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ブレないことは、むずかしい。 いつも正しいことじゃないかもしれないし、 むしろ、正しいこと(だけ)じゃないかもしれない。 まわりからしたら、面倒臭かったり、 ややこしいこともたぶん少なくない。 その上で言うが、「ブレない人やものが好きやなあ」と思う。 思ってしまう? いや、思う。 人は皆変わる。変わってゆく。 ブレない人ブレられない人も含めて誰しもが。大なり小なりにも。 変わらなきゃもいけない(かもだ)し、 っていうかそもそも変わってもゆく。 でも変わっていっても変わらな
『転がる石』という演歌がある。 旅芝居の舞踊ではテッパン曲、 つまりどこの劇団でも常に誰かが踊っているくらいの曲だ。 旅芝居特有の(股旅や任侠芝居のismから通ずる)ニヒリズムと自己陶酔、キメやアピールがしやすいええ感じのリズム、客席から掛け声をかけてもらえやすいええ感じの箇所、色々、「あー」なポイントだらけ。 せやから踊っていて気持ちよくなるんちゃうか。 観ていてもぽぉっとキャーとなれる曲なんちゃうか。 ぽぉっとはなれへん私は劇場でいつもへぇーっと観てきた。 私的初早乙女太
「お前は輝け。太陽が嫉妬するくらい」 イカロスは太陽に憧れて焼け死んだが、 「そのイカロス」は高く高く跳び笑い踊る。 イカロスとはギリシャ神話に登場する若い神だが、 「神」と言う言葉は現代の推し活シーンなどでもよく使われている。 「マジで神」「神ってる」「ファンサが神」 ひとりひとりが勝手に意味を付けて神になる。神にする。 自分が。自分たちが。 「神をつくる」 このところ仕事の合間に読んでいた700ページ位の長編を読み終えた。 呉勝浩の『Q』。 クライムサスペンスでバイオ
表紙と装丁の元となっているのは広重の「両国花火」。 でも花火も屋形船も切り落とされている。 ただ黒洞々たる夜の橋があるばかりだ。 と、羅生門の最後の一行なぞもじりたくなったのは、その内容故かもしれない。 手にするとずっしりと重く感じるのは、 タイトルと帯に書かれた宣伝文の力もきっとある。 『夜露がたり』(砂原浩太朗・新潮社) 目次をみると全8篇、 それぞれのタイトルからも滲みが漏れ、否が応でも期待は膨らむ。 「帰ってきた」「向こうがわ」「死んでくれ」「さざなみ」 「錆び刀」「
古典と世界史の授業が好きだった。 いい先生に巡り合えたからというのも大きい。 伊勢物語「あずさ弓」の現代語訳という宿題を びゃーっと書いて提出したところ、 年配の色っぽい先生が笑ってくれた。 卒業するまでずぅーっと言われた。 「『桃尻語訳 伊勢物語』のmomoさんね。うふふ」 今思うと橋本治というより田辺聖子気取り、というか、読んでいたから書いた書けたのだろうと思う。 でも、たくさんの真面目な回答の中、いきなり出てきたあんな訳を読まされたらそりゃびびるやろうな。 「江
箱(棚)貸書店コーナーの一部をシェアさせていただいている 東京・湯島のBookstore&Gallery「出発点」店長であり、 出版社「旅と思索社」代表によるご挨拶がHPにアップされています。 よろしければお読みいただき、 記載の営業時間&定休日をご確認の上、 是非、「本屋・桃花舞台」も含む、 素敵な箱主さんの本屋や、御店主セレクトの本、 いろんな作家さんによる雑貨などに出会いに遊びに来ていただければ嬉しいです。 これまで来て下さった方お買い上げいただいた方、本当に嬉しいで
人は誰しも「思い込み」を持っていると思う。 大きなものから小さなものまで、 言うなれば 「こう、と、されている、ことを疑いすらしないこと、かーらーの固定」だろうか。 その「かーらーのー固定と凝り固まり」が、 誰かをしんどくさせたり誰かにとっての暴力となりもしかねない。 と、考えたことはあるだろうか。 「こうであることが当たり前of当たり前すぎて疑いもしない」 その向こうには、「ではない」「そうなれない、出来ない」ことやものやひと、も、「ある」「いる」。 その絶望や苦しみを考え
間食(おやつ)。 それらは、命を繋ぐための「食事」ではなく、だけでなく、 楽しみや、気持ちを満たすためのものとしての意味もある。 お喋りもだ。 お腹の足しにはならないかもしれない。 けれど、楽しみや、気持ちを満たすものとしての意味や、 生きる上での指針や希望に繋がるということもある。 おやつ、女子会、雑貨店やお洒落、芝居や、劇場。 でも、食生活が状況や環境によって満足にゆき届いていない場合には、 おやつはご飯になる、せざるを得ない時もある。 女子会やお喋りも、楽しみのためじゃ
「本屋・桃花舞台」 startした5月GW以来、 いろんな方に訪れていただき、 お買い求めいただいたり、みていただいたり、 ほんとうにありがとうございます。 「湯島をぶらぶらしていて思い出して、Momoさんのnoteをみて気になっていた本を、手にすることが出来ました」とお伝え下さった方も居て、 ありがたくうれしいことばかりです。 自己紹介がわりの手書きペーパーもたくさんの方がお持ち帰り下さり、 うれしいです。 改めての御礼と、今月8月の更新の、お知らせをさせて下さい。
生き様。 今では誰もが結構気軽に使うけどきっと意味としては重いであろうこの言葉を浸透させたのは(一説によると)プロレス中継の際の古舘伊知郎らしい。 と、聞いたか読んだかしたけれど、定かではない。 でももっともらしいな、と思ったりもする。 なんだかもうほんとに浸透しすぎている言葉じゃないですか。 わかるようでわからなく、わからないようでわかるような気がする言葉じゃないですか。 なんてことを思い出したのは、 プロレスを描いて(正確には闘魂三銃士(だけじゃないけど)を描いて) 第1
人はひとりとして同じひとは居ない。 生まれも生い立ちも考え方も性格もちがう。 だからこそ、さまざまな人と共にする、奇跡のような空間と時が愛しい。 そんなことを劇場体験(長く、と、特に近年の大事な)で深く思うようになり、 だから、それぞれの気持ちやライフストーリーにも更に想いを馳せることが増えた。 元々、興味があったのだとは思う。でも、たぶん、更に。 そんなこんなで、このnoteにも長渕三昧だの、のど自慢だの、〝街は劇場〟だのと出てくるし、書いている。 (勿論、これも思うところ
何この写真。モロゾフのプリン。いただきものです。 大阪の芸人がよくネタにしますね。 「大阪のオバハンは食べ終わったモロゾフのコップ洗ろて使う。麦茶とか入れる」 オバハンじゃなくても大阪じゃなくてもやりますよね? 「ストロベリーソース入り ピスタチオのプリン」 食べていて3段の層を「わ、きれい」と撮ったのですが、 まさか使うつもりはなかったので全然きれいじゃなく、 食べさし写真にて失礼しました。 プリンを食べながらとある1冊を思い出しました。 プリンは出てきませんが、チェリ
素敵な本に出会いました。 『宙ごはん』 生きることに不器用な、でも懸命な、愛しい皆の物語です。 勿体なくて一気に読みきるのが嫌で、1章ずつ1章ずつ、大事に、何日もかけて読みました。 最後まで読みきるのも嫌になり、最後に近づけば近づくほどゆっくり読みました。 そうしたかったのです。そういう話でした。 作者は前年度本屋大賞受賞者の町田そのこさん。 受賞作『52ヘルツのクジラたち』を読まれた方も多いのではないかなあ。 一貫したthemeとして「当たり前じゃない家族像(の肯定)」や
何年か前から、きっかけを経て、「ちゃんと学ばねば」いや「学びたい」と思っていたテーマでした。 恥ずかしながら自分自身の中でずっと麻痺していたこともたくさんある。 勝手なイメージから近づかなかったりして大きくは興味を持ってこなかったことなども自覚しだした。で、ようやっと、もある。 思わせてくれたきっかけは、劇場活動、我が推し活です。 大好きな舞台人いや表現者であるひとりの踊り子さんです。 彼女の舞台や舞台姿からいろんないろんなこと、たくさんのことを教わっています(と思って