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遺したい私だけ。さよなら

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最近の記事

エッセイ「夢への逃避行」

2024年5月15日、夜  カタツムリの旅立ちから約1週間(詳細は前回の記事)。それなりに順調に過ごしている。相変わらず頭の中には霧が立ち込めているので、周りからは四六時中 憂鬱な人に見えるかもしれないが。私にとってはこれで平常運転なのだ。  今日は久しぶりに「何か書かねば」と欲求のアラートを感知した。しかし具体的なテーマが思い浮かばない。カタツムリからニンゲンに戻ってからというもの、私の意識は内より外に向いている気がする。孤独を終えた反動だろうか。一つの物事を深く考える

    • エッセイ「苦楽の終わりは突然に」

      2024年5月7日、夕  嵐は過ぎ去った──。  数週間前、私は孤独に安心感を覚えるようになった。次第に私はカタツムリと化した。孤独という殻を作り、いつでも逃げ込めるように背負って歩いた。  数日前、私ことカタツムリは悟った。孤独をシェルターとして背負う限り、一生 孤独から逃れられないことを。カタツムリは何もかも嫌になった。しかし、運良く世間は大型連休の真っ只中。カタツムリは「これ幸い」とばかりに一人の時間を謳歌した。  楽しい時間の終わりは突然やって来るものだが、実は

      • エッセイ「選択的欲求」

        2024年4月24日、夜  帰りたい。全身に膜が張ったように不快な日、お昼休みにnoteを書いてみる。おそらく今日唯一の「良かったこと」はオフィスの人口密度が低いことだろう。人間は少ないくらいがちょうど良い。それにしても時間がない。書ききるはずはないのでいけるところまで。  とにもかくにも帰りたい。今日は蒸し暑い。こんな日は上手く呼吸ができない。もしかしたら私は皮膚呼吸動物なのかもしれない。時間がないと言うのに実に馬鹿馬鹿しい。  オフィスの冷蔵庫の上に目をやると、個包装の

        • エッセイ「時間稼ぎ文書」

          2024年4月21日、昼  どうにも気が滅入る。これといった理由はないが生きることにうんざりしている。初夏と初秋は苦手だ。子供の頃からそうだった。体調も崩しやすいし、メンタルもやられる。一応誰かに話してみても「五月病かな」「季節の変わり目だもんね」で終わり。人に打ち明けてもしょうがない。そもそもこれは遺伝的なものだろう(と個人的には睨んでいる)。環境を変えたり休みをたくさん取ったところで憂鬱なものは憂鬱なのだ。結局そんな気持ちを誤魔化しながら時間が過ぎるのを耐え忍ぶしかない

          エッセイ「今を生きる -by INFJ-」

          2024年4月2日、午前  なんと、気づけば4月である。先月の暮れには率先して新年度に向けた準備をしたはずだが、それでも「えぇっ!?4月なんですか!?」と驚いてしまうのは相変わらず「今」に疎いせいだろうか。それなりに「やるべき事」を重視しているため、手足をせっせと動かして社会について行こうとする。しかし頭の中は納得しておらず、言行不一致になることがしばしば。周りから「自分がカレンダーめくってたじゃん…?」「自分で新年度用の資料作ってたじゃん…?」などお声が聞こえる気がする。

          エッセイ「今を生きる -by INFJ-」

          エッセイ「右側通行チャレンジの日」

          2024年3月21日、夕  改めてTwitterは良いと思った。今日はまだ馴染みのない「X」よりも「Twitter」と呼びたい気分だ。  類型界隈にどっぷりと浸かるため、ついにアカウントを作成し早1ヶ月。「類型垢」とは言っても人それぞれ楽しみ方があるようで、まだ距離感を掴むのが難しかったりもする。それでも文字通り「いろんな考え」に触れられる世界は面白い。自分にはない物の見方、考え方を持つ人々は皆、「先生」だ。ありがたいことにTwitterには私の先生がたくさんいる。  今

          エッセイ「右側通行チャレンジの日」

          エッセイ「黙って本を読めない」

          2024年3月17日、朝  昨夜は少しおセンチな気分だった。読書をしたせいだろう。最近読んでいるのは『サピエンス全史』の下巻。下巻の前にはもちろん上巻も読んだのだが、上下で雰囲気がガラッと変わったように思うのはなぜだろう。いや、何も不思議ではない。上巻ではホモ・サピエンスが人類として唯一の種になるまでの過程から、農耕時代を経て小さな帝国としてまとまり始める時期までが書かれた。社会の形は大きく変わったが、それでも狩猟採集時代を含めて数万年かかっている。一方、下巻は「宗教という

          エッセイ「黙って本を読めない」

          エッセイ「回送列車の行き先」

          2024年3月8日、夕  まだまだ北風は冷たいが、すっかり日が長くなった。どちらかと言うと暑さより寒さを好む私には冬も悪くない。それでも労働後に晴れた世界を歩いて帰る喜びは春への期待を膨らませてくれる。  今日は目に見えるものすべてに挨拶をしながら帰ろうと決めていた。自分だけの世界に閉じこもるのは精神的に良くない。言葉の通り「すべて」に話しかけられるわけはないが、気持ちがなるべく外を向くように意識した。薄汚れた看板、規則破りのゴミ捨て場、傾いた三角コーン——あらゆるものが私

          エッセイ「回送列車の行き先」

          エッセイ「見えないモノを見落として」

          2024年3月5日、午前  私の子供時代に流行った歌がある。――見えないモノを見ようとして望遠鏡を覗き込んだ――当時、私の耳は「見えないモノを見落として」と音を拾い、しばらく後に「見ようとしたのか」と気付いたのだが、大した話ではないので自分だけの記憶にしまっておいた。あれから数十年……(調べて驚いたが発売からもう20年以上経つらしい。)当たり前を見落としがちな自身についてあれこれと考えを巡らせるうちに、ふとこの記憶が蘇ってきたので頭の中を書いてみる。  いきなりだが、小麦

          エッセイ「見えないモノを見落として」

          エッセイ「徒然なるままに、土曜日」

          2024年3月2日、午前  先月、久しぶりにTwitter(X)で呟くようになってからというもの、まとまった文章を書く時間がめっきり減ってしまった。どこからともなく訪れる「焦り」のような感覚を認めたのでパソコンを開く。さて、何を書こうか。とりあえず指を動かしてはみるものの途端に行き詰ってしまった。私はもともと「何かを書こう」と思って筆を起こすタイプではない。「書きたくてたまらない何か」が湧き出た時に自然と書いてしまうタイプなのだ。決められたテーマで決められた頻度エッセイを投

          エッセイ「徒然なるままに、土曜日」

          エッセイ「バスに揺られ考える正しさ」

          2024年2月20日  田舎は良い。人でごった返すということがめったにない。都会では当たり前のぎゅうぎゅう詰めの満員電車もない。たまに通勤で利用するバスも、よほどのラッシュ時を避ければ誰かと肩が触れることはない。田舎は良い。とは言えこれじゃバスを走らせれば走らせるほど損なのではないかと心配になるのも当然だ。すでにどこの田舎もバス会社の経営は厳しいと聞く。私の住む町も例外ではない。  ある時期を境に「運転手のサービスの質が落ちたなあ」と感じる瞬間が増えた。念のため断っておくが

          エッセイ「バスに揺られ考える正しさ」

          INTPとの約束当日、浮かれINFJの頭ん中

          浮かれすぎてまとまったお気持ち文章を書く時間を持てなかったのだが、数日前の記事の通りINTP氏と遊んで来た。うっひょい!文字にするだけでニヤニヤが止まらん。とりあえず会うまでの脳内を吐き出す。 もしかしたらこの記事を読んでくれている人は「INFJの目にINTPがどう映ったのか」に興味を持っているかもしれないが、具体的な会話内容については控えるつもりなので期待に応えられないと思う。というか私のお気持ちしか書かないつもりだ。予め謝罪(しゃぜぇ)。 INTP氏との待ち合わせ当日

          INTPとの約束当日、浮かれINFJの頭ん中

          INTPと遊ぶ約束をしたINFJの頭ん中

          ついに、この時がきた。 これまで実生活ではタイプ診断の話題を持ち出さないようにしてきたが、語れそうなお仲間が身近にいたのだ。 私のLINEに公式アカウント以外が追加されるのは一体何年ぶりだろう。 「もっと話したいけど急に連絡先聞いたり休日に遊ぼうって言うのはさすがに迷惑かな…?」とウジウジする私とは違い、 興味センサーが反応したらまるで磁石のように対象物にピタッと距離を詰めるINTP氏の素直さに感動しながら感謝している。 これは私がINTPというタイプへ抱く偏見だが、控え

          INTPと遊ぶ約束をしたINFJの頭ん中

          エッセイ「モーンガータを渡って」

          2024年2月8日、夕 仕事帰りに笑顔になる出来事があった。横断歩道が綺麗に塗り替えられていたのだ。作業が始まったのは今から約2週間前のこと。たった1日でアスファルトが滑らかに塗り直され、その上に白い線が引かれた。しかしおかしなことに枠しかない。艶のある地面の上に額縁のような白い枠が均等に並んでいるだけである。私は困惑した。もちろんまだ作業の途中段階なのだろうと思ったが、もしもこれが完成形だとしたら。緊張で身体が強張るのを感じる。もしや不況の波がここまで来てしまったのだろう

          エッセイ「モーンガータを渡って」

          エッセイ「節分を考えるINFJ」

          2024年2月2日、夕 「明日は節分ですよ〜」と、パートさんが子イワシのおやつをくれた。私も「パートさん」なのでこの呼び方には我ながら疑問を抱くのだが、ここで個人名を出すわけにはいかないし、「同僚」では人生の先輩に対して敬意に欠けるだろう。独身実家暮らしで未だ親の扶養から抜けられない私と違い、パートさんは子育てと仕事を両立するすごい人だ。いつもパワーに溢れ、チャキチャキしている。そんな姿を見て素直に尊敬するし、同時に「常に最大限の力を出さないと1日乗り切れないほどしんどいの

          エッセイ「節分を考えるINFJ」

          エッセイ「白黒付けたい」

          2024年2月1日、夕 仕事帰りにハッキリしない猫を見た。濃い灰色のその子は私の視界右端から道路の真ん中辺りまで駆け出て来てピタリと止まった。どうやら行き交う車に驚いたらしい。歩行者の多い市街地なので皆 徐行とも言える速度で通過しているのだが、それにしても、猫よ。もう少し手前で驚いた方が良いのではないだろうか。私の鈍臭さも人間界では一級品だが、そんな私に言われるのだからよっぽどだ。心の中で「もし私が猫だったら」と想像しながら目線はまだ動く気配のない毛玉をとらえ続ける。 数

          エッセイ「白黒付けたい」