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本とかドラマとか歌の感想など
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#舞台

体と気持ちと 「今」 1.4とか1.5とか、1.6とか、あ、1.1とかを観て

リング上にはひとつとして同じではない体と気持ちがある。 ぶつかったり近寄ったり離れたり、その体と気持ち、「今」を私たちはみる。   年が明けて1.4とか1.5とか、1.6とか、あ、1.1とかを配信で観た・観ていた。 どれもいわゆるメジャー団体のビッグマッチ(の日付)である。 各試合だの各選手だのに関して感想や想うことはありまくるし語ると止まらない。 例によってそれを書くつもりは特にない。 (あ、でも観た方よければ語りましょうの気持ちはいつもある) でも、なんだか今年は、あ、今

青天のヒーローたち

汗臭い泥臭い人間臭すぎるヒーローたちと詰めかけた大勢の観客が笑っていた。   近所じゃないけれど遠くもない寺で 時折大阪プロレスの興行が来ると知ったのは 古くから縁あるラジオ局の某番組での告知でだ。 プロレス(&演劇)ファンを公言するDJは 毎週末の関西近辺での興行を読み上げる。 メジャー団体は全国を廻っていたり どうしても関東中心になったりするから、 告知は自然とインディーの団体のものが多くなる。 聴きながら毎週「とほほ」と口に出すのはばかにしているからではない。 むしろ逆

ライト 淋しいのはお前だけじゃない

人はなんで舞台に立つんやろう。 人はなんで劇場に行くんやろう。   ドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』を このところ仕事の合間に観ている。 このドラマのことはシナリオ集を読んだ時に こう書いたもといがっつりたっぷり語ったのだが、 いざちゃんと観ると観てみると込み上げてくるものがあってならない。 毎話、グッときてげらげら笑いながらも、ダーッと。 あまり泣かない、人前ではほぼ泣かないくらいの人間が、めっちゃ。   それは、 そうなるのは、 やはり、旅芝居・大衆演劇の…… い

ロングロングアゴー 「今」の話

つい昔の話で盛り上がる。 先日若い頃の芝居仲間から連絡が来た。 自分が芝居を始めるきっかけとなったメンバーの出演する小劇場演劇というかコントイベントに行ってきたという報告だったのだが、 そこからわたしが今年再演? 再再演? された松尾スズキの『ふくすけ』(観たかった!)の話題を振ったら鴻上尚史の『朝日のような夕日をつれて』も「2024」として今やってますよねしかも主演は……! それな! 今をときめく大河俳優ですよ! いや、ほんまに! という話、からの、当時の感想メモとか引っ張

分け入つても分け入つても 山頭火とか五郎兵衛とか

町田康が書いた『入門 山頭火』を読み終わった愛酒の日に。 ヤバいやつがヤバいやつを書いためっちゃヤバい。 静かにもどぉしようもなさが頭をぐるぐると回って一気にはいけない。 何ヶ月か前に買い読むもしばらく放っておいてまた手に取ったりまた放ったりしていたら今日になった偶然。 知ってはいたが山頭火はどぉしようもない。 どれだけ美化しようともほんとうにどぉしようもないと思わされた。 そのどぉしようもなさが人を惹きつけるんやろなとも思ってきたし思わされた。   同じく町田康が書いた『告

芝居小屋とうそとほんと 『万両役者の扇』

また偶然なのですが、 芝居小屋にまつわる本を読みました。 出版されたばかりの新作なのですが、ほんと、偶然。 んー? となって、手にとりました。   芝居をすることにとりつかれ「ほんととうそ」が曖昧になっていく人と、 その人に魅了されて(?)いく人びとの話。 簡単な言葉を使うとそれは常軌を逸した…… いや狂ってるんじゃなく冷静、 意外と冷静で、 いやいや、もう「ほんととうそ」「ほんとかうそか」 「自分ってなんなのか」が、 わからなくなっている、みたいなのかもしれない。 自分の“

花と花瓶 ある2人の歌手の顔

「人生はその日その日の積み重ね」 近所のお年寄りが口にしたのを聞いて肚の中でツッコんで笑った。 「何? みつを的な?」 でもその夜寝る前になって「うーむ」「ほんまやなあ」なんて。 ということを、思い出したのは、テレビに出ていた2人のおじさん歌手を見てのことかもしれない。   森進一。 「こわ!」 なんなんや、あの顔。今の顔。 人の容姿をどうこういうことはいいことではない。とはわかっている上で。 わたしはこのひとの歌とこのひとにずっと興味がある。 五木ひろしより森進一派。歌に物

The Aerial Assassin サンキューマタネウィルオスプレイ

金網の中でのごちゃごちゃ血まみれぐちゃぐちゃ試合をただ観た。 直接会ったこともないその選手のことを勝手に書きたい。   入団したころから観ていた訳じゃない。 会場に足を運んで生で観たことだって両手で数えるほどだ。 新日本プロレス在籍としての最後の試合も大阪だったけれど行かずに配信で観た。   いつの間にか気付けば目で追っていた。 むちゃくちゃだからだ。 なんでそんなに身体張るねん。 知人は見るたびに言っていた。 「やさしいなあ」 どんな選手のどんな技もやりすぎくらい受けまくる

それらはコインの裏表 何とかならない時代のシェイクスピアや近松

今朝「おすすめされていた作家さんの本を買いました」というメールをいただいて、なにかが繋がったような、不思議な気持ちになったのは、 ここ最近、このnoteを思い出していたからかもしれません。 ちょうと一年前に書いたものです。 振り返りネタが続いてしまっていますがサボっている訳ではない(笑) 赦しと復讐とコインの裏表のこと。 シェイクスピアとか近松とか己のことや、 いくつかの本と舞台の話とかと併せて、なんか憑かれたような気持ちで書きました。 ちょっと長いけど、ほんま、いろいろ

こよひ逢ふ人みなうつくしき マキノノゾミが描く与謝野晶子と若者たちの物語に

考える。 世の中には、いや、人間は、人間だからこそ、 あまりにもあまりな〝決めつけ〟が多いんじゃないか、と。 思い込みによるそれだったり、 自分にとって都合がよくないから 見たくない聞きたくない自分の中に入れたくないことだったり。 そうして自分の気持ち良かったり楽だったり、 自分と自分だけがよかったりすることだけに甘んじたり、 それだけを事実現実として〝そうじゃないもの〟を 例えば考えたり歩み寄ってみようとしてみたり、 考えもせずに「自分とは違う」「自分たちとは違う」として、

1冊の本、ひとつの舞台 『歌舞伎座の怪紳士』はミステリーでもホラーでもなくハートフルなあなたの私の話

タイトル、ちょっと濃い。 〝歌舞伎座の怪紳士〟 勿論あのミュージカルをもじって付けられたのであろうことはわかる。 けれど、漢字ばかりが並ぶからかな、 怪と紳士が並ぶと圧が強いよなあ、そこが、それが、ミソやんなあ。 そんなタイトルに反して、内容は、とても、とてもやさしい。 あたたかくて、やさしい話だった。ヒネクレ者のわたしでも何度かホロリ。 劇場と、人と、人びと、物語と「私」の話だった。   多作で知られる近藤史恵さん。 最近はドラマ『シェフは名探偵』の原作者としてご存じの人も

鬼 野獣郎見参と松井誠

劇団☆新感線の『野獣郎見参』は好きな芝居のひとつだ。 作者の中島かずきが「〝いのうえ歌舞伎〟リスタートとなった作品」と言っているが、今も人気の同劇団の芯や方向性を感じるような1本だと思う。 安倍晴明や陰陽道をベースにした、人と妖、 同劇団が得意とする伝奇活劇(チャンバラ)だ。 晴明ブームは初演時にはまだなかった。 映画の陰陽師だったり、OSKの『闇の貴公子』が上演されたり、 で、晴明神社がなんか観光チックになったりしたのは、 再演の前後だったように記憶している。 同劇団らしく

夢になるといけねぇ 寄席写真家橘蓮二の目にやられろ

学生時代の劇団の先輩に文楽のカメラマンが居た。 最もお世話になった先輩の一人だ。 でも当時特に伝統芸能に詳しかったとか好きだったとかいうことはなかったので驚いた。 学生時代ぶりに「Momo、歌舞伎とか落語とか好きやん? 大衆演劇とか。実は私今ね……」とか連絡が来て、会ったり、話を聞いたり、頻繁にお茶したりしていた。 「おじさんたちの撮るの、なんか違う気がするねん。お洒落に撮りたいねん」 ということで公演中の楽屋にも同行したりしたが、わたしはド緊張。 お会いしたうち、お一人はも

プロとプロの仕事と気持ち テレビという舞台(リング)で

「ジョブチューン」という番組をつい観てしまう。 気付けば、仕事のBGMがわりのはずが、結構ガチで観てしまう。   何度か炎上案件にもなったのでご存じの方も多いかもしれない。   例えば大手のコンビニやファミレス外食チェーンの人気メニューを、その道の職人というか海外でも活躍する日本を代表する(らしい)シェフやパティシエたちが「ジャッジ」をする。 試食し、合格か不合格かの札をあげて、理由や能書きをのたまう。 のたまう一流シェフだのパティシエだのはなんかパンチの効いた感じの人が多