白魚(しろうを)
白魚(しろうを)
白魚 大和本草に鱠残魚といふて、前説キスコといふ説を非せり。
摂州西宮の入江に春二三月の比、一町の間に 五所 許、藁小屋を作り、両岸同じく 犬牙 に列なり。罶簄の橛を川岸より一二間許打出し、是に水を湛はせ、潮の満るに魚登り引潮に下るの時、此橛の間に聚るを待ちて、かねて柱の頭に穴して、網の綱を通はせ、穴に小車をかけて引て、網の上下をなす。網は蚊屋の布の四手にて、橛の 傍 魚の 聚 る方におろし置て、時々是をあげて杓の底を布にて張たる儻にてすくひ採るなり。尚、図のごとし。
案るに、此法、古 宇治川の網代木に似たり。網代木は、橛《くひ》を二行に末広く網を打たるやうに打て、其 間 へ水と共に氷魚も湛ひ畄るを網代守網して採れり。
万葉集に
武士の八十宇治川の網代木にいさよふ波の行●しらずも
是水のたゞよふを詠めり。案ずるに、白魚、氷魚、又、此、海より多く上る。|麺條魚、又、シロウヲともいひて、俗に鮎の苗なりと云ものともに、三種皆、同物別種の物にて、春は塩さかひに生じ、氷魚は冬 湖中 浪あらきさかひ、宇治川田上に生ずる事、其理一なり。又、ドロメは鮎の苗なり。鮎は年魚にして、年限 の物なれば、上に子を孕みて身重き故に、秋海をさして落て塩さかひに産めり。故に、江海より登りてしだひに生長す。是を浪花川口にとること●十日ほどの間なり。
又、チリメンザコ、チリメン、小アユは、則 麺條の塩干なり。此物東武になし。本草食鑑 に白魚は氷魚の大なる物なり。江海の中に生じ、春に至て海に登り、二三月の 隙 、子を水草沙石の 間 に生み、其子長じて氷魚となり、江海に至て、又、長して白魚とるるを云は、無覚束 説なり。
備前平江、勢州桑名等の白魚は、立網、又、前がきをもつて取り、桑名の立網は、長七丈、下垂三丈斗、網の目一歩 許、アバは桶にて、イハは鈆なり。七人の宛乗たる舩五艘沖より網を入れて五艘と舫ひ、繋ぎうて磯へ漕よするなり。網の長さ 百尋 許 にして、一網に獲ること大凡二石許、沢山なるゆへに、貨るに升をもつてはかる。
又、目差といひて、竹に多く刺 連 ねたる物、此地の産なり。網する所は、赤すが、浜地蔵、亀津、福嵜、豊田、一色などに採れり。此間 三里の海路にして、其中に 横枕 といふ所は、尾州、勢州のさかひあり。尾州の方には白魚なく、桑名の方には蠣なし。偶 得るとも、味 必 美ならず。人是を一竒とす。案ずるに、是前にいへる潮さかひなり。元伊勢の海は入江にして、桑名、服嶌は 即 川口なり。上は木曽川にて其下流爰に落る。西宮に生ずる其理同じ。
一種、鰯の苗といふ物、鵞毛■[■は月+延]と云。又、潮水に産するに同物あり。一名サノホリと云て、冬月採るなり。若州にも似たる魚有。アマサキと云。仲冬より初春に至る。又、筑前にシロウヲといふ物小にして長一寸ばかり、腹下 に小黒き点七つあり。大小に抱らず。
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筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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