無理する人、唯我独尊で己の道を突き進む人。
「ばか。アホ。愛しきばか」
以前の私ならこれら語弊のある言葉を説明しながら使っていたと思うが、
なんか、なんだかそれも今は違うというかしっくり来ない。
唯一無二の。いや、それは皆そうなのでこの言葉も違う気もする。
が、好き嫌いでいうと、私は、こういう人が、嫌いじゃない、むしろ、好きだ。すげー好きだ。
昔は「尊敬する」とか「愛しい」とか言うてたが、これもなんか違う。
敢えて言葉を選ぶと、「癖(へき)」みたいな、そんな感じだろうか。
「癖」つまり「その人自身(であることそのこと)」、
あまりに強烈な「その人自身(であることそのこと)」、か。
それが、他人に力を与え、時に死(など)すらを思いとどまらせる。
そう、あなたがあなたであることは、それだけで、その一言や一言動が、
誰かの心に残って、誰かを動かしたり力になったりしてするのだ。マジで。と、強烈すぎるドリャーおじさんは強烈に体現している(本人にその自覚はなしに)気がする。
知りもしないわかりもしないで安全な場所から笑ったり、
安全なところから降りてもこず、
または、自分がそこに居るということを意識もしていないでいるひとは
好き勝手なことを言ったり笑ったり「自分とは違う」なんて言ったりするかもしれないけれど。なかなか、理解されないかもしれないけれど。
でもその人たちも一度は〝断崖絶壁〟に立って引き返したり、
立っていなかったり、これから先立つのかもしれないのだものね。
でもでも。どうぞ、どうか、体だけには気を付けてね。気を付けてよ。皆。皆。体、と、そこからの心。
祈るように、めっちゃ、思う。最近、いろんな人に対し、とても思う。
そして、ここで、私も叫ぼう、叫ばねばと思う。「ドリャー!」 よっしゃー!!
状況や気持ちはそれぞれ色々やけど、
なんかちょっとしんどい人や悩んでいるだろう人に、
そして、己にも喝を入れたくなり、なんか書きたくなりましたドリャー。
「ドリャー!!」ってなんか口に出すだけでも元気になるね。
皆、元気でね。元気でない人もちょっとでも元気出るような楽しいことがありますように。
◆omake◆
当時、展覧会行ったときに書いた過去のblog記事。
と、文中のDVDはこれみたい。
【プロフィール】
大阪の物書きでございます。
大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
下町・大衆文化も好きです。
女2人の立ち呑み旅も連載中。現在第9回まで更新中。
そして「大事な場所」にまつわる連載も、始まりました。
ラジオ懐メロ番組の構成作家やらCMやらの構成作家やライターもやっています。
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