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古今名馬図会(上)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

古今名馬圖彙巻一  栗原信充編
 額田馬ぬかたのうま  甲斐黒駒かひのくろこま  装馬かざりうま
 神馬じんめ   騎射うまゆみ    日向駒ひうがのこま
 走馬はしりむま   牧馬まきのうま    貢馬くめ

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

額田馬ぬかたのむまは、人皇にんわう廿代、允恭天皇いんげうてんわう御宇おんとき額田部ぬかたべの湯坐連ゆざのむらじみことのり により薩摩さつま隼人はやと征伐せいばつしてかへり、朝廷みことけんせし名馬めいばなり。ひたひ町形まちかた施毛つしありと也。

羅城門らしやうもんしきかはら 漆紗冠 褐衣

※ 「施毛つし」は、つむじ(旋毛)のことと思われます。
※ 「漆紗冠」は、紗に漆を施した冠のこと。しっしゃかん。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

甲斐黒駒かひのくろこまは、人皇廿二代 雄略ゆうりやく天皇の御時をんとき木工こたくみ
  ぬばたまの 甲斐の黒駒 くらきせば
    いのちしぬまじ 甲斐の黒駒くろこま
とよめるなり。
にあらはれ、聖徳しやうとく太子は此馬にめされ、天下の名山に遊ばれしと也。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

装馬かざりうまは、推古すいこ天皇十六年、小野妹子をのゝいもこ ずい使つかひ 裴世清はいせいせいと共に歸朝きてうせしとて、ずいの使をもてなさるゝために、西から装束しやうぞくうまを出されし也。

※ 「歸朝きてう」は、帰朝きちょう


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

神馬じんめは、黒身くろきみにして、白髪尾しろきかみをあるをいふと也。天平てんぺう三年 甲斐国かひのくに、同じく十年信濃國、同十一年對馬國より獻せしこと『続日本紀』にみゆ。

※ 「獻せし」は、献せし。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

騎射うまゆみ
軍防令ぐんばうれうに、きうとは歩射かちゆみとはうま射なりといへり。五月五日に御覧あり。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

日向駒は、推古天皇の御製に
  まそがよ そかのこらは
  馬ならば 日向の駒
  太刀ならば 呉の真剣まさひ
  うべしかも そかのこらを
  天皇おほきみのめかはすらしき
とあるにて、良馬りやうばとしれり。

※ 推古天皇 御製
  眞蘇我まそがよ 蘇我そが子等こらは  
  馬ならば 日向ひむかこま
  太刀たちならば くれ眞鋤まさび 
  うべしかも 蘇我の子等を
  大君おほぎみつかはすらしき

 参考:『有朋堂文庫 〔第69〕』(国立国会図書館デジタルコレクション)


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

走馬はしりうまは、五月五日 武徳殿ぶとくでんにて、左右馬寮さいうめれう左右近衛府さいうこんゑふ、左右衛門府ゑもんふ馬藝ばげい御覧ごらんせらるゝ也。

※ 「武徳殿ぶとくでん」は、平安京大内裏の殿舎のひとつ(右近うこん衛府えふの東)。この殿舎で騎射うまゆみくらべ馬をご観覧になられたそうです。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

牧馬まきのうまは、百足を以てぐんとなし、群ごとに牧子ぼくし二人ををくと云。牧馬四歳にして遊牝いうひんせしめ、五歳よりくわをはたり、そのこま二歳になれば九月にいた國司こくし牧長ぼくてうともたいして、官字くはんじ焼印やきいんを左髀骨のうへに印すと也。

牧地ぼくちは、甲斐に柏前、真衣野、穂坂、武蔵に石川、田比、立野、小野、秩父、信濃に塩原、望月等、十六處、上野に有馬等九處あり。

※ 「遊牝いうひん」は、牛午などが交尾すること。
※ 「はたり」は、はたり。課徴かちょう(税を割り当てられる)の意味と思われます。
※ 「髀」は、大腿骨だいたいこつを意味する漢字。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

貢馬くめ
八月十五日、左右馬寮さいううまれう官人くはんにんひき南殿なんでんまへをわたしあさかれいにて御覧ごらんあり。

紫宸殿ししんでん
右馬寮うまれう貢馬くめまたおなじ 左馬頭

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古今名馬図会 上

月華門
古今名馬圖彙巻一 終

※ 「月華門げっかもん」は、平安京内裏内郭の門のひとつ。紫宸殿ししんでんの南庭の西側にあり、日華門にっかもんと対になっています。



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