血と、雲と、男と女と波と雲~私的『浮浪雲』のこと~
5年前~3年前くらいまで
別に好きでもないけど『ビックコミックオリジナル』を毎号読んでいました。
読む機会がありました。と言うた方がいいんかもしれんが。毎号欠かさずです。
自ら進んででもないし特段好きとか面白いとかでもないけど、
毎回まずページをひらいた漫画こそ『浮浪雲』でした。
まず『深夜食堂』ではありません。第1回から数回は漫画もドラマも「あ、ええなあ」と思ったのにだんだんだんだん「なんか人間をステレオタイプに描きすぎちゃう?」とか「なんか感動を押し付けてるみたいやな」「なんしかもうネタ切れやろ」と思っていた『深夜食堂』ではありません(笑)
なぜか『浮浪雲』でした。好きかと言われたらどうやろって感じやねんけど。でも毎回。
そうして連載最終回まで読んでいたのでした。
訳が分からなかった。
正直な感想はこれです。
ちょっと頭おかしいんちゃうかこの人(作者)。
やばいなあ。狂ってるなあ。
そんな回も結構ありました。
ええんこれ。これ載せてええん。ねえ?なあ、ほんまに皆チェックした?
正気の沙汰やないやろ。
ってな回も結構ありました。
衝撃でした。
江戸時代の、もとは武士で今はふらふらいている、品川の宿場町の問屋の主人(らしい)
なんしかふらふらしている「雲」さんを主人公にその家族やまわりの人の話。
つっても話らしい回もない回も結構あって。起承転結や物語ではないような回もあった。
例えるなら江戸時代の川柳やら戯れ絵みたいな?落語みたいな?
いや、そんなええもんちゃうか。
せやに、どこか余韻が残る。
ずぅんと残る。
なんか哲学?みたいな。
いや、哲学なのか?
狂人の戯言なのか。
いや狂人じゃなく老人の戯言なのか??
私はストーリー性のない漫画や小説があまり得意ではなく、
シュール系の漫画とかも好みではない。
なのにこの哲学なのか狂っているのかわからず、
でもなんかわからんけど深い、軽いのに深い、深いのにふらふら軽い
この漫画が後を引いて、気付けば毎回まず読んでいました。
興味を持って検索した作者のジョージ秋山先生の顔写真は
めっちゃ怖くて、「この人がこれを描いてる?!」から余計に面白くなりました。
身近にこういう人が居て、似たような哲学だか戯言だかわからないことを延々言っていたので(これは流浪の月のnoteに書きましたね)重ねてみていたのかもしれません。
銭ゲバやアシュラのことを知ったのはあとのことです。
銭ゲバは知っていたけれど同じ作者だなんて知らなかった。
そう、私は世代じゃないのです。
でも縁あって連載の最後の方を読んでいた。これも不思議な縁やなあと思います。
昨日、ネットニュースで訃報をみたとき「え!」って叫びました。
ああ、私、ハマってたんやなあ(笑)
それから2日、暇なときにあれこれ検索したりしてしまいました(笑)
今朝の読売新聞の編集手帳、よかったなあ。
東スポの悼む記事もよかった。人となりのエピソードがいっぱい。
こんな訳わからん漫画描いてた人がどんな人やったか知りたいやん。
わかって、なんかめちゃ納得した。と同時に消化不良。
もっと知りたいわ。でもきっと取材とか申し込んでもはぐらかせまくりやったんやろうな(笑)
そんなところも、なんか、納得やねんけど。
人間を描いてはったんやろなあ。・・・たぶん。
そしてたぶん、自分を描いてはったんやろなあ。
めちゃめちゃほんまは頭ええというか、
めちゃめちゃいろんなもの(本や物語、人間)にふれて、ふれまくってきはったんやろうなあ。
おもしろいなあ。こわいなあ。
銭ゲバ。アシュラ。描けへんで。そんなん。
人間ってなんやろうをつきつめていたら
最後(?)は、浮浪雲になったんかなあ。
狂気。哲学。俺。人間。つかみどころのない、雲。
血と、雲と、男と女と、波と、雲。
今この時代、コロナな時代、浮浪雲が続いていたら
どんな話を描いてはったんやろうなあ、と思います。
きっと、あのテケトーな感じやったんやろうけど。
テケトー、でも、深いような。
ああ、新作、読んでみたかったなあ。ででんでんでん。
(※今日は私もふわふわと書いてみました。また書き直すかもしれん笑)
※※旅芝居・大衆演劇で『銭ゲバ』をモチーフに新作芝居を作った
若い座長さんが居ます。これなー!観たいなー!
※※※ これ東スポの記事。ええなあ。
【死去ジョージ秋山さん 夜のお店で“笑劇”あいさつ】
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1883349/
楽しんでいただけましたら、お気持ちサポート(お気持ちチップ)、大変嬉しいです。 更なる原稿やお仕事の御依頼や、各種メッセージなども、ぜひぜひぜひ受付中です。 いつも読んで下さりありがとうございます。一人の物書きとして、日々思考し、綴ります。