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読書日記: いとエモし。 

先日、東京国立博物館で、やまと絵を見に行ってきた。
その時に、豊かな風土に培われた日本の風景の中で育まれた情緒
みたいなものは、私の中にも響くものがあるのかも。
そんな気がした。
そう思ったら、やまと絵が描かれた時代のお話、
古典とかちょっと読んでみたい。
そんな気持ちになった。

しかしだ。
ちょっと思ったから読んでみるか。
と思えるほど、古典はフレンドリーな気がしなかった。
そう、なんか腰が引ける。
よっぽど好きでないと、ハードルは高い。
そう思わせる何かがある。
それは、出会い高校の教科書とかだからだろうか。

そんな私の気持ちに気づいてなのか、
タイミングよくこの本の存在を知った。

この本は、万葉集などを
現代の言葉に合わせて、エモく語ってくれる。
まるで、SNSにつぶやかれたかのように。
現代語訳を超えていて、
おそらくは、作者の感性ものっているのだけれども、
それでもなんか、これが詠まれた時には、
これくらいエモい表現だったのかも。
そう思わせる、何かがある。
ストレートに、情景が浮かんでくる。

ストレートに情景が浮かんでくると、
俄然面白くなる。
読みながら、その光景を想像し擬似体験する。
新しい言葉を通じて、過去の世界ともつながれる。
そんな不思議な体験をする。

もし仮に、同じ光景を見ていたとしても、
私はそんなに心動かされていないかもしれない。
日常生活に忙殺され、
私は自然の中で感じるその心の変化を見逃していたかもしれない。
そんなときに、自分の中に感性に時代を超えて
刺激してくれるものはとてもありがたくもある。

満員電車に揺られていたら、
正直感性なんてないくらいの方がちょうどいい。
刺激の多い日常では、鈍感に生きていくのが楽だと思う。
楽だけれども、何か手放してしまった日常。
そう、思ったらこれくらいエモーショナルなものを、
感じてみるのが新鮮だ。
私は感性が絶滅しそうに生きているのだけれども、
現代でもこれくらいエモくも生きていける。

時代が変わっても、感じる何か。
そこには、時代とともには変えられない
人としての普遍的なものが潜んでいるのかもしれない。
移ろうものを感じながら、うつろわないものを知る。
儚いようで、エモさのエネルギーを知る。

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