御影石(みかげいし)/龍山石(たつやまいし)
御影石
摂州武庫、菟原の 二郡の山谷より出せり。山下の海濱、御影村に石工ありて、是を器物にも製して積出す。故に、御影石とはいへり。
※ 「摂州」は、摂津国。
※ 「武庫」は、摂津国武庫郡。
※ 「菟原」は、摂津国菟原郡。
※ 「御影村」は、現在の神戸市東灘区西部。
御影山の名は、城州 加茂あふひ を採る山にして、此國に、山名あるにあらず。たゞ 村中に御影の松有て、続古今集に 基俊卿の古詠あり。
※ 「城州」は、山城国。
※ 「加茂あふひ」は、ふたばあおいのこと。双葉葵。平安時代、賀茂神社の祭りに用いられたことで知られるそうです。
※ 「基俊卿の古詠」は、藤原基俊が詠んだの歌のこと。「よにあらば 又かへりこむ 津の国の みかげの松よ 面変わりすな」
元、此山は海濱にて、往昔は 牛車 などに負ふたることはなかりしに、今は海渚 次第に侵埋て、山に遠ざかり、石にも山口の物は 取盡ぬれば、今は奥深く採りて、廿丁も上の 住よし村より牛車を以て継で、御影村へ出せり。有馬街道 生瀬川原などの石も、此 奥山とはなれり。
此 上品の石といふは、至て色白く、黒文なし。是は、昔に出て、今は鮮なし。されども、其 費用をだに厭はずして、高嶽深谷に入ては、得ざるべきにあらずといへども、運送車力の便なき所のみ多し。
※ 「住よし村」は、武庫郡住吉村。
※ 「有馬街道」は、摂津平野と有馬方面を結ぶ街道。
※ 「生瀬」は、有馬街道と武庫川沿いに位置する生瀬村のこと。
石質
文理は、京 白川石に似て、至て硬し。故に、器物に制するに、微細の稜尖も手練に應ず。
白川は、酒落して、工に任せず。石工、大なる物に至ては、難波天王寺の鳥井などをはじめ、城郭、石槨、佛像、墓牌、築垣に造り、啄磨しては皮膚のごとし。是、萬代不易の器材、天下の至寶なり。
※ 「石質」は、質に 性 の読みを充てていると思われます。
※ 「石槨」は、石で作った棺を入れる外箱のこと。石槨。
※ 「啄磨」は、玉などをとぎ磨くこと。
※ 「萬代不易」は、永遠に変わらないこと。万代不易。
品數
直塊は、大鉢、中鉢、小鉢。鉢とは、手水鉢に用るにより本語とはすれども、柱礎、溝石など也。はじめその用多し。
頭無は、大さ大抵一尺五六寸にして、其上の物を一ツ石と号く。
又、六人といふは、一荷に六宛檐の名なり。
栗石は、小石にして大雨の時には、山谷に轉び落る物ゆへ、石に稜なし。是は、鉢前、蒔石等に用ゆ。石をくりといふこと、應神記の哥にみへたり。また、萬葉集に奥津いくりともよみて、山陰道の ● 言なりともいへり。大小にかゝはらずいふとぞ。
※ 「鉢前」は、書院の縁先の手水鉢とその周囲の石で造形される構えのこと。
※ 「蒔石」は、茶室の庭などに配置される飛び石のこと。
割石は、大割、中割、小割、延條(長く切たる石なり)、蓋石(大抵長二尺斗、幅一尺一二寸、厚三四寸)、いづれも築垣、橋䑓、石橋、庭砌、土居など、其用多。又、石橋に架る物、別に阿州より出石も有なり。
切取には、矢穴を堀て、矢を入れなげ、石をつてひゞきの入たるを、手鉾を以て離取を打附割といふ。又、横一文字に割を すくい割といふなり。
※ 「二尺斗」は、二尺ばかり。
※ 「庭砌」は、庭の石だたみのこと。庭砌。
龍山石
播州に産して、一山一塊の石なるが故に、樹木すくなし。往々、此石山多けれども、運送の便よき所を切出して、今は堀採やうになれども、運送不便の山はいたづらに存して、切入る事なし。
石の寶殿は、即 立山石にして、其邊を便所として 専 切出し、採法すべてかはることなし。故に図も略せり。
色は五綵を混ず。切て形を成す事、皆、方條にのみあり。
溝渠、河水の涯岸、或、界壁の敷石、敷居の土居、庭砌等の用に抵てゝ、他の器物に製することなし。大さは、三四尺より七八尺にも及び、方五寸に六寸の物を五六といひ、五寸に七寸を五七といひて、尚 大なる品数あり。
麓の塩市村に石工あり。南の尾嵜に龍が端といひて、龍頭に似たる石あり。故に、龍山といふ。
※ 「播州」は、播磨国。
※ 「便所」は、ここでは、適切な所という意味。便所。
※ 「五綵」は、五采。青・黄・赤・白・黒の五色。
※ 「塩市村」は、現在の兵庫県高砂市米田町塩市。
※ 「龍が端」は、竜ヶ鼻。参考:高砂市Webサイト「ふるさと文化財登録制度」「竜ヶ鼻(平成24年登録)」
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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