全ての依存症をコンプリートした母親_2


私は、3歳か4歳の頃から保育園に預けられました。

保育園の思い出は、今でも覚えている事も多く
割と楽しかったんだと思います。

特によく覚えている出来事が1つあります。


ある日、いつも迎えに来る時間に母が来なかった日がありました。
私は特に気にせず、担任の先生と遊びながら待ってましたが、それでも来ませんでした。

すると担任の先生が「先生のお家でご飯を食べよう」と言って、私は先生の家に一緒に帰りました。

私はその先生が大好きだったので、
先生とまだ遊べる!とテンション高かった気がします。

ご飯を食べてそのまま寝てしまったらしく、気づいたら自分の家で寝ていました。

翌朝起きると、母は普通で、
私も「なんで昨日迎えきてくれなかったの?」とも聞かなかった気がします。

この日の出来事をなぜか今でも覚えていて、
私が高校生くらいの時に母にこの日の出来事覚えてる?と聞いたことがあります。

すると母は、

「あ〜。その日は仕事終わって閉店までパチンコ行ってたよ。先生から連絡来てたけどその時ちょうど出てたから(当たってたから)シカトしてて、パパが先生のとこに迎え行ったの。パパにめっちゃ怒られたよ(笑)」

と、言いました。

その話を聞いた時も、もちろん毎日パチンコ三昧の日々だったので納得しました。

パチンコ依存症の人は、その日大事な予定があろうがなんだろうが、気づいたらもう椅子に座り、右手を捻っているんです。

たとえ子供が待っていようが、関係ないのです。

こういうことが、何億回と繰り返されます。

家族からしたらたまったもんじゃありませんね。


私は小学1年生になり、
楽しい学校生活を送っていました。
ですがある日、両親にこう告げられます。

「おばあちゃん家の近くに引っ越すことになったから転校するよ」

私は、『今の学校も楽しいけど、新しいところに行くのも楽しそうだな。』

それくらい軽く考えてました。

その時は首都圏内に住んでいて、母方の祖父母も近くに住んでいました。引っ越し先の父方の祖父母の家は鬼地方でした。

鬼地方だったこともあり、父方の祖父母と面識があまりなく、なんとなく旅行気分だったのかもしれません。

そして慣れ親しんだ街を離れ、鬼地方へ家族3人で引っ越しました。

続く、、、

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