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【人相学】『武者鑑』准后廉子/護良親王/足利将軍尊氏/尊氏北方
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准后廉子
准后 は、安野 中将 公廉の 娘なりしが、容貌絶倫にして、天下無双の 國色あるに依て、後醍醐天皇 御寵愛 甚 渥かりしかば、威勢中宮に超へて、准后の宣㫖を賜ふ。
是より 准后の口入を以て、大小の政事を做し給ふ。故に、朝廷 甚 紊乱して、賞罰 正しからず。又、准后 大塔宮をいたく 悪で、竟に、天下の士を反覆さして、大乱を引いだす。是、誠の美人といふべからず。
外面如菩薩内心如夜叉とは、是等をや 言なるべし。嗚呼、鬼女と言んか。醜女と言ん欤。嘆ずべきことになん。
※ 「口入」は、口を挟んだり干渉すること。口入。
※ 「紊乱」は、乱れること。紊乱。
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護良親王
親王は、後醍醐天皇 第三の宮にて、始は 尊雲親王と 申奉りしが、還俗あつて、征夷 大将軍となり、二品 兵部卿たり。
母は 三位の局にて、大塔宮 是なり。多く 艱難を嘗て、王室 恢復の功あれど、婦人の 長舌、且、侫臣の 計略に罹り、労して功なく、倍臣たる淵部伊賀守に ●● られ給ふ。悲むべし。
此 宮は、四方白眼にて、唇掀り、常に 睡中にも 牙を咬給ひし。是、悪死を遂給ふの相なりしといへど、誰か 此宮の薨御を聞て 嘆息せざりし。
※ 「艱難」は、困難な目にあって苦労をすること。
※ 「侫臣」は、主君に寵愛されている臣下のこと。嬖臣。
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足利 将軍 尊氏
尊氏は、足利三郎貞氏の子なり。元弘の乱に、後醍醐天皇の 詔 を奉じて、六波羅を破り、亦、北条の餘、寇を 平げてより、自ら 征夷 大将軍と称して 天皇に叛き、光明帝を奉じて、遂に功をなして、幕府十三代の 業を開く。
尊氏は、眉眼共に秀、眉の高きこと一寸、面用の字の形を成して、身體 又 具の字の形をなす。いと 官貴の相あればとて、舎弟 直義 勧めて 北条を 叛しめてより、義貞、正成と戦ふ事、年有といへど、竟に天下北条に帰す。其供福大なりといふべし。
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尊氏 北方
北の方は、北条の一門赤橋 相模守 の 娘なり。尊氏、天下を半定めてより後、都に一人の相者あり。尊氏、是をめして、臣下及び、有あふ人々を相するに、誠に 掌 をさこが如しといへど、見料は 唯一人に一銭をとる而已なり。尊氏、大いに信じて、北の方をも見て給はるべしと有ば、畏つて 別殿に至り、北の方を一目見るより泪をながして、一言をいはず引、退く。
人 怪んで 是をとふに、相者 答へて、北の方 面躰に 黒色を帯、眼に赤鯉の如き血筋 顕れ居たり。是、今宵をすぎず 死し給ふの相也といふ。人笑つて寔とせざりしに、其夜、楠正行 不意に 攻入て、尊氏はからくして逃られたれど、北の方はあへなく殺され給ひしといへり。
※ 「相者」は、人相を見てその人の運命や吉凶などを判断する人こと。人相見。
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筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖