捕熊(くまをとる)
熊の一名 子路
熊は、必 大樹の 洞中に住みて、よく眠る物なれば、丸木を藤かづらにて、格子のごとく結たるを以て、洞口を閉塞し、さて 木の枝を切て、其 洞中へ 多く入るれば、熊、其 枝を引入れて、洞中を 埋、終に、おのれと 洞口にあらはるを待て、美濃の國にては、竹鎗、因幡に鎗、肥後には鉄鉋、北国にては なたき といへる薙刀のごとき物にて、或は切、或は突ころす。
※ 「子路」について、江戸時代後期に書かれた『江戸繁昌記』の「山鯨」の項目に、「子路」と書いて「くま」と読ませる記述があります。
何れも、月の輪の 少上を 急所とす。又、石見國の山中には、昔 多く炭焼し、古穴に住めり。是を捕に、鎗、鉄炮にて、頓にうちては、膽、甚 小さしとて、飽まで苦しめ憤怒せて、打取なり。
又、一法には、落しにて捕るなり。是を、豫州にて、天井釣と云(又、ヲソとも云)。阿州にて、おすといふ(ヲスは、ヲシにて古語也)。其様、図にて知るべし。
長さ 二間余の 竹筏のごとき下に、鹿の肉を火に 燻べするを餌とす。又、柏の實、 シヤ/\キ 實なども 蒔也。
上には、大石二十荷ばかり置く(又、阿州にて、七十五荷置くといふなり)ものなれば、落る時の音、雷のごとし落て、尚下より 機を動かすこと 三日ばかり。其 止 時を見て、石を除き、機をあぐれば、熊は立ながら、足は土中に一尺 許り踏入て死すること、みなしかり。
※ 「シヤ/\キ」は、ヒサカキ(モッコク科ヒサカキ属の常緑小高木)のことと思われます。
又、一法に、■ [■は阝+稲の右] し穴なれども、機の制に似り。中にも、飛弾、加賀、越の國には、大身鎗を以て追逈しても捕れり。逃ることの 甚 しければ、帰せと一声をあくれば、熊 立かへりて、人にむかふ。此時、又、月の輪といふ 一声に恐るゝ 躰あるに、忽ちつけいりて、突留めり。これ、猟師の剛勇、且、手練早業にあらざれば、却て 危きことも多し。
※ 「越の國」は、古代北陸地方の国名で、奈良時代の越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡、出羽の南部にあたります。
又、一法に、駿州府中に捕には、熊の巣穴の左右に、両人 大なる斧を振挙持て 待ちかけ、外に 一両人の人して、樹の枝ながらをもつて、窠穴の中を 突探ぐれば、熊、其樹を窠中へひきいれんと、手をかけて引に横たはりて、任せされば、尚、枝の爰かしこに 手をかくるをうかゞひて、かの 両方より斧にて両手を打落す。熊は、手に力多き物なれば、是に勢つきて、終に獲る。かくて、膽を取り、皮を出すこと、奥州に多し。津軽にては、脚の肉を食ふて、貴人の膳にも、是を加ふ。
熊、常に 食とするものは、山蟻、笋、ズカニ、凡、木の實は 甘きを好めり。獣肉も 喰はぬにあらず。蝦夷には、人の乳にて 養ひ置とも云へり。
取膽
熊膽は、加賀を 上品とす。越後、越中、出羽に出る物、これに亞ぐ。其余、四国、因幡、肥後、信濃、美濃、紀州、其外 所々よりも出す。松前、蝦夷に出す物、下品多し。されども、加賀 必ず上品にもあらず。松前かならず下品にもあらず。其性、其時節、其 屠者の手練、工拙にも有て、一概には論○○○たし。
加賀に 上品とするもの三種、黒様、豆粉様、琥珀様、是なり。中にも、琥珀様 尤とも勝れり。是は、夏膽、冬膽といひ、取る時節によりて、名を異にす。夏の物は、皮厚く、膽汁 少し。下品とす。八月以後を 冬膽とす。是、皮薄く、膽汁満てり。上品とす。されども、琥珀様は、夏膽なれども、冬の膽に勝る 黄赤色 にて透明り、黒様はさにあらず。黒色 光あるは、是世に多し。
試眞偽法
和漢ともに、偽物多きものと見へて、本草綱目にも 試法 を載たり。膽を米粒 許、水面に黙ずるに、塵を避て、運轉し、一道に 水底へ線のごとくに引物を眞なりと云て、按ずるに、是、古質の法にして、未つくさぬに似たり。凡て、獣の膽、何の物たりとも、水面に運轉こと、熊膽に 限べからず。或は、獣肉を屠り、或は、煮熬などせし。家の煤を、是亦、水面に運轉すること 試みてしれり。されども、素人業に 試みるには、此 方の外なし。若、止こと不得、水に黙して 水底に線を引を 試みるならば、運轉 飛がごとく疾く、其 線 至て細くして、尤 疾勢物をよしとす。運轉 遅き物、又、舒にめぐりて止まる物は、皆よろしからず。又、運轉 速きといへども、盡く 消ざる物も佳からず。不佳物は、おのづから勢ひ碎け、線進疾ならず。又、粉のごとき物の落るも下品とすべし。
又、水底にて、黄赤色 なるは上品にて、茶色なるは 極めて偽物なり。作業者は、香味の有無を以て分別す。およそ、眞物にして、其上品なる物は、舌上にありて、俄に農き苦味をあらはす。彼 苦甘、口に入て、粘つかず、苦味侵潤に 増り、口中 分然(さつぱり)として、清潔。たゞ 苦味のみある物は、偽物なり。苦甘の物を良とす。また、羶臭 香味の物は良らずといへども、是は、肉に 養はれし熊の性にして、必 偽物とも定めがたく、其中 初甘く、後 苦物 は劣れり。又、焦気物は、良品なり。是、試法 教へて教べからず。必 年来の練妙たりとも、真偽は辨じやすくして、美悪は辨じがたし。
制偽膽法
黄柏、山梔子。
毛黄蓮の三味を 極細末とし、山梔子を少し熬て、其 香を除き、三味合せて、水を和して煎じ詰むれば、黒色 光澤 乾て、眞物のごとく、是を裏むに、美濃紙二枚を合せ、水仙花の根の汁をひきて乾かせば、裏て物を洩らすことなし。包みて絞り、板に挟みて、陰乾とすれば、紙の皺、又、薬汁の 潤入みて、實の膽皮のごとし。尤、冬月に製すれば、暑中に至りて、爛潤やすし。故に、必 夏日に製す。是は、備後邊の製にして、他國も大抵かくのごとく、他方 悉くは知がたし。
又、俗説には、こねり柿といふ物、味苦し。是を、古傘の紙につゝむもありと云へり。或は、眞の膽皮に 偽物を納れし物も、まゝありて、是 大に人を惑はすの 甚しき也。
附記
熊は、黒き物故に、クマ といふとは云へども、さだかには定めがたし。是、全く 朝鮮の方言なるべし。熊川を、コモガイ といふは、即 クマカハ の轉じたるなり。今も朝鮮の俗、熊を コム といへり。
筆者注 ○は欠字、●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖