エッセイ「モーンガータを渡って」
2024年2月8日、夕
仕事帰りに笑顔になる出来事があった。横断歩道が綺麗に塗り替えられていたのだ。作業が始まったのは今から約2週間前のこと。たった1日でアスファルトが滑らかに塗り直され、その上に白い線が引かれた。しかしおかしなことに枠しかない。艶のある地面の上に額縁のような白い枠が均等に並んでいるだけである。私は困惑した。もちろんまだ作業の途中段階なのだろうと思ったが、もしもこれが完成形だとしたら。緊張で身体が強張るのを感じる。もしや不況の波がここまで来てしまったのだろうか。それとも資源不足で枠の中を埋めるだけの材料がないのだろうか。いや、次世代の横断歩道はむしろこれが主流だったりするのだろうか。私には分からないが、実は錯覚を利用したアート標識なのかもしれない。私にはさっぱり見えないけど。そもそも改めて考えてみると、白く塗り潰す意味がよく分からない。どのみち劣化する度に塗り直すのなら、最初から枠だけにしておいてこまめにササっと修復するのでも良い気がしてくる。まるで白髪隠しのマニキュアのように。そういえば私のこめかみ辺りの色素細胞はいよいよダメになったようだ…。
一向に作業が進まない中、2週間近くああだこうだと自分を納得させる理由を考え続けた。ついでに何歳から白髪染めをするのが一般的なのかについても考えたが、そんなことは好きにすれば良いという結論にしか辿り着かなかった。もしこのまま枠だけの横断歩道が当たり前になってしまったら、「白い部分からはみ出たら死ぬゲーム」の難易度が爆上がりしてしまう。大人は、いいやこの社会は本当にそれで良いと思っているのか。そう簡単には納得させてくれない自分は一体誰の何のために問題提起しているのか、そろそろ教えてほしい。
そんな心の叫びを抱えた今日、ついに、横断歩道が完成したのだ。枠の内側までぴっちりと塗り潰され、夕暮れと呼ぶにはまだ早い明かりが白さを跳ね返し私の目を貫く。眩しい。なんて眩しいんだろうか。少しめまいがし目の前が波打つ。「海面に月明かりが反射しているようだな」と眺めながら、その現象を一言で表す言葉がどこかの国にあることを思い出した。普段は「エモ」という新しい文化に乗る気のない私だが、ご機嫌な今日は違う。止まらない笑顔をマスクの下に隠して、軽やかにモーンガータを渡った。