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波音にくりかえし祈りたくなるような感触だった / 吉本ばなな『TSUGUMI つぐみ』


吉本ばななの小説ばかり読んでいるくせに、
『TSUGUMI つぐみ』は読んだことがなかった。

『キッチン』は読んだことがあるが、だいぶ前なので細かい内容を忘れた。本は持っているのでまた近々読もうと思う。


これまで、他のばなな作品のレビューを見るたびに、『キッチン』の次くらいによく『TSUGUMI』への言及を見かけたので、ずーっと気になってはいたものの、そんなに面白いのであればなおさら楽しみは後に取っておきたいような気分になり、なんとなく違う作品ばかりを選んでいた。


途中、読みかけでいったん止まっていたが
先日ようやく読み終えた。


当然、おもしろかった。



<以下ネタバレ有り、引用多め>


「つぐみ」は生まれつき身体が病弱な美少女。

「私=まりあ」は、つぐみのいとこで一歳年上。
大学進学まで育ったふるさとの海辺の小さな町に、夏のあいだ帰省することに。

幼い頃からつぐみをそばで見てきた「私」目線で語られる、ひと夏の青春を描いた切ない物語。



あらすじだけ見るとなんだか爽やかだが、
とにかく、つぐみの口が悪い。笑

いままでにない強烈キャラだった。


印象的だったのはやはり、「平気でポチを殺して食える奴になりたい」発言だ。

「そうだよ。自分が犬と仲良くしちゃってるなんてぞっとする。客観的に見るとかなり気持ちが悪いことだ」
(中略)
「うるせえ、黙ってきいてろ。それで、食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。もちろん、あとでそっと泣いたり、みんなのためにありがとう、ごめんねと墓を作ってやったり、骨のひとかけらをペンダントにしてずっと持ってたり、そんな半端な奴のことじゃなくて、できることなら後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として『ポチはうまかった』と言って笑えるような奴になりたい。ま、それ、あくまでたとえだけどな」
 細い腕でひざを抱えて、うっとりと首をかしげているつぐみの姿と、語っている言葉のあまりのギャップに、私は何だかこの世のものではないものを見ているような不思議な気分になった。
「それはいやな奴というより、むしろ変な奴ね」
 私は言った。
「そう、わけのわかんない奴。いつもまわりにどこかなじめないし、自分でも何だかわかんない自分をとめられず、どこへ行きつくのかもわかんない、それでもきっと正しいっていうのがいいな」

吉本ばなな(1989)『TSUGUMI つぐみ』
中公文庫 p71-74より引用


こんなに言葉が乱暴で、言っていることもめちゃくちゃなのに、主人公の「私」は、なぜかつぐみの言いたいことを正確に理解できてしまう。

(ばなな作品は、特定の相手の気持ちだけなぜか手に取るように分かる設定の主人公が多い)

 久しぶりのつぐみは、つぐみなりに話がたまっているようで、自分の気持ちをよくしゃべった。こんな話題は、私とつぐみの間だけのものだった。お化けのポスト事件以来、つぐみの理解者として生きてきた私は、つぐみの言いたいことが、たとえそれが自分の生き方に関係なくてもよく伝わってきた。

p.72



いいなぁと思ったのは、浜辺でのシーンのこの描写。

「でも、恭一は違うんだ。何べん会ってもあきないし、顔を見てると手に持ってるソフトクリームとかをぐりぐりってなすりつけてやりたくなるくらい、好きなんだ」
「迷惑な例えだなあ」
 と言いながらも私は少し、しみじみしていた。熱い砂がさらさらと足の裏に触れていた。つぐみにこれから良いことばかりがおとずれるように、と波音にくりかえし祈りたくなるような感触だった。

p.133


「恭一」はつぐみの恋人。好き度合いの例え方が、ひねくれ者のつぐみらしくて良い。

「私」の心の声の「くりかえし祈りたくなるような感触だった」という描写もピッタリだと思った。

あくまで「祈りたくなる」だけで、別にあんたのために祈ってなんかやらないんだから。でも、本当は心から大事に想っているんだよ。これからどうかつぐみの人生に、良いことばかりがおとずれますように…

そんな、つぐみに対する主人公まりあの、素直になれない照れ隠しの奥の、海のように深い愛が伝わってくるような気がした。





そんなつぐみだが、最後にはとうとう殺人未遂をする。動機は、大切な恭一の犬の権五郎を殺された復讐。

「つぐみは、自分の命を投げ出したのだ」
 という思い、陽子ちゃんにはとっくにわかっていたそのことがやっと、驚きと共に湧きあがってきた。恭一のことよりも、未来なんかよりも、彼女はそうしたかったのだ。つぐみは、人を殺そうとした。自分の体力の限界をとっくに超えた作業の果てに、相手の死なんて自分の大切な犬の死より軽いと信じ切って。
(中略)
つぐみは少しも変わらないのだ。恭一と恋をしたことも、私達と重ねた年月も、越して始まる新しい日々も、ポチも、つぐみの心に何の変化ももたらすことはなかった。彼女は子供の頃から全く変わらずに、ひとりきりの思考の中で生きていたのだ。
……そう思う度に権五郎そっくりの犬を抱き上げていたつぐみの笑顔が、暖かい陽射しのように明るく心をよぎっていった。ああ、その場面はまるで汚れがなく、ほんとうにまぶしかった。

p.190


殺人未遂をした彼女に対して、最後にはなぜか、「ほんとうにまぶしかった」と語る主人公。


最初は「ん?なんで?」と思った。殺人未遂した人に、まぶしかったってなんやねんと。

だけど、何度も読み返してみたら、なんとなく分かるような気がしてきた。


「平気で犬を殺して食えるような奴になりたい」とまで言っていたつぐみが、大切な犬を殺された復讐で、人を殺そうとまでしたのだ。

確かに罪は罪なのだが、そこにあったのは、自分の命を投げ出してまで復讐すると決めた、昔から何一つ変わっていないつぐみの、汚れのない、狂気じみているほどまっすぐすぎる生き様。


主人公は、つぐみの本気や覚悟が痛いほど分かるからこそ、目に見える事実ではなく、彼女自身の汚れない心に対して「ほんとうにまぶしかった」と感じたのではないだろうか。





復讐で命を投げ出して身も心も衰弱したつぐみだったが、最後のシーンでは死の淵から生還し、しかも少し素直になっていた。

 つぐみが私に手紙を書いた……そのことは私を妙にどきどきさせた。
「いいよ、読んで」
 つぐみは笑った声で告げた。
「あたしは今回、やはりいちど死んだような気がするんだ。だから、あの手紙は正しかったのかもしれない。もしかしてあたしは、これから少しずつ変わってゆくのかもしれない」
 つぐみが何を言いたいのか、私にはわからなかった。しかし心のどこかではわかっているようにも思えて、私は一瞬黙った。

p.221



文庫本のあとがきには、筆者自身の言葉でこう書いてあった。

 突然ですが、初恋をおぼえていますか?
 その人と自分がいっしょに歩くようになるだけで世界はうまくいくだろうと信じていた頃を。あの清らかなエネルギーを。
 この小説はその頃の世界観、宇宙観で描かれています。とどめるのは、とてもむつかしいあの、独特に美しい丸い風景です。そして子供がはじめて恋をした時、ごうまんなその心にはじめて生の「自然」が映るのです。山やら海やら、自分が歩くアスファルトやら、まわりの人々のフォルムやら。
 つぐみは永遠にそのままではいられず、この小説のラストはつぐみの新しい人生のはじまり、つまりこれまでのつぐみの「死」です。もちろん読者の皆様にはどう読んでいただいてもいいのですが、私はそういうつもりでした。つぐみはここからはじめてなまの人生をはじめるのです。

文庫版あとがき(p.233-234)


みんなに大切に守られ、自分中心で傲慢に生きてきた子供が、初恋をしたり誰かを本当に大切に想う気持ちを知った時、ようやく周りの自然や物や人々の存在に目を向けるようになる。そうすることでやっと「なま」の人生が始まる。子供時代が終わり、ひとりの人としてようやく自分の人生を歩き始める。

きっと誰だって、
かつては「つぐみ」だったんだ。



つぐみは、どんな大人になったのだろう。

きっと、口は悪いままなんだろうな。
死にかけたからといって、人間、そんなすぐには変わらないもんな。笑

強気で生意気なままでいてほしい。


35年前の作品を読んで、そんなことを考えた。

また読むね。
またね、つぐみ。


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