バレエシューズと1960年代の甘くないフランス音楽と
ぶっきらぼうになってきた中学生の長男と無言の多いお出かけをした帰り道。
お迎えの夫の車を待つ間、
立ち寄った地元の百貨店に、色鉛筆のようにグラデーションに並べられて、エナメルのバレエシューズが売られていた。
カラーバリエーションの多さに、
一つくらいは似合うものもあるかしらと、
「お母さん、どの色が似合うと思う?」
と息子に聞いてみた。
「えー、わかんないよ。」
とめんどくさそう。。。
私には娘はいない。
こういうとこ男子のつまらないとこよね、
ため息つきつつ、
私は紺色を取って試しに履いてみた。
「お母さんは濃い色じゃないなぁ。
薄い色が似合うよ」
と突然のご提案。
とりあえず紺、
若い時から迷った時に選んできた紺色。
でもこのところ、
頑丈なはずの助け舟は、船底に穴が開いるのか、助けてもらっている感がなく、そんな気持ちを見透かされたようで、ドキッとした。
薄い色ならと、白と薄いグレーをそれぞれ履いてみると、
「こっちの色がいいと思う」
と息子は迷わず薄いグレーを指さした。
白はお母さんには可愛いらし過ぎるとのこと。
辛口ながら確信を突いている。
うん、でもいいかも!
私もすごく気に入って、早速店員さんを呼んだ。
自分のチョイスが採用されて、息子は得意げな様子。
「お母さんには薄い色の方が合うと思ってたんだよね。
今日着てる上着もイマイチ、、、
あ、ごめん。」
「ううん、いいよ。」
受験を控えた高校の見学会だから、
紺色のジャケットを着ていた。
着たかった訳ではなく、
なかったので仕方なく。
自分を上げてくれる着こなしではなかったことはわかっていた。
「白の方は甘すぎるって言ってくれたのが、鋭いアドバイスだね。」
「甘いって?」
「女の子っぽい感じ。」
「うん、お母さんは女の子っぽい感じじゃない。あ、ごめんね。男っぽいっていう訳じゃないけど。」
当たってますよ。
会計の間、いつもなら離れて立つ息子は、その時はずっと近くにいた。
ファッションに興味を持ち始めた10代のころ、音楽もファッションの一部になって、洋楽にも手をだすようになった。
HMVやタワレコで視聴とジャケ買いしたりして、今でも大切にしているCDがある。
ブリジット・フォンデーヌの
「ラジオのように」
ロックやらフォークやらジャズやら、音とリズムの融合から生まれた彼女だけの音。
日本映画「阿修羅のように」でも主題歌として使われていたり、色んな人にカヴァーされていたり、きっと何年経っても残るんだろうな。
フレンチポップスといえばフランス・ギャルとかだけど、ロリータ色がありでちょっと甘すぎる。
もうちょい辛口なものが欲しくて選んだ、
クローディーヌ・ロンジェの「sugar me」というアルバム。
ウィスパーボイスで歌う歌詞をよく聴けば、あれ?英語じゃないっすか?
フレンチポップスと勘違いして買ってしまった。
「ティファニーで朝食を」で有名な「ムーンリバー」を歌うアンディ・ウィリアムズの元奥さん。
二番目の夫を銃の暴発で殺害して服役中と曲の説明書きにあって、未完成のまま発売されたものだから曲が途中で止まってしまう。
1960年代は世界的に若者文化が花ひらいた時代。女性の生き方も変化したんだろう。女性らしさと自立が強く同居する、その甘さと辛さのバランスがファッションにも反映して、素敵だなと思う。
さて、お菓子が入っていそうな可愛い細長い箱に収まり、バレエシューズは私の元にやってきた。
エナメルだから雨の日も大丈夫、
ペタンコだから疲れない、
パンツにも、ロングスカートにも合いそう。
優秀じゃないか。
このところクローゼットの掛かる服たちが、どれも似合わなくなったように感じてきて、
原因は体型なのか、肌色なのか、、、
ざっくりいえば老いなんだろうけど。
なんだか猫背になって、
首も短くなってきたような、、、完全に自信喪失の迷子。
バレエシューズは
今まで何度か手を伸ばしたけど買わなかった。
嫌いだったんじゃなくて、
先っちょのリボンが私には甘すぎた。
グレーのバレエシューズは、つま先が尖っている。リボンの甘さも、むしろあった方がいい感じ。
似合うものが減るわけじゃなくて、変化するんだよ、とお知らせを貰ったよう。それは甘辛のさじ加減。
なんせ息子が見立ててくれたのだから、気分も上がる。
それも、いつかしっかりこなくなる日がくるかも。
その時はまた辛口アドバイザーにアドバイスをいただいて、変化を楽しもうと思う。