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東京名物百人一首(19) 京橋尾張町・天賞堂/荒川堤・五色桜/日本橋蛎殻町・東京米穀取引所/両国元町・すしや与兵衛

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

祐子内親王紀伊
 音に聞 高價たかねの品の 保儉付
   かけし时とを 賣もこそすれ

【元歌】
  音に聞く 高師の浜の あだ波は
    かけじや袖の ぬれもこそすれ

※ 「保儉付」は、保険付。ここでは「天賞堂」の保証サービスを指しています。
※ 「时」は、時。

挿絵に描かれているのは、「天賞堂」二十五周年のしおりです。祝賀期間中に来店すると、特別割引と景品が贈呈される旨の記載がされています。

明治三十五年十月吉日
東京市京橋區尾張町二丁目十六、十七、十八、十九番地
天賞堂主 江澤金五郎

追啓 本年は開店廿五年に付本月十九日より二十三日迄祝賀として特別割引を爲し併て景品を呈し候事

天賞堂は、明治時代初期に 印判師いんばんしの江澤金五郎が京橋区尾張町に開業した製印店です。その後、宝石貴金属や高級輸入時計などを扱うようになりました。

天賞堂では、顧客の信頼とその満足度を高めるために、今でいう「保証サービス」を始めました。購入時に、二円または五円を払うことで、機器保証(保証期間中は新品交換または返金)、メンテナンス保証(ガラス修理や磨き直しなどが無料)が付き、また三十日以内であればクーリングオフを受けることができました。

以下に 明治二十一年(1888年)に広告掲載された保証内容を引用してみます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『時計取扱方心得

右時計は機械の堅牢なる弊堂が説明を待たる所なり。然れども、特に御請求の分に限り左の手続に従ひ、正確の保険状を呈すべし。

保険を要せらるゝは、御請求の当時に御請求の後にあるとに拘らず、各一個に付、左の保険料を申受くべし。
  一金側 金五円  一銀側 金二円

・ 保険年限は、金銀時計共に二十か年を以て限りとす。
・ 保険年限中は、特に諸器機及び硝子の破損修繕、油さし、磨き直しの手入は、悉皆無代価とす
・ 保険年限中、自然器機の変化を生じ、到底使用に堪へざることあれば、何時たりとも同じで新規なるものと交換、又は、原価を返却すべし。
・ 保険の有無に拘らず、御購求後三十日以内に限り交換、又は、原価の返戻を要せらるゝは、其望に応ずべし。

参考:『東京諸商業繁栄録』『万民必携電話広告録:一名・商売繁昌』『日本紳士録 第2版(天賞堂諸物品調製之目的)』『富豪家成功憲法』(国立国会図書館デジタルコレクション)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

前中納言匡房
 あら川の 堤の桜 咲にけり
   百種の色の 替るもあらなん

【元歌】
  高砂の 尾の上の桜 咲きにけり
    外山の霞 立たずもあらなむ

※ 「あら川」は、荒川。

挿絵に描かれているのは、荒川堤の五色の桜です。明治時代初期に様々な種類の桜が植えられ、五色桜の名所として知られました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション
子供の喜ぶお話の泉:四季折々
荒川堤の櫻

荒川はその名の通り古くからの暴れ川で、ひとたび雨が降ると決壊して大きな被害がでました。それを憂いた江北こうほく村の村長 清水謙吾が明治十九年(1886年)に堤を修理した際、植木屋の高木孫右衛門(桜の熱心な収集家)の協力を得て、七十八種類三千本余りの桜の木を植えます。このことが荒川の五色桜の始まりになりました。

五色というのは、白妙しろたえ(白)、墨染すみぞめ(灰)、紫桜むらさきざくら(紫)、御衣ぎょえ(黄)、関山せきやま(赤)の五つの種類の桜をいうそうです。

こちらの本に  →『実験秘訣盆栽及庭樹の培養』👀
当時荒川堤に植えられていた桜の木の種類が掲載されているので、よかったら見てみてくださいね。

参考:『植物生態美観 増訂改版』『彰善百話』『天然記念物』『東武線案内』『桜花概説』『図解庭園樹木手入法』(国立国会図書館デジタルコレクション)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

源俊頼朝臣
 賣買うりかいする 人は定期ていきの 米相場
   はげしかれとは 祈らぬものを

【元歌】
  憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
    激しかれとは 祈らぬものを

※ 「定期ていきの米相場」は、現品取引の期限を定めて売買契約をなす米市場のこと。
※ 「祈らぬ」は、祈らぬ。

挿絵には、新聞の切り抜きのような紙片が書き写されています。

期米市場(十九日)
▲ 前塲は尙高し。梅雨の天候申分なきも、市米の益々好况を呈せると各地も安からず。殊に正米の好賣行を見て、正米師の買退くもの多く、今朝 … より二錢あり後北國及 … 食に伸び兼た … 本

※ 「期米市場」は、定期米市場のこと。
※ 「正米」は、市場で実際に取引される米のこと。正米しょうまい空米くうまい
※ 「正米師」は、現物の受け渡しがある米取引を業にする人のこと。


挿絵の「十九日」について、何年何月の十九日なのか、手がかりを見つけることができませんでした。

ちなみに、東京市における米取引は、明治九年(1876年)に設立された「兜町米商会所」と「蛎殻米商会所」が明治十六年(1883年)に合併して「東京米商会所」となり、さらに明治二十六年(1893年)三月に『取引所法』が公布され、同年十月「東京米穀取引所」として発足しています。

参考:『辞海(定期米)(期米)(正米)』『期米株式相場用語全集
米相庭高低道志るべ』(国立国会図書館デジタルコレクション)
渋沢社史データベース「東京米穀取引所『東京米穀取引所史』(2003.03)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

藤原基俊
 にぎおきし さすが与兵衛の 手際にて
   あはびこはだの 壽司といふめり

【元歌】
  契りおきし させもが露を 命にて
    あはれ今年の 秋もいぬめり

※ 「与兵衛」は、江戸時代後期(文政年間)に握り寿司を考案した小泉與兵衛。与兵衛寿司。
※ 「壽司」は、寿司。


挿絵には、笹の葉と「すしや与兵衛」のしおりが描かれています。

五もく鮨 両國元丁
すしや与兵衛

「すしや与兵衛」は、小泉與兵衛が文政七年(1824年)に開業した鮨屋です。得意としたのは海老寿司、伊達巻、厚焼き玉子、なかでも五目ちらしが評判だったそうです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京買物独案内:商人名家

與兵衛
(本所区元町一四 小泉與兵衛 電浪二八二一)
回向院前の路地奥に在り。握鮓の元祖にして古来有名なり。
『江戸名物詩』に所謂、
  流行鮨屋町々在 此頃新開両国東
  路次奥名與兵衛 客来争座二間中
なる者是なり。

其得意は、海老鮓、伊達巻、玉子の厚巻、五目ちらし等にして、殊に五目ちらしは昔より世に珍重せらる。味稍ゝ甘けれども模擬すべからざる好味を有し、最も婦女子の口に適す。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物志

與兵衛は、文政七年本所横綱に開業し、笹巻は其後ならむ。與兵衛は初蔵前札差業板倉屋の手代なりしが、傍ら茶事と骨董僻あり。業を転じて鮓業を開けり。その頃、押ずしのみにて、早漬といふ鮓なきより、好事の創案にて握鮓を作り、大に流行するに至れり。芝海老のそぼろを用ゐる事もこの人の草庵なりといふ。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本社会事彙 下巻 訂正増補 再版

参考:『東京名家繁昌図録 初編』『当代紳士伝(小泉與兵衛)』(国立国会図書館デジタルコレクション)



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