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#生きること

人間について考えるときに思い出す監督とその作品

今村昌平のことをよく思い出す。 何が、とか、なぜ、という理由はないが、 なにかと折にふれてその作品を思い出す。 「あれはなんや」「なんやねん」「なんなんや」 好きかと言われたらわからんと答えるというか答えたい。 好きだとも言いたくないなとも思う。 大声で広い場で広く「おすすめ!」なんて言えない。 この時代にその名前や作品名を出すだけで 誤解を招きかねもしない。別にいいけど。   ずっと前、 当時の呑み仲間であるダンディーなフリーカメラマン氏に話題に出した。 呑み仲間で芝居仲間

踊 お祭り騒ぎととある本

踊のおもしろさが昔はあまりわからなかった。 からだだからだ。 断然、芝居がおもしろかった。 言葉だ(もある)からだ。 物語、心情、テーマ、メッセージを 肉体と共に「言葉」を発することで描いていく芝居と比べて、 言葉はなくからだでそれらを表現する踊は、 ちいさな頃から体があまり丈夫ではなかったり それが故のコンプレックスもあったわたしには 縁の遠いものだと思い込んでいたのかもしれない。 でも今はとてもおもしろい。 言葉がないから、より一層、「からだ」でもあるから。 踊ること、踊

しょうもないけど、しょうもなくない

しょうもないものを買うてしまった。 帯のキャッチコピーと裏表紙の文句と、 タイトルに釣られて引っかかった。 すこし前だが話題になったり本屋でも平積みされたりしていたので、 この強烈なタイトルに見覚えがある方も少なくないかもしれない。 わたしは、や、わたしも、ちょっと前に、 知らん土地のヴィレッジヴァンガード的な本屋で見つけてしまい、 私用の長い待ち時間の暇つぶしに読もうと手に取った。 せやけとあかん。笑いすぎたり、引きすぎたり、 病院やら電車で読む内容やない。   見開き1ペ

体と気持ちと 「今」 1.4とか1.5とか、1.6とか、あ、1.1とかを観て

リング上にはひとつとして同じではない体と気持ちがある。 ぶつかったり近寄ったり離れたり、その体と気持ち、「今」を私たちはみる。   年が明けて1.4とか1.5とか、1.6とか、あ、1.1とかを配信で観た・観ていた。 どれもいわゆるメジャー団体のビッグマッチ(の日付)である。 各試合だの各選手だのに関して感想や想うことはありまくるし語ると止まらない。 例によってそれを書くつもりは特にない。 (あ、でも観た方よければ語りましょうの気持ちはいつもある) でも、なんだか今年は、あ、今

舞踊って 身体(からだ)って 人間についての考察

ここ最近舞踊について考えたりもしていた。 きっかけは、なんだろう。 先日やっぱりほんまにええなあと思う思える舞踊を観ることが出来たことか。 それは大きい。 この夏いろんな盆踊りを見に行ったりしたことか。 それもある。 あるし、なんや、なんやろう、 そんなことをそんなことは常に考えたり思ったりしているような気もする。   音楽には言葉とリズム、いや違うな、メロディーとリズムと言葉がある。 その音楽の中で自らの体を使って踊る。 物語、メロディー、リズム、体。 あれ、順番が違うか。

観ること聴くこと関わること 『調査する人生』と『大阪』

社会学者で作家の岸政彦と作家柴崎友香の往復書簡というか共著エッセイ『大阪』を読み終えた。 続いて、同じく岸政彦の新刊、 Web岩波の「たねをまく」で連載されていた対談をまとめた『調査する人生』をゆっくりゆっくり読んでいる。 そんな中、この本にも登場する社会学者『ヤンキーと地元』の作者、 打越正行さんが亡くなられたことも知った。   誰かの人生に興味がある。 ちょっと違う。 興味があるとか、調査とか観察という言葉も、 なんか、上からというか、そんな感じやから、私的にそうじゃない

宙は等しく 誰も見捨てないドラマを観て願うこと

誰も見捨てなかった。 都合のいい悪をつくらなかった。 誰も悪としなかった。 そのことが、嬉しかった。   NHKドラマ『宙わたる教室』が終わった。   始まってすぐの頃「いい!」と書いた。 でも数話進んでちいさな違和感というか ちいさなちいさな「ん?」があって、 それはすこしだけど、すこしずつ、大きくなっても行った。 違和感というのはちょっと違う。 勝手な願いを持つようになった、が、近い。 作品がいいと感じるからこそ、 回が進むにつれて 「そうあってほしいな」 「そうあって

青天のヒーローたち

汗臭い泥臭い人間臭すぎるヒーローたちと詰めかけた大勢の観客が笑っていた。   近所じゃないけれど遠くもない寺で 時折大阪プロレスの興行が来ると知ったのは 古くから縁あるラジオ局の某番組での告知でだ。 プロレス(&演劇)ファンを公言するDJは 毎週末の関西近辺での興行を読み上げる。 メジャー団体は全国を廻っていたり どうしても関東中心になったりするから、 告知は自然とインディーの団体のものが多くなる。 聴きながら毎週「とほほ」と口に出すのはばかにしているからではない。 むしろ逆

あわあわと、ゆらゆらと 『一場の夢と消え』

近松のおもしろさを教えてくれたのは 上方文化評論家を名乗るけったいな紳士だった。 学生時代に出会った講師なのだが いつも口元にゆらり皮肉っぽい艶っぽい笑みを浮かべていた。 年齢も性別も超越したようなそのひとの持つ空気に 皆ちょっと引き気味というか距離をとるようにして接していた。 はっきり言って、我々にとっては、 気味がわるかったというか、得体の知れぬ空気をまとっていたのだ。   そいつが担当する上方学と題される講義はなぜか朝イチにあって 「朝からこんなに何の役にも立たない話を

地べたと宙 『宙わたる教室』がとてもいい

NHKドラマ『宙わたる教室』がいいなあと思っている。   主演が窪田正孝だからという不純な理由で観始めた。 「あきらかに今を意識してドラマ化したな」 「ベタやなあ」 と、初回を見始めながら思ってはいた。 でも観終えたときはちょっと違う気持ちになっていた。   学校をテーマにした話ということで、 なにかと照らし合わせたり伝えたり、 そのようなセリフを「押しつけがましい」と感じる人は居るかもしれない。 でも、そのバランスが、演技とも相まって、押しつけがましくない。 空気が、皆の演

平等とは笑いとは 人間とは 『新宿野戦病院』に思う

平等ってなんだろう。 平等は難しい。正しさも難しい。 もしかしたら笑いと同じくらいに。   笑いは難しい。 例えば誰かを笑う笑いのすべてが悪いことはない。 身体的特徴やそのひとが触れられたくないようなことをいじることは、 ほぼほぼほとんどの場合「ぜったいよくない」。 でもすべてが「悪」では必ずしもない。 関係性や場所によってはそれらは他者が決めつける「絶対悪」ではない場合もある。 そこだけのそこだけを「切り取り」でみて否定や排除することは危険だ。   人間は、難しい。   宮

ライト 淋しいのはお前だけじゃない

人はなんで舞台に立つんやろう。 人はなんで劇場に行くんやろう。   ドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』を このところ仕事の合間に観ている。 このドラマのことはシナリオ集を読んだ時に こう書いたもといがっつりたっぷり語ったのだが、 いざちゃんと観ると観てみると込み上げてくるものがあってならない。 毎話、グッときてげらげら笑いながらも、ダーッと。 あまり泣かない、人前ではほぼ泣かないくらいの人間が、めっちゃ。   それは、 そうなるのは、 やはり、旅芝居・大衆演劇の…… い

ON THE WAVE 『FATMEN OM THE WAVE』

ブレないことは、むずかしい。 いつも正しいことじゃないかもしれないし、 むしろ、正しいこと(だけ)じゃないかもしれない。 まわりからしたら、面倒臭かったり、 ややこしいこともたぶん少なくない。 その上で言うが、「ブレない人やものが好きやなあ」と思う。 思ってしまう? いや、思う。   人は皆変わる。変わってゆく。 ブレない人ブレられない人も含めて誰しもが。大なり小なりにも。 変わらなきゃもいけない(かもだ)し、 っていうかそもそも変わってもゆく。 でも変わっていっても変わらな

ロングロングアゴー 「今」の話

つい昔の話で盛り上がる。 先日若い頃の芝居仲間から連絡が来た。 自分が芝居を始めるきっかけとなったメンバーの出演する小劇場演劇というかコントイベントに行ってきたという報告だったのだが、 そこからわたしが今年再演? 再再演? された松尾スズキの『ふくすけ』(観たかった!)の話題を振ったら鴻上尚史の『朝日のような夕日をつれて』も「2024」として今やってますよねしかも主演は……! それな! 今をときめく大河俳優ですよ! いや、ほんまに! という話、からの、当時の感想メモとか引っ張