両国橋納涼
※ 「九夏三伏」は、夏のいちばん暑い時期のこと。
※ 「洛陽の四条河原の涼」は、よかったら過去 note を見てくださいね。
→ 【京都】四條橋河原夕涼 👀
※ 「往昔」は、往んじ。過ぎ去った時。過去。往時。
🍜
※ 「二六新そば」は、2×6=12文で食べられる新蕎麦。
※ 「うんとん」は、うどん。
※ 「きりや」は、蕎麦きりや。
※ 「は●つけすし」は、醤油を刷毛で塗って提供するはけつけ寿司でしょうか。
※ 「二六にうめん」は、2×6=12文で食べられる温かいそうめん。
※ 「御伽」は、御伽羅之油。鬢付け油の一種。
※ 「いがらし」は、五十嵐油の略。頭髪用の油で、京都三条の五十嵐某が作り始めたとされることからついたとされます。ここでは、江戸の両国広小路にあった髪油店「五十嵐兵庫」のことと思われます。
※ 「いく世餅」は、幾世餅。江戸の両国名物のあん餅。元禄の頃、小松屋喜兵衛が吉原の遊女・幾世を落籍して妻とし、その名をつけて売り出したものだそうです。
※ 「あわゆき」は、淡雪豆腐。やわらかく作った豆腐のあんかけ料理。
※ 「ひのや」は、両国橋の東詰の淡雪豆腐の日野屋。
※ 「ちよきふね」は、猪牙舟。江戸の河川で広く使われていた二挺櫓の小舟で、船首が猪の牙に似ていることから猪牙舟と呼ばれました。
三囲の春色
※ 「みめぐり」は、三囲稲荷社(現在の三囲神社)。
※ 「衣更着の初午」は、二月の最初の午の日。
※ 「華表」は、鳥居。
※ 「笠木」は、鳥居などの上に渡す横木のこと。
※ 「竹町のわたし」は、竹町の渡し。現在の吾妻橋と駒形橋の中間辺りにあったそうです。
※ 「飛花」は、散る花びらのこと。
隅田川 青柳
※ 「梅若丸」は、京都北白川吉田少将の子で、人買いにさらわれ武蔵国隅田川畔で亡くなりました。そこに居合わせた高僧が供養のために柳の木を植えて塚を作りました。一年後、息子を捜していた梅若丸の母親がこの塚の前で念仏を唱えると、そこに梅若丸の霊が現れて悲しみの対面を果たしたという伝説があります。能・浄瑠璃・歌舞伎などの「隅田川」に登場します。
※ 「在五中将」は、在原業平のこと。
※ 「牛の御前」は、牛御前社。明治の神仏分離で牛島神社(墨田区向島)となりました。
※ 「いざことゝはん」は、在原業平の歌。
名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと
金龍山 弁天のけい
山谷の土手
二本堤の春草 新吉原五十間道
※ 「道哲」は、山谷橋の南にある西方寺の別名。
※ 「てうちん」は、提灯。
※ 「新吉原五十間道」は、新吉原に入る衣紋坂から大門口までの道。
※ 「かち」は、徒歩。
※ 「ふくめん頭巾」は、顔を覆って目だけ出すスタイルの頭巾。
※ 「宋十郎頭巾」は、黒縮緬 の袷仕立ての四角い頭巾で、左右から後ろにかけて長い錏をつけて、額・ほお・あごを包むスタイルの頭巾。
※ 「びろうど緒」は、天鵞絨で作った草履の鼻緒。
※ 「裏付草履」は、裏をつけて厚く作った草履。
※ 「豊後」は、豊後節。宮古路 豊後掾 がはじめた浄瑠璃の一種。
※ 「義太夫」は、義太夫節。大坂の竹本義太夫がはじめた浄瑠璃の一種。
※ 「半太夫」は、半太夫節。江戸の坂本半之丞(半太夫)がはじめた浄瑠璃の一種。
新吉原夜みせの景
※ 「深夫」は、深間。男女がとても深い仲になること。
※ 「五町まち」は、五丁町。江戸新吉原遊郭の 江戸町一丁目、江戸町二丁目、京町一丁目、京町二丁目、角町の五つ。
参考:新吉原町略図
日本堤から「衣文坂」「五十間道」を行くと「大門口」があります。大門をくぐって新吉原に入ると、中央の通りが「中の町」です。「揚屋町」は地図の右上(あけや町)、「角町」は左上(すみ町)に見えます。
よかったら中巻・下巻も読んでみてくださいね。👀
「絵本江戸土産 中」「絵本江戸土産 下」
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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