【人相学】『武者鑑』小松内府重盛/建禮門院/江口妙女/西行法師 7 mominaina 2024年3月27日 22:36 出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二』小松こまつ 内府だいふ 重盛しげもり重盛しげもりは、清盛きよもりの 長子ちやうしにして、温厚おんこう篤実とくじつの 君子くんしなり。然しかも、文武ぶんぶを 兼備けんびして、忠孝ちうこう 全まつたく 克よく 諸人しよにんを 悦服えつふくせしむる。寔まことに、本朝ほんてうの 賢人けんじんなりといえど、眼精がんせい 薄うすく、鼻はな 和やわらかにして、骨ほねなきが如ごとし。口くちは 小ちいさく、色いろ 白しろ黒くろし。歯はは 廿四枚まいにて、間あひだ 大にすきて見みゆる。是これ、夭死わかじにの 相さうありしといへり。惜をししむべし。不幸ふかう短命たんめいにして、世よを 早はやく 辞じせり。嗚呼あゝ、此この 君きみあらば、平家へいけも 一朝いつてうに 亡ほろぶまじきに、天命てんめいは 是非ぜひに 及およばず。悼いたましいかな、此人。※「長子ちやうし」は、長男のこと。※ 「篤実とくじつ」は、情が深く誠実なこと。※ 「悦服えつふく」は、心から喜んで従うこと。悦服えっぷく。建禮けんれい門院もんいん建禮けんれい門院もんいんは、徳子とくこと申て、清盛きよもりの女なり。高倉院たかくらのいんの 中宮ぐうに 立たつて、人皇にんわう八十一代だい 安徳あんとく天てん皇を 産うみ 奉たてまつ り、国母こくぼと 仰あをがれ、富貴ふうき 此上なしといへども、寿じゆ永の 大乱たいらんには、西海さいかいの 浪なみに 漂たゞよひ、天皇は 二位の 禅尼ぜんにと 共ともに 竜宮城たつのみやこへ 行幸みゆきありて、其その身みは 源げん氏の 捕とらはれ となり給ふ。不幸ふかう、亦また 此上なし。中宮は、顔かほ面おも長ながく、額ひたい 少すこし 廣ひろく、頤おとがい 圓まろく、眼め小さからず、細ほそく長くして 大いに 出世しゆつせの相ありしが、又、手の背かう高たかく 肉なし。臋いしき 痩やせて 尖とがれり。是これ、中年 以い上にいたりて、造化しあはせわろき 相もありしといへり。江口妙女えぐちのたへぢよ妙たへは、江口えぐちの 里さとの 遊女ゆうぢよなり。幼少いとけなきより 哥道かだうに心を 委ゆだね、類たぐひ稀まれ成なる 賢けん女なり。其その顔かほ面おもてに 對たいしては、口くち至いたつて 小ちいさく、耳みゝに 血脉ちすじ 多おほくありて、常つねに 頬ほう先さき 薄うす 紅くれなゐ なりしが、これ遊女になるの 相さうなりとかや。一年あるとし、西行さいぎやう法師ほうし この里に 来きたりて、宿やどを 乞こひけるに、不許ふるさず ありければ、あら心なの人ごゝろと 言いひながら〽 よの 中なかをいとふまでこそかたからめ 仮かりの 宿やどりを 惜をしむきみかなと 詠よみすてて 行ゆかんとする 言葉ことばの 下したに、妙女〽 よをいとふ人としきけば 仮かりの宿に 心こゝろ とむなと 思おもふばかりぞと 返かへしけるにぞ西さい行大いに 感かんじ、かゝる 流水りうすいの 勤つとめのうちにも、又また、如此かくのごとく の 賢婦けんぷ ありとて大いに 讃ほめられしとかや。※ 「哥道かだう」は、歌道かどう。西行法師さいぎやうほうし西行さいぎやうは、佐藤さとう 兵衛尉ひようえのぜう 憲清のりきよとて、北面ほくめんの武士にて、文ぶん武の 達たつ人、殊ことに 和哥わかの 神仙しんせんたりしが、無常むじやう迅速じんそくを 観くあんじて 発心ほつしんなし、身みを 雲水うんすいに 任まかせて 諸国しよこくを 経歴けいれきなし、一生を 風流ふうりうに 暮くらしけるが、或年、鎌倉かまくらの 鶴ちりヶが岡おかにて、頼朝よりともに 謁えつし、営えい中に 召めされて、夫より弓矢の 古実こじつを 論ろんぜしに、其その 賞とて 白銀しろがねの 猫ねこを 賜たまはりけるが、幼子おさなごのみて、是これをほしがりしかば、何なにの 惜気をしげもなく与あたへしといふ。寔まことに、無欲むよくの 聖ひじりなりし。西行は、生うまれつき 隠逸いんゐつにして、言語げんぎよ多おほからず、少からず。口くち大いにして、唇くちびる厚あつく、紫むらさき色いろに 光ひかり ありしとかや。是これ、出家しゆつけして 名なを 発あぐるの相なりし。『武者鑑』の人物一覧はこちら → 【人相学】『武者鑑』人物まとめ 👀筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖 ダウンロード copy #古文 #古文書 #西行 #人相 #人相学 #西行法師 #建礼門院 #平重盛 #武者鑑 #江口の君 #江口妙女 7