東京名物百人一首(19) 京橋尾張町・天賞堂/荒川堤・五色桜/日本橋蛎殻町・東京米穀取引所/両国元町・すしや与兵衛
【元歌】
音に聞く 高師の浜の あだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ
※ 「保儉付」は、保険付。ここでは「天賞堂」の保証サービスを指しています。
※ 「时」は、時。
挿絵に描かれているのは、「天賞堂」二十五周年のしおりです。祝賀期間中に来店すると、特別割引と景品が贈呈される旨の記載がされています。
天賞堂は、明治時代初期に 印判師の江澤金五郎が京橋区尾張町に開業した製印店です。その後、宝石貴金属や高級輸入時計などを扱うようになりました。
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天賞堂では、顧客の信頼とその満足度を高めるために、今でいう「保証サービス」を始めました。購入時に、二円または五円を払うことで、機器保証(保証期間中は新品交換または返金)、メンテナンス保証(ガラス修理や磨き直しなどが無料)が付き、また三十日以内であればクーリングオフを受けることができました。
以下に 明治二十一年(1888年)に広告掲載された保証内容を引用してみます。
参考:『東京諸商業繁栄録』『万民必携電話広告録:一名・商売繁昌』『日本紳士録 第2版(天賞堂諸物品調製之目的)』『富豪家成功憲法』(国立国会図書館デジタルコレクション)
【元歌】
高砂の 尾の上の桜 咲きにけり
外山の霞 立たずもあらなむ
※ 「あら川」は、荒川。
挿絵に描かれているのは、荒川堤の五色の桜です。明治時代初期に様々な種類の桜が植えられ、五色桜の名所として知られました。
荒川はその名の通り古くからの暴れ川で、ひとたび雨が降ると決壊して大きな被害がでました。それを憂いた江北村の村長 清水謙吾が明治十九年(1886年)に堤を修理した際、植木屋の高木孫右衛門(桜の熱心な収集家)の協力を得て、七十八種類三千本余りの桜の木を植えます。このことが荒川の五色桜の始まりになりました。
五色というのは、白妙(白)、墨染(灰)、紫桜(紫)、御衣(黄)、関山(赤)の五つの種類の桜をいうそうです。
こちらの本に →『実験秘訣盆栽及庭樹の培養』👀
当時荒川堤に植えられていた桜の木の種類が掲載されているので、よかったら見てみてくださいね。
参考:『植物生態美観 増訂改版』『彰善百話』『天然記念物』『東武線案内』『桜花概説』『図解庭園樹木手入法』(国立国会図書館デジタルコレクション)
【元歌】
憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
激しかれとは 祈らぬものを
※ 「定期の米相場」は、現品取引の期限を定めて売買契約をなす米市場のこと。
※ 「祈らぬ」は、祈らぬ。
挿絵には、新聞の切り抜きのような紙片が書き写されています。
※ 「期米市場」は、定期米市場のこと。
※ 「正米」は、市場で実際に取引される米のこと。正米⇔空米。
※ 「正米師」は、現物の受け渡しがある米取引を業にする人のこと。
挿絵の「十九日」について、何年何月の十九日なのか、手がかりを見つけることができませんでした。
ちなみに、東京市における米取引は、明治九年(1876年)に設立された「兜町米商会所」と「蛎殻米商会所」が明治十六年(1883年)に合併して「東京米商会所」となり、さらに明治二十六年(1893年)三月に『取引所法』が公布され、同年十月「東京米穀取引所」として発足しています。
参考:『辞海(定期米)(期米)(正米)』『期米株式相場用語全集』
『米相庭高低道志るべ』(国立国会図書館デジタルコレクション)
渋沢社史データベース「東京米穀取引所『東京米穀取引所史』(2003.03)」
【元歌】
契りおきし させもが露を 命にて
あはれ今年の 秋もいぬめり
※ 「与兵衛」は、江戸時代後期(文政年間)に握り寿司を考案した小泉與兵衛。与兵衛寿司。
※ 「壽司」は、寿司。
挿絵には、笹の葉と「すしや与兵衛」のしおりが描かれています。
「すしや与兵衛」は、小泉與兵衛が文政七年(1824年)に開業した鮨屋です。得意としたのは海老寿司、伊達巻、厚焼き玉子、なかでも五目ちらしが評判だったそうです。
参考:『東京名家繁昌図録 初編』『当代紳士伝(小泉與兵衛)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖