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【人相学】『武者鑑』内大臣宗盛/熊野御前/袈裟御前/遠藤武者盛遠
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内大臣宗盛
宗盛は、清盛の三男なり。實は、至つて 下賤の者の子なりし共いふ。寔なるかな。
勇もなく、智もなく、仁もなけれど、其 相貌は 眉長く、眼大きく、鼻圓く、口耳共に大きく、額高く、極めて貴き高運の相ありしが、常に独言いひ、或は、木の葉の散を見ても 独にた/\微笑、又は食せざるに 舌鼓を拍。是 又極めて癡漢の相なりしといへり。然あらん。
平家 惣大将の身を以て 死を恐れ、忽ち擒となりて、臆病の名を後世に流すこと、口惜きことならずや。嗚呼、重盛の舎弟に此人ありとは。
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熊野御前
熊野は、遠州池田の駅の倡家の娘にして、容顔類ひなかりしかば、宗盛 都に召寄、寵愛 大方ならざりしに、熊野は是を 不恰、ただ 故郷の母を慕ひ、寝食をやすくせずして、余りの恋しさにや哥を詠ず。
宗盛も、其 孝を感じて、暇を給ひければ、池田に戻りて母に孝養を尽しけるとなり。斯る 孝心の厚きを聞ては、其 美貌、又 思ひやらるゝことぞかし。
都て、意中は、先 相に顕るゝといへば、心清ければ、悪女もいつしか美女ともなりぬべし。思ひ裡にあれば、色外に顕るゝの道理なれば、第一視目より心の清きを、誠の美人ともいふべし。
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袈裟御前
袈裟は、本名 阿都万といへど、其母の名を 衣川と言ば、對しての渾名なり。
従来、国色あれば、早く 渡邉左衛門尉 渡と言る者へ嫁すに、従弟なる 盛遠に懸想されて、孝貞の為に 命を捨て、節を立し㕝は、すでに林羅山先生も 鳥羽の恋塚なる袈裟の碑銘を撰んで、貞操を讃られしなり。
其相を言ば、黒眼勝にて、眼尻に黒子あり。口は小さく、歯並細少に並びよし、是、貞心深き 表なれど、常に内気のやうにて、ものすくなくいひ、下眼づかひ多かりし。如斯 の相は、災難の死を遂ること有と言り。
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遠藤武者盛遠
盛遠は、袈裟に横恋慕して、叔母 衣川に迫り、袈裟を節に殺して懺悔なし。忽地、発心 出家して、袈裟の後世を吊ふ。文覚 上人、是なり。
後に罪ありて、伊豆へ 配流といへど、実は、頼朝へ平家追悼の倫㫖を下さるゝ 密勅を 受奉りしといへり。
初め、盛遠たりし時分は、面貌 猛悪なりしに、那智の滝にて三七日 荒行 做してより後は、全身皮膚に光りを出して、誠に貴相となりしといへり。所謂、悪に強きは、善にも強きの 理ならんかし。
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