東京名物百人一首(9) 芝料亭・紅葉館/ 良薬・宝丹/ 泉岳寺・義士遺物陳列場/婦人用美術小間物店・大西白牡丹
【元歌】
山川に 風のかけたる しがらみは
流れもあへぬ もみぢなりけり
※ 「金」の読み「かけ」は、意味が読みとれず…。
※ 「楼」の読み「たかどの」は、高殿。高い建物、楼閣。
※ 「紅葉舘」は、明治十四年(1881年)に芝の楓山に開業した高級料亭。東京大空襲により焼失し、その跡地には東京タワーが建設されました。
参考:『明治女用文上(芝公園紅葉館遠望)』『東京名所案内:画入 乾 増補版』『改正東京案内』(国立国会図書館デジタルコレクション)
【元歌】
久方の 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ
※ 「寳丹」は、コレラが流行していた文久二年(1862年)に守田治兵衛が売り出した薬で、コレラの予防のほか、嘔吐、下痢、感冒、頭痛、食あたり、感染症、虫歯などにも効くとされたそうです。
参考:『明治百商伝(守田治兵衛君伝)』『東京商人録』『日本登録商標大全 第二編』『日本商工須知』『東京名物志』『売薬法規通解』『実業家奇聞録』(国立国会図書館デジタルコレクション)
【元歌】
誰をかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに
※ 「高輪の墓」は、高輪の泉岳寺にある赤穂義士の墓所のこと。
※ 「義士遺物陳列場」は、赤穂四十七義士の縁の品を展示する宝物館で、四十七義士の木像が置かれていたそうです。また、泉岳寺の門前では四十七義士の人形が土産物として売られていたようです。
※ 『東京名物百人一首』の著者(清水晴風)は、別の著書で高輪人形を描いています。
参考:『東京横浜一週間案内』『東京年中行事 上の巻』『藪野椋十日本世界見物(義士遺物陳列場)』『端午玩具集 下』
【元歌】
人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほひける
※ 「白牡丹」は、松田幸次郎が、京橋区尾張町一丁目に構えた老舗の小間物店。女性用の装飾品、化粧品など幅広く取り扱っていたそうです。「白牡丹」は白粉の商品名に由来しています。
※ 「白牡丹 大西榮輔」は、大西榮輔が、京橋区南伝馬町に構えた婦人用の美術小間物店。
大西白牡丹は、松田白牡丹(本店)の支店にあたり、他にも 神田鍛冶町(中西慶三郎)、日本橋青物町(山中清三)、日本橋薬研堀(山岸藤治郎)、神田佐柄木町(諏訪倉次郎)、四谷伝馬町(岡本銀太郎)、麻布飯倉三丁目(三宅彦次郎)といった支店があったそうです。
参考:『東京名物志』『東京新繁昌記』『成功偉人名家列伝』『新撰東京案内鑑』『箱根温泉案内』『日本鉄道案内記』『玉とり姫 前』
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖