見出し画像

歯みがき粉すら買えない国を、音楽が救うか。《南米ベネズエラのアーティストたち》


『アーティストになったから、 
国外へ出られた』

これは南米ベネズエラで出会った、若いアーティスト(音楽家)たちのことだ。

ベネズエラはこの数年、アメリカの制裁によるハイパーインフレと、革命と、反政府デモで、混沌の一途をたどっている。日中はバリケードがはられ、犯罪が多く、暴力が溢れ、夜出歩くことは困難だ。もちろん日本人が観光に行くことは薦められていない。

画像1

ベネズエラに入国した時、わたしはベネズエラのアーティスト(音楽家)約20名と一緒だった。彼らは、演奏と経験という名目で国外へ出ていた。大量に抱えた歯みがき粉は「帰国したら手に入らないから」とヨーロッパのスーパーで買い占めたらしい。あまりにも高騰する物価に、日用品すら変えない現状だった。

そんな国の環境のなかでも、アーティストである彼らは、各国で演奏をし、旅をすることができた。貧しさと革命の混乱に苛まれた国で海外を見ることが許される、数少ない20代の若者たちだ。そしてそのほとんどが貧困層の出身だった。

なぜ、この貧困層の若者たちが、プロのアーティストになり、なかなか出ることのできない国外に行くことができたのだろうか

画像2

 

ベネズエラから広がる、音楽の奇跡

薬物、虐待、犯罪……抜け出せない貧困の連鎖のなかにいる子どもたちを救うために、ベネズエラには『エル・システマ』というものがある。無料で受けられる音楽教育のことで、“音楽や芸術によって人の心が豊かになり、心が豊かになることで生活も豊かになる”という思想のもと、1975年に設立された。以来、多くのプロの音楽家を輩出し、その活動は世界に広まっている。
日本でも、東京芸術劇場にてエルシステマ・ジャパンが『エル・システマ』に取り組んだり、東日本大震災の被災地で音楽祭を開催したりしている。

ベネズエラに到着し、わたしは『エル・システマ』の施設見学へ訪れた。

画像3

画像4

街の喧噪を抜け、デモでの道路封鎖の合間をぬって、辿り着いた場所は、とても立派な施設だった。

画像5

画像6

楽器を持った子どもたちが集まってくる。楽器は世界各地から寄付されたものも多い。

画像7

笑顔で迎えてくれた子どもたち。近年では、国際機関からの融資も多く、50万人の子どもたちの支援を目標としている。

画像8

画像9

館内には防音完備のスタジオがいくつもあり、楽器の練習をしている。

画像10

裏の公園に面した野外ホール。散歩をしている人や、公園内の変な彫刻も見える。

画像11

メインホール。偶然にもオーケストラのリハーサル中だった。

画像12

客席のイスはカラフルで可愛い。

画像13

建物の屋上で佇む少年。

音楽が、貧困層や不良の子ども達を更正させた例は、世界各地にある。映画化されているものも多い。『エル・システマ』もそうで、すでに31万から37万の子どもたちを国中の音楽学校に通わせている。

そしてそれは、ただ貧困層の子どもたちに限らない。

画像14

『エル・システマ』の関連施設で、障がいを持つ子どもたちに音楽を教えている。

画像15

ダウン症などの子どもたちは、打楽器を手に一緒に演奏をする。

画像16

子どもたちを見守る親。どこの国も、子どもを見つめる親たちは同じだ。

画像17

日本の紙風船で遊ぶ子どもたち。夢中になって膨らましては飛ばしはじめた。

彼らの中からプロのアーティストになる子もいれば、音楽の先生になったり、はたまた音楽によって得た前向きさを胸に、別の道を歩む人もいる。

わたしがともに過ごしたアーティストたちは、この『エル・システマ』を卒業し、ベネズエラ各地の劇場/コンサートホールの持つ楽団に所属しているアーティストたちだった。

画像18

貧困のなかで育ってきた彼らは、音楽を手にし、道を切り拓いてきたのだ。

 

美しいホールと音楽は、彼らの誇り

ベネズエラ入国は、わたしにとっては訪問だが、彼らにとっては帰国だ。帰国した彼らは、次またいつ国外に出られるかわからない。

別れを目前に、彼らのホームである首都カラカスのコンサートホールで、その演奏を聞けることになった。

画像19

立派なホールだ。かなり交通の混み合った街中を少し入ったところにある。

画像20

ロビー。外観のオレンジとは対照的に、優しいグリーンで統一されている。

画像21

ホール内はブルー。2階席、3階席、4階席まである。

画像22

画像23

画像24

彼らは自分の国に残る。もう2度と会えないかもしれない。

日本からすると地球の反対側にいる20代のアーティストたちの笑顔は、いつも素敵だった。彼らは優しく、冗談が好きで、愛にあふれていた。いたずらもしたし、周囲を困らせたりもしたけど、陽気でひょうきんで、日本の20代となにも変わらない若者たちだった。
リーダーで指揮者のダニエルは25歳。日本の文化が大好きで、真面目で控えめな性格だ。お酒を飲んだ夜、日本の手拭いをねじりハチマキのように頭に巻いて、とても嬉しそうにしていたことを思い出す。

画像25

ホール建物の外は、貧困と革命と暴力があった。しかしホールは美しく、芸術に溢れている。そのステージに、誇らしげに立つ若きアーティストたち。アートが音楽が、人を変え、生活を変え、世界を変えてきた結果がそこにはあった。

画像26

彼らとここで別れたら、2度と会えるかわからない。

これから国外に出るには、腕を磨いてツアーに行くなどの方法しかないんだろう。もし10年ほどして、ダニエルたちが世界を代表するアーティストになったら、また会えるだろうか……。

画像27

今のベネズエラは、マクドナルドのハッピーセットが1ヶ月の給料より高い。日用品を買うのも困難だ。紙幣はゴミクズになったので、人々は市場でスマホのQRコードをかざして買い物をする混乱ぶりだと聞いた。

別れの時、ダニエルは言った。

「いつか国境がなくなりますように」

 
その言葉は、重いなぁ。

画像28

 

 

ちなみにベネズエラのご飯は美味しかったです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?