河鹿(かじか)
諸国に「かじか」とさすもの品類すくなからず。或 は魚、或は 蛙 なりともいひて、ひとの口には 唱ふといへども、慥に「かじか」と云名を古哥、又、古き物語等に見ることなし。唯 連歌の季寄『温故日録』に「杜父魚」「カシカ」としてなんの仔細も見へず。八目の部に出せるを見るのみなり。
其余、又、俳諧の季寄等に、近来 注釈を 加えし物を出せしに、『三才図絵』などの俗書のつきて「ごり」「石伏」などに決して古書物語 等を引用るにおよばず。
又、貝原氏『大和本草』の「杜父魚」の条にも「河鹿」として古哥 にもよめりといふは、全く筆の誤なるべし。案ずるに「かじか」の名目は 是 俳諧師などの口ずさみにいひはじめて、恐らくは寛永前後の流行なるを、西行の哥などゝいへるを作り出して人に信ぜさせしにもあるべき。
※ 『温故日録』は、江戸時代前期に書かれた連歌作法書。筆者は杉村友春。
※ 「三才図絵」は、『和漢三才図会』のこと。江戸時代中期に編纂された日本の類書。編纂者は寺島良安。
※ 『大和本草』は、江戸時代中期に編纂された本草書。編纂者は貝原益軒。
既に俗伝に、西行 更科 に 往けるときによめりとて
山川に汐のみちひは しられけり
秋風さむく 河鹿なく也
是、何の書に出せる 哥ともしらず。されども或人に就きて此 哥 の 意 を 尋ぬれば、「かじか」は 汐の 満ぬる時は 川上 にむかひて「 軋々」となき、汐の引く時は 川下 に向かひて「こりこり」と鳴くとは答へれたれば、解く 処「ゴリキゝ」など云 魚をさすに似て、いよいよ昔の証拠にはあらず。
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水中に声ある物は 蛙 水鳥 の類ならで、古より吟賞の例をきかず。
されども、西行は哥を随意につらねたる ひとなれば、ものに当つていかゞの物をよめりとも、あながち語ずるには及ばねども、若くわ偽作なるべし。又、万葉集の哥なりとて、
(一説に落合の瀧とよみて大原に建礼門院の御詠と云つたふ)
山川に小石ながるゞ ころころと
河鹿なくなり 谷の落合
是又、万葉集にあることなし。其余他書に裁たるをもきこへず。
又、『夫木集』廾四雜六、岡本天皇 御製 とて
あふみちの 床の山なる いさや川
このころころに 恋つゝあらん
この「ころころ」といふにつきて、かじかの鳴によせしなりなといひもてつたえたり。是又、誤りの甚しきなり。是は、万葉 第四に
あふみちの 床の山なる いさや川けの
ころころは 恋つゝあらむ
とありて、『代匠記』の注に、「け」とは「水気」にて川霧なり。「ころころ」とは「唯頃」なり。ねも「ころころ」とよみたる例のごとしと見●へて、かならず「かじか」の哥には あらざるなり。
歌はかることどもにて、かたがた さだかならずといへども、今さしてそれと定むべき「かじか」の証もなければ、今は魚にもあれ、むしにもあれ、たゞ●行に従ひて、秋の水中に鳴くものを「河の鹿」になすらへて、凡「かじか」といはんには 強て妨げもあるまじきことながら、さもあらぬ物によりて、詠歌などせ●そいと口おしからめ。さらばまさしく古を求めんとならば、長明『無名抄』にいへる「井堤の蛙」にて、いまの「かじか」といふには よくよく当れり。
※ 「夫木集」は、『夫木和歌抄』のこと。鎌倉時代後期に成立した私撰和歌集。選者は藤原長清。
※ 「岡本天皇」は、斉明天皇のことと思われます。岡本宮は、舒明天皇と斉明天皇が営まれた宮です。
※ 「代匠記」は、『万葉代匠記』のこと。『万葉集』の注釈・研究書。著者は契沖。
※ 『無名抄』は、鎌倉時代の歌論書。筆者は鴨長明。
其文に曰、
「井堤の蛙」は外に侍らず、たゞ此「井堤の川」にのみ侍るなり。色黒きやうにて、いと 大きにならず。よのつねの「かへる」のやふにあらばにおとりありくことなども侍らず。つねに水にのみすみて、夜更るほどに かれが鳴たるは、いみじく心すみて物あはれなる ●● にて侍る云々。
是 今、洛には八瀬にこととめ、浪花の人は有馬皷が瀧の辺に捕る物、即「井堤の蛙」に同物にして、今の「かじか」なる事疑がふべくもあらず。
※ 「洛」は、京都のこと。
※ 「八瀬」は、東に比叡山地、西に若丹山地に挟まれた渓谷。山城国愛宕郡小野郷八瀬庄。
※ 「有馬皷が瀧」は、神戸・有馬温泉の鼓ケ滝のこと。
されば、和歌には「かわつ」とよみて「かじか」とはよまざる也。「かじか」の名は、弥俳言 といふに●ちなかるべし。
昔、「井堤のかわづ」をそゝろに愛せしことは、書々に 見たり。今、八脊、有馬、井堤に 取るもの悉く 其声の
帯刀の長 節信 は、数奇の物なり。 始て 能因にあふて、相互 に感有。能因云、今日 見参の引出物に見すべきもの侍るとて、懐中の錦の袋より銫屑一筋 取出し、是は我重宝にて 長柄の橋造の時の銫屑なり といへば、節信 喜悦甚はだしうして、これも懐中より帋につゝみたるものを取出せり。是をひらきて見るに、かれたる蛙なり。是は「井堤の蛙」に侍ると云へり。共に感歎して、各懐にして退散す。今の世の人は可称嗚呼 ● 云々。
※ 「俳語」は、 俳諧に用いられる語。俳諧に用いられるが、和歌や連歌などには用いられない俗語や漢語などのこと。
※ 「節信」は、藤原節信のこと。皇太子の護衛にあたる帯刀舎人の長。
※ 「能因」は、平安時代中期の僧侶・歌人。橘永愷。
是は、わりなくも古きを弄びし風流人の一癖なり。
長柄の橋は、既に古今集に、
世の中に ふりぬるものは 津の国の
長柄の橋と 我となりけり
又、
蛙 なく 井堤の山吹 ちりにけり
花のさかりに おはまくものを
古今、春の下に見へたるより、かはずなくをもて「井堤」の冠辞にをけるのはじめとするによりて、古より「かはづ」のやうも かはりしとおもふも、是 俗意なり。
後拾遺の秋 良暹法師
みかくれて すたく蛙の諸声に
さわきそ渡る 井堤の浮草
この風情は、つねの蛙の 諸声 に 鳴立てすだきさわぐの かまびすきに似たり。是によりて 今古の変遷を察するに、井堤をよむことは ふるく 万葉人丸よりはじまり、蛙を詠合せとすること、古くは 小町、貫之が家の集に見えたり。
又、良暹は、祇園の別当にして、母は実方朝臣家の童女 白菊 といひし者にて、是 一条院 前後の人にて詠し。
蛙もつねのものなりしを、長明の時までは、皆 大凡三百年、二百年を経しかば、大なる 井堤の川も年月に埋もれ、又、山陰の茂樹に覆はれ至て、陰地 となり、蛙も形色音声をあらためしとは見へたり。
是をいかんとならば、今にも常の「かはず」をもて、陰地の池あるひは、野中の井などに放てば、月を経て色黒く変して声も改ること 試みてしれり。
故に今、八脊、有馬、井堤に 取るもの悉く 其声のあるにもあらず。かならず 閑情に鳴く物は、又、其さまも異なる所あり。是、「蝦蟇」の一種類にして、蒼黒色也。向ふの足に水かきなく、指先皆丸く、清水にすみて、なく声 夜はこま鳥に似て「ころころ」といふがごとく、六、七月の間、夜一時に一度鳴けり。昼もなきて、鵙の声の如し。尤足早くして、捕ふにやすからざれば、夏の土用の水底にある時をのみ 窺ひて捕れり。
今、魚をもて、其物に混ぜしは、かの「かじか」の俳言により「かはづ」の昔をわすれ、元より長明の程よりは幾たびの変世に下り来て、近来「かじか」の 名のみをきゝ覚へ、かの川原谷川に出て「こりぎ●」の声を聞得て鳴く処もおなじけれと。是ぞ「かじか」なりとおもひ定めしより、●れ苧のもとのはぢをこそ失なはれぬるやらん。
※ 「すだき」は、集き。 虫などが集まってにぎやかに鳴くこと。
※ 「かまびすき」は、喧すき。やかましいという意味。
※ 「万葉人丸」は、柿本人麻呂のこと。
※ 「小町」は、小野小町。
※ 「貫之」は、紀貫之。
※ 「家の集」は、私家集(個人の歌集)のこと。
※ 「良暹」は、平安時代中期の歌人。比叡山の僧で、祇園別当となり、その後大原に隠棲して晩年は雲林院に住んだとされる。
※ 「長明」は、鴨長明のこと。
再考
賀茂真淵 古今打聴 云、「かはづ」は、万葉にも 祝詞にも 一名「谷潜」とて、山河に住みて、音のおとおもしろき物なり。今も夏より秋にかけて鳴故に、万葉には秋の題に出せり。いまの田野波澤にすみて、うたてかしましき物にはあらず。後世は、もはらさるものをのみよむは、いにしへの哥をしらざるなり。
万葉に
おもほゑす 来ませし君を 佐保川の
蛙 きかせて かへしぬるかも
とよめるをもても、音のおもしろきをしらる。今の俗に「かじか」といふ物も、いにしへの「かはづ」なるべし。さてそれは、春にはいまだなき出ずして、夏のなかばより秋をかねて鳴なり 云々。
※ 「古今打聴云」は、『古今和歌集打聴』。賀茂真淵が講述した古今集の注釈書(二十巻)
※ 「谷潜」は、ヒキガエルのこと。
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愚 案 に、「谷くゞ」のことさして「蛙」なりといふ引証を得ざれば、姑く一説とすべし。
山河にすみて 音おもしろきをめでゝいへるは、いかさま 万葉のをもむきには見へたれども、一編中必秋なりともさだめがたし。これ、古質の常にして、種類の物をあながちにわかつことなく混じて、同名に ●● 其例すくなからず。
されども、第六
おもほへず きませる君を 佐保川の
かはず きかせて かへしつるかも
又、蛙によせたる恋哥に、
朝霞 鹿火屋が下に なく 蛙
こへだに聞かば 我恋めやば
といふなどは、秋なくものをよみて、尤題も秋なり。
又、後選集雜四、「かはづ」をきゝて、との端書にて、
我宿に あひゆとりして なくかはづ
よるになれば やものはかなしき
是も秋の物とこそ聞ゆれ。
又、万葉
佐保川の 清き 川原になく千鳥
かはづと ふたつ わすれかねつも
など、みな声をめでしとは聞へはべる。
かはづなく 吉の川
蛙なく 六田の淀|《よど》
かはづなく 神奈備川
かはづなく 清川原
などにて、とかく山河の清流に詠合せて、田野 の物をよみたると、万葉一編にあることなし。元より井堤を詠は、古今集に見へて、六帖にも載し哥なり。かたかた「かじか」は「蛙」にして、名は俳言たることを知るべし。
※ 「後選集」は、後撰和歌集のこと。
※ 「古今集」は、古今和歌集のこと。
※ 「六帖」は、古今和歌六帖のこと。
形 ●●● 声 のおもしろきことは、前に 云ごとし。「カジカ」といふ名は俗語にして、哥に詠ことなし。もしよまば「カハヅ」とよむべし。万葉を証とす。
内匠寮大属 按作村主 益人聊設 飲饌以饗
長宦佐為王 未及日斜 王既還帰 於時益人
怜惜不猒之 歸仍作此歌
不所念 来座君呼 佐保川乃
河蝦不令聞 還都流香聞
*
諸国 に 河鹿 といふ 魚
伊予大洲のは、砂泥鰌に似て、少し大て、声は茶碗の底をさするごとくなるに、尚さえて夜鳴くなり。鳴時両●うご●●、『大和本草』に「杜父魚」とす。『本草』「杜父魚」の声を不載。
越後国のもの、頭ら大く、黒班あり。腹白し。小は一、二寸、大は五、六寸。声 蚯蚓に似てさへずり夜鳴く。但し、諸国山川にも多し。四国にて「山どんこ」と云。大坂にて「どんぐろはぜ」といふ。
加賀国のものは、頭大おし、尾に股あり。背くろく、腹白し。其声、鼡に似て夜鳴く。小なるは一寸許、大なるは二尺許。但し、小は声なし。
石伏 一名 ごり
二種あり。海河ともにあり。真の物は、腹の下にひれありて 石につく。杜父魚に似たる。小なり。声あり夜鳴く。ひれに刺あり、海はやはらかなり、河はするどし。
軋々
嵯峨にて「みこ魚」といひ、播州にて「みこ女郎」といふ魚 是に似て、色赤く、咽の下に針有。「ぎゝ」はひれに針あり。大に人の手をさす。
漢名 黄顙魚
みこ魚は、■ [■は魚+盎]絲魚の海河ともに有。小三寸ばかり、大四、五寸。腮の下にひれあり。色、黄茶黒斑文あり。
越前 霰魚
此国のほかになしとて、杜父魚に充るも誤なりとす。霰の降る時、腹をうへにして流るといふ。一名「カクブツ」。声あり。考るに、杜父の種類也。杜父といひて あやまるにもあるべからず。
杜父魚
「イシモチ」「川ヲコゼ」 伏見
「クチナハトンコ」 伊予
「マル」 嵯峨
「ムコ」 近江
水底に居て、石に附て、石伏に似たり。コチに似たる。黒班ら、加茂川に多し。頭とひれに 刺ありてするどし。
石くらひ
「ドングロ」ひれに刺なし。漢名未詳。
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筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖