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鰒(あわび)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]

鰒(あわび)

あわび 長鮑のし制 附 真珠しんじゆ
或云あわびは石決明を本字とす。鰒はトコブシなり。

伊勢国 和具浦わくうら 御座浦おましうら 大野浦おおのうらの三所にあわびを取り、二見ふたみうら北塔世きたとうせいふ所にてのしを制すなり。

あはびとるにはかならず女海人おんなあまを以てす。是女はく久しく呼吸いきめてたもてるが故なり。ふねにて沖ふかくいづるにかならず親属しんぞくを具して舩をらせ縄を|引ひかせなどす。海にいるには腰にちいさ蒲簀かますつけて鰒三四つをれ又おほいなるを得ては二つばかりにしてもうかめり。浅き所にては竿を入るゝに附てうかむ。是を友竿ともさほといふ。深き所にては腰に縄を附てうかまんとする時、是をうごかし示せば舩よりひきあぐるなり。若き者は五尋いつひろ卅以上は十尋とひろ十五尋を●限かぎりとす。皆さかさまいつ立游たちおよぎし海底の岩につきたるをおこしへらをもつて不意に乗じてはなち取り蒲簀に納む。その間息をとゞむること暫時さんじもつとも朝な夕なになれたるわざなりとはいへどもいでて息を吹くに其こへ遠くも響ききこえてまことに悲し。

伊勢鰒(いせあはび)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]


付記

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]

付記
海底にいつあはびをとること 日本記允恭いんきやう天皇十四年天皇淡路の島に狩し給ふに、獣類じゅうるいはなはだ多しといえども終日一つの獣をることなし。是によつて是をうらなはしめ給ふに、たちまち神霊のつげあり。いわくこの赤石あかしの海底に真珠あり。其球そのたまをもつて我をまつらばことごとく獣をさすべしときゝて、更に所ゝの白水郎あまを集めて海底を探らしむ。其そこに至ることあたわず。

時に、阿波の国長邑ながむら海人あま男狭磯おさしといふ者、腰に縄を附て踊入り、差項しばらくありていでて曰く、海底に大鰒おほあわびありてそのところに光を放つ。殆ど神のこう所其鰒の腹中ふくちうにあるべしと人の議定によりて、再びかづいりてかの大鰒をいだ浪上らうじやううかにはかにして息絶へたり。

案のごとく真珠棑しんじゆもく乃子の如き物を腹中に得たり。人ゝ男狭磯おさしが死をあはれみ、ほうむりて墓を筑き、尚今も存せりとぞ。此時、海の深さは六十尋にしてこと男海人おとこあまわざなれば其労おもひやられ侍る。後世、是を模擬もぎして箱嵜はこざきの玉とりとて謡曲うたひ著作ちょさくせしは此故事なるべし。

鰒は凡介中かいぢうの長なり。いにしへより是を美賞するなり。物めぐり尺余になるものニ三寸水中にあれる貝の外に●出て●●して以て●●●

五畿内ごきないの俗、是をあて貝といふは海人あまとるものなればなるべし。アハビといふはかたかたつきあはざる貝なれば、あはといふなるべし。万葉十一に「伊勢のあまのあさなゆふなにかづくてふあはびのかひのかたおもひ」●して、同七に「伊勢の海のあわの島津しまつ鰒玉あわびたまとりて後もか恋のしげゝん」 又十七に 着石玉あわびともかけり。

雄貝おかいは狭く長し、雌貝はまるく短く肉多し。但し九孔きうこう七孔しちこうのものはなはだ稀なり。


制長鰒(のしをせいす)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]

制長鮑のしをせいす

俗に、熨斗のしの字をかくはあやまりなり。熨斗は女工によこうの具衣裳をすの器にて、のしのことなり。

まづ貝の大小にしたがむくべき数●かずはかり横より数ゝかずかずむきかけおきて、薄きはものにて薄ゝうすうす剥口むきくちより廻し切る事図のごとし。豊後ぶんご豊島てしまござに敷き並らべて乾が故に各筵目むしろめおびたり。本来あるは束ぬるが為なり。さて是をノシといふは、昔は打鮑うちあわびとて打栗うちくりのごとく打延うちのば裁載たちきりなどせし故にノシといひ、又、ほしあわびともいへり。

又、干鮑ほしあわびうちあわびともに往昔むかし食類しよくるいなり。又、薄鮑うすあはびとも云へり。江次第こうしだい忌火御飯いむひのごはん御菜四種おんさいししゆ薄鮑うすあはび干鯛ひだいいわしあじとも見へたり。今壽賀じゆがの席にねかけあるひは、かざりのしなどゝして用ゆることは足利将軍義満の下知として今川左京太太夫氏頼うじより、小笠原兵庫助ひょうごのすけ長秀、伊勢武蔵守むさしのかみ満忠等に一天下いつてんかの武家を十一位にわかち、御一族大名守護外様評定等の諸礼につけおこなはせらるより起る事、三義一統に見えたり。往昔むかしは天智帝の大掌会だいじやうゑに干鮑の御饌みけあり。延喜式諸祭の神供にも悉く加へらる。第一伊勢国は本朝の神都しんとにして鎮座もつとも多し故に伊勢に制する所謂ゆえん、又は飾物にはあらずして食類たるをしるべし。尚、鎌倉の前後までも常に用てもつぱら食類とせし。そのしやう

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]


平治物語 頼朝よりとも遠流おんるの条に

佐殿すけどのはあふみの国建部たけべ明神の御前に通夜して行路りくろの祈をも申さんととどまり給ひける。夜人しづまりて、御供の盛安もりやす申けるは、都にて御出家の事しかるべからざるよし申候ひしは、不思儀ふしぎ霊夢れいむかふむりたりし故なり。きみ御浄衣ごじやうゑにて八幡へ御参おんまいり候て、大床おほゆかに座す盛安御供にてあまたの石畳の上に伺公しかうしたりしに、十二三ばかりの童子の弓前きうぜんいだきて、大床にたゝせ給ひ、義朝がゆみやなぐひめして参り候と申されしかば、御宝殿の内よりけだかき御聲おんこへにて「ふかく納めおけ ついには頼朝に給はんずるぞ これ頼朝に喰はせよ」とおゝせらるれば、天童ものもちて御前におかせ給ふに、何やらんと見奉れば打鮑うちあわびといふ物なり。 中略 それたべよとおゝせらる。かぞへて御覧ぜしかば六十六本あり。かののし鮑を両方の手におしにぎりて、ふときところを三口まいり、ちいさき処を盛安になけさせ給ひしを懐中すると存じ候ひしはと云なり 下略

此文義あじはふべし。又、今西国のかたより烏賊いかのし、海老えびのし、或は生海鼠なまこのしなどいだせり。いたつて薄くむき其様そのさま浄潔きよらかにしてかつ●あり。

毎年六月朔日、志州国嵜村さきむらより両大神宮へ長鮑ながのしを献ず。故に其地そのちをノシサキ共云へり。又、サゝヱサキ共云へり。今栄螺にて作る事なし。是延喜式に御厨鰒みくりのしと見へたり。又、毎年正月東武へ献上の料は長三尺余巾一寸余其余数品あり。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]
薄き刃にて薄と剥口より廻し切る事 図のごとし

真珠(しんじゆ)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]


真珠しんじゆ 漢名 李蔵珠

是はアコヤ貝のたまなり。すなわち伊勢にて取りて伊勢真珠といゝて上品とし尾州を下品とす。肥前大村よりいだすは上品とはすれども薬肆くすりやの交易には●べからず。アコヤ貝は一名袖貝そでかいといひて、かたち《そでに》に似たり。|和歌浦わかのうらにて胡蝶貝こてふかいと云、大きさ一寸五分二寸ばかり、灰色にて微黒びこくおびたるもあるなり。うち白色にして青み有、光ありて厚し。しかれども貝毎にあるにあらず。珠は伊勢の物、形円くすこし青みを帯ぶ。又、まるからず。長うして緑色を帯ぶるをの石決明あはひの珠なり。薬肆に是を貝の珠と云。尾張はかたち正圓まるからず。いろにて光耀ひかりなくもつとも小なり。是ははまぐり しじみ 淡菜いがい等の珠なり。形かくのごとくし。

付記

式云、あこやといへるは所の名にして、尾張の国知多ちたこほりにあり。又、奥州にも同名あり。又、新猿楽記には阿久夜玉あくやたまと見ゆ。万葉集の鮑玉あわびたまを六帖に、あこや玉とてんせり。又、近頃に波間かしはといふ貝より多くとりるともいへり。貽貝いがいの珠は前にいふ尾張真珠なり。又、西行さん歌集のうた●に

 あこやとるいかひのからをつみおきて宝のあとを見するなりけり

右の●●を見るに、あこやを尾張の所名しよめうとせば、しんの真珠は尾張なるべきを今伊勢にてこの貝をとりて名はあこやと称するものは、昔尾張に多き貝の今伊勢にのみ有るとは見へけり。しののみならず、六帖鰒玉あわびたま西行さひぎやううた貽貝いがいもともにあこやといひしはむかし。あこやにいろゝゝの貝より多くの珠をとりし故にこんじて惣称さうせうをあこやとはいひしなるべし。

あわびのお刺身
Photo by mominaina


筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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